今回は第84話、第87話、第89話、第93話をまとめて紹介する。
高岡拳太郎には洋子という名の妹がおり、拳太郎が虎の穴を裏切って日本にいるようになった後も、洋子はちびっこハウスで暮らしている。拳太郎は時々、ハウスを訪れて洋子と会っているようだ。第84話「勝利への誓い」(脚本/安藤豊弘、美術/秦秀信、作画監督/森利夫、演出/及部保雄)では、母の日のカーネーションが話題となる。拳太郎と洋子の母親は亡くなっている。墓参りに行く前、拳太郎は白いカーネーションを洋子の胸に挿してやるが、それを見たハウスの子供達はショックを受ける。ハウスには母親が存命なのかどうか分からない子供が大勢いる。彼等は自分の胸に赤いカーネーションを付ければいいのか、白いカーネーションを付けばいいのか分からないのだ。ルリ子は、洋子の胸のカーネーションを外してもらえないかと拳太郎に頼むのだった。拳太郎は自分が子供達のことを真剣に考えていなかったことを後悔し、ハウスに大量のピンクのカーネーションを贈る。手紙にはハウスの子供達に、皆のお姉さんであり、お母さんでもあるルリ子にこのカーネーションをあげて、日頃の感謝をしてほしいと書かれていた。
第87話「虎狩り計画」(脚本/柴田夏余、美術/秦秀信、作画監督/小松原一男、演出/蕪木登喜司)ではガボテンにスポットが当たる。ガボテンはシリーズ当初は別として、基本的に穏やかでのんびりとした少年だ。そのカボテンが警察に保護された。若月先生が警察署に向かい、それを知った直人も若月先生を追う。直人はガボテンが家出した理由と、その後の彼について想像する。ガボテンは幸福そうな親子の姿を目にしたのかもしれない。それをきっかけにして、彼は辛い気持ちを抱えて家出をしたのではないか。やがて、道を踏み外し、大人達に追われるようになるのではないか……。
そんなドラマチックな展開になるかと思わせておいて、ガボテンの家出騒動には予想外のオチがつく。以下がガボテンが話した真実だ。彼は朝に忘れ物をしてしまい、それを取りに帰ったため、学校に遅刻する時間となってしまった。通学路で同様に遅刻しそうな同級生達と一緒になり、彼等は「なんとなく」学校に行きそびれてしまい、それから「なんとなく」バスに乗って、気がついたら東京駅だった。どこか遠くに行きたいと思った彼等は新幹線に乗り込もうとして、そこで補導されたらしい。
『タイガーマスク』としては珍しい脱力系のエピソードである。そして、ガボテンらしいと言えばガボテンらしい話である。Aパートが終わり、Bパートに入る際の緊張感のなさも凄まじい。ガボテンの家出騒動が一件落着した後にタイガーの試合があるのだが、こちらもユルい。試合相手のアキラ・ローゼは出稼ぎ気分で日本に来ており、試合中に「勝ちは譲るので手加減してくれ」と言い出すのだった。
試合の後、直人と拳太郎は公園で言葉を交わす。ガボテンの一件から話が転がっていく。家出未遂くらいで済めばいいが、もしも、何かのはずみで子供達が悪の道に踏み込むことがあったとしたら、自分達には何ができるのだろうか。そうなる前に未然に防ぐことはできないだろうか。それができればいいが、防ぎきれないこともあるはずだ。そんな会話の途中で拳太郎が笑い出す。これから起きる危険を防ぐことができないのは自分達も同じだ。明日にでも虎の穴の刺客が襲ってくるかもしれないのだ。そして直人は、そうなったら戦うしかないと言う。第87話だけを観ると、この場面で語られた内容はとりとめのないものに思われるが、第100話「明日を切り開け」でこの内容を踏まえた結論が出る。
更にその後で、今後のハードな展開を予想させるシーンがあり、第87話もエピソード全体としては締まりのあるものになっている。余談だが、第87話の直人は白の開襟シャツにマフラーという映画スターのような出で立ち。小松原一男作監によって二枚目顔に描かれており、脱力系の本筋とは裏腹に直人のかっこよさがアピールされている。
第89話「ヨシ坊の幸福」(脚本/安藤豊弘、美術/福本智雄、作画監督/高倉建夫、演出/新田義方)ではヨシ坊が裕福な家庭にもらわれることになる。
ヨシ坊がハウスを離れる話はこれが二度目だ。第20話「「虎の穴」の影」(脚本/安藤豊弘、美術/秦秀信、作画監督/藤原万秀、演出/田中亮三)ではヨシ坊の母親が見つかる。そのエピソードの後半で女性が母親ではなかったことが分かり、ヨシ坊がハウスを離れる話はご破算となる。なお、第20話はハウスの子供達と行った遊園地で、直人が虎の穴の刺客を撃退するのが物語の主軸であり、ヨシ坊についてはあまり掘り下げられてはいない。
第89話の話に戻ろう。島津という夫婦がヨシ坊を引き取りたいという話が、相談所を経由してハウスに持ちかけられた。一ヶ月ほど前に、島津家の愛犬がいじめられていたのをヨシ坊が助けた。それがきっかけで島津夫婦はヨシ坊を知ったのだが、偶然にもヨシ坊は3年前に夫婦が亡くした1人にそっくりだった。ヨシ坊は島津家に行くかどうかで悩んでいたが、健太と喧嘩をしたことがきっかけで、島津家に行くことを決める。島津の邸宅は庭にプールまである立派なもので、ヨシ坊は歓迎された。だが、島津家での彼の表情は暗い。その夜のうちに島津家を飛び出してしまう。雨の中で立ち尽くすヨシ坊を直人が見つけて彼の話を聞く。帰るのが恥ずかしいという彼を、直人はハウスに送ってやるのだった。
ヨシ坊は島津家を飛び出した理由を「寂しかったから」だと直人に説明した。確かに、ヨシ坊が他に子供がいない邸宅で寂しさを感じた描写はある。ただし、彼が島津家を嫌だと思った理由は、養父となる島津が今も亡くなった息子のことを想っていること、普段からナイフとフォークで食事をするような生活に馴染めそうもなかったことなどが複合したものだろう。ヨシ坊が島津家に馴染めなかったのは、第83話「幸せはいつ訪れる」で、ミクロが易々と高田の懐に飛び込んでいったのと対照的だ。
直人は第88話でミスターXが送り込んできた刺客によって傷ついており、第89話冒頭では次の試合を拳太郎に譲るつもりだった。だが、ヨシ坊の一件で思うところのあった直人は、ジャイアント馬場や拳太郎が止めるのも聞かず、タイガーマスクとしてマットに上がる。彼は試合を続けながら考える。肉親の愛に恵まれないみなしごが求めるものは何なのだろうか。欲しいものを何でも与えてくれることだろうか、自分達の好きなようにさせてくれることだろうか。違う。ヨシ坊達が求めてるのは見せかけだけの幸せではない。真実の愛情なのだ。
直人が傷ついた身体でリングに上がったのは、ヨシ坊達が厳しい現実の中で幸せを勝ち取るためには、勇気と忍耐が必要であることをファイトを通じて伝えるためだった。劇中でモノローグで語られた直人の想いには飛躍があり、少し分かりづらい。おそらく、みなしごが求めるのは真実の愛情であるが、それが与えられるのを待っていてはいけない。幸せは勇気と忍耐を以て自分で勝ち取らなくてはいけないということだろう。
第89話の健太についても触れておこう。健太とヨシ坊が喧嘩をしたのは、懸賞で当たったトランシーバーを健太がヨシ坊に使わせなかったためだが、どうやら島津家に行くかどうかで悩んでいるヨシ坊に決心をさせるため、わざと意地悪をした、ということのようだ。ただし、そのあたりは視聴者に考えさせるところなのか、はっきりとは描かれていない。
第93話「今日のいのちを」(脚本/安藤豊弘、美術/土田勇、作画監督/小松原一男、演出/及部保雄)では「みなしごも努力をすれば報われるのか」がテーマになる。健太はガキ大将と喧嘩になり、そのガキ大将に「みなしごは勉強ができても出世できない」と言われてしまう。ショックを受けた健太は授業が終わった後もハウスには帰らず、川縁で膝を抱えていた。そんな健太を見つけたのが拳太郎だった。健太に話を聞いた拳太郎は、タイガーマスクもみなしごだったことを健太に教える。そして、健太がタイガーと話をできるように取り計らう。
直人はタイガーの姿で健太と話をして勇気づける。タイガーは自分の試合での経験を踏まえて「辛い時、苦しい時はなにくそって頑張るんだ」と健太に言う。それに対して健太は「そうすればみなしごだって偉くなれるんだね」と尋ねる。タイガーが健太を励ますシーンは、この健太の問いかけで終わる。タイガーがどう答えたかはフィルムの中では描かれていない。ここが第93話の痺れるポイントである。
タイガーと健太のシーンの後は、荒波の中のリングに立つタイガーのイメージを挟んで、タイガーとギロチン・ラモスとの試合となる。荒波のイメージの部分でタイガーは言う。健太には未来がある。みなしごという不幸な運命を背負って、たった一人で社会の苦難と戦い、運命を開拓しなくてはいけない明日がある。その時に必要なファイトを俺が教えてやる。
ギロチン・ラモスは試合開始早々、反則を使ってタイガーを攻め立てる。血まみれとなったタイガーは「辛い時、苦しい時はなにくそって頑張るんだ」と、健太に伝えた言葉を自分に言い聞かせる。そして、健太の言葉がタイガーの脳裏に蘇る。「そうすればみなしごだって偉くなれるんだね」。しかし、今度もタイガーは健太の問いに答えない。数秒の間の後で、タイガーは言う。「見せてやるぞ、健太君。タイガーのファイトを!」。反撃に出たタイガーは華麗な技を連発してギロチン・ラモスを倒す。試合を見ていた健太も勇気を取り戻した。
どうしてタイガーマスクは健太の問いに答えなかったのか。「みなしごだって努力をすれば偉くなれるさ」と言ってやることは簡単だ。どんな立場にいる人間でも、社会で出世することは不可能ではない。だから、ここでタイガーが「偉くなれるさ」と言っても嘘をついたことにはならないだろう。ではあるが、みなしごが自分がなりたいような存在になるには、他の子供達よりも沢山の努力が必要なのではないか。過酷な道を歩まなくてはいけないかもしれない。それを知っていて、その場を取り繕うように「偉くなれるさ」と言うのは誠実とは言えない。直人がやるべきことは気持ちのいい言葉で健太を安心させることではなく、タイガーとしての試合でファイトを見せることだ。そのファイトが健太達の人生にとって必要なものなのだ。試合中に健太の問いを反芻した後、数秒の間があるのは、タイガーがどう答えるのが健太のためなのかを考えている時間だったのだろう。
優しい言葉をかけることが正しいとは限らない。相手を安心させることよりも、戦うための勇気を示すことが必要な場合もあるはずだ。生きるとは厳しいものであり、その厳しさに向き合わなくてはいけない。それが『タイガーマスク』を貫く思想であるはずだ。
●第14回 第100話「明日を切り開け」 に続く
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