腹巻猫です。日本オペラ振興会(藤原歌劇団・日本オペラ協会)が、今年1月に上演された歌劇「紅天女」の記録映像をインターネットで無料配信しています(5月14日まで)。
OPERA de STAY HOME♪第3弾 日本オペラ協会公演 歌劇「紅天女」
https://www.jof.or.jp/operadestayhome_2001_kurenai.html
美内すずえの少女マンガ「ガラスの仮面」に登場する舞台劇「紅天女」をオペラ化したもの。原作でもまだ描かれていない「紅天女」の結末が観られると話題になりました。筆者は残念ながら公演に行けなかったので、こういう形で観られるのはとてもうれしい。
オペラ「紅天女」の作曲を担当したのは寺嶋民哉。アニメファンには劇場作品『ゲド戦記』の音楽で知られる作曲家である。
実は寺嶋民哉と「ガラスの仮面」の縁は深い。1998〜1999年にリリースされたOVA『ガラスの仮面』(全3巻)の音楽を担当したのが寺嶋民哉だった。2005年にはTVアニメ『ガラスの仮面』の音楽を担当している。
それだけではない。1998年に舞踏家・花柳鶴寿賀のために「紅天女」を題材にした歌曲を作曲。2008年と2010年には蜷川幸雄演出による音楽劇「ガラスの仮面」「ガラスの仮面〜二人のヘレン〜」の音楽を手がけている。そして、2020年上演の歌劇「紅天女」。これだけ長い期間にわたり、「ガラスの仮面」ゆかりの音楽に取り組んだ作曲家はほかにいない。寺嶋民哉にとって、「ガラスの仮面」はもはやライフワークのひとつと呼べるのではないだろうか。
今回はTVアニメ『ガラスの仮面』の音楽を紹介したい。
『ガラスの仮面』は、2005年4月から2006年3月まで全51話が放送された、MEDIANET、トムス・エンタテインメント製作のTVアニメ作品。アニメーション制作は東京ムービーが担当した。1984年にもエイケン制作でアニメ化されているが、そのときは物語の途中までしか描かれていない。2005年版は、原作の大半を映像化した上で、物語に一応の結末をつけているのが特徴だ。
天才的な演技の才能を持った2人の少女、北島マヤと姫川亜弓。『ガラスの仮面』は、2人がライバルとして競い合いながら、伝説の舞台「紅天女」の主役の座をめざす物語である。芸能一家に生まれ、環境にめぐまれた姫川亜弓に対し、主人公・北島マヤはまったく演技経験がない素人から女優をめざす。マヤが数々の試練を乗り越え、女優として成長していく姿が見どころだ。
音楽を担当した寺嶋民哉は熊本県出身。音楽の原体験は劇場作品「ベン・ハー」のレコードだったという。学生時代はブラスバンド、卒業後はロックバンドで活動しながら手探りで作曲、編曲を学んだ。上京後、ゲーム音楽を皮切りに作曲家として活動を開始。劇場作品やTVドラマ等の映像音楽に活躍の場を広げた。2004年、劇場作品「半落ち」で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞している。
筆者は90年代〜2000年代のマンガ原作ドラマの音楽で寺嶋民哉の名を意識した。ドラマ音楽デビュー作「南くんの恋人」(1994)をはじめ、「イグアナの娘」(1996)、「おそるべしっっ!!!音無可憐さん」(1998)、「可愛いだけじゃダメかしら?」(1999)、「月下の棋士」(2000)、「動物のお医者さん」(2003)などなど。「真珠夫人」(2002)、「愛のソレア」(2004)、「新・風のロンド」(2006)など、東海テレビ制作の昼の帯ドラマ(昼ドラ)も強烈だった。アニメでは、OVA『KEY THE METAL IDOL』(1994)、TVアニメ『花右京メイド隊』(2001)、『魔法少女隊アルス』(2004)、『夢使い』(2006)、『聖剣の刀鍛冶』(2009)、劇場アニメ『ゲド戦記』(2006)などの音楽を担当。近年はPlanet Terra Projectを立ち上げ、オリジナル音楽を生み出す活動も精力的に行っている。
さて、『ガラスの仮面』ではマヤたちの日常(現実)と芝居(虚構)のふたつの世界が描かれる。音楽のアプローチとして、日常場面にはオーソドックスな音楽を流し、芝居の場面には思い切ってドラマティックな音楽をつけてメリハリを付ける方法が考えられる。
1984年版『ガラスの仮面』では、ロックバンドSHOGUNのキーボーディストでTVアニメ『CAT’S・EYE』(1983)の音楽も手がけた大谷和夫が音楽を担当した。80年代アニメらしい、そして大谷和夫らしい、都会的なサウンドのオーソドックスな音楽だ。サウンドトラック盤でも、「紫のバラのひと」「月影のテーマ」などわかりやすい曲名がつけられている。
2005年版『ガラスの仮面』の音楽はアプローチが違う。「こういう場面はこの曲」というわかりやすい音楽ではないし、そういう音楽演出もされていない。
場面場面に音楽がついているのではなく、シークエンス全体にゆったりと音楽が流れている印象だ。シーンをまたがって音楽が長く流れることが多い。
音楽自体も、「こういう場面ですよ」「こういう感情ですよ」と説明する音楽ではなく、さまざまに解釈できる、想像力を喚起する音楽だ。
あらためてサントラ盤を聴き、本編を観て、筆者はサティの音楽を思い出した。
薬師丸ひろ子が主演した劇場作品「Wの悲劇」(1984)に、劇中劇のBGMとしてエリック・サティの曲が流れる場面がある。サティは舞台音楽も書いたが、純音楽として書いた作品も劇場作品や舞台の音楽としてよく使われる。淡々と同一音型をくり返すスタイルが、芝居のBGMに向いているのだろう。存在を主張せず、空気のようにそこにある音楽が、知らず知らず観客の想像力を喚起し、虚構にリアリティを与える。アニメ『ガラスの仮面』の音楽とその使い方も、サティの音楽に通じるものがある。
実際、寺嶋民哉はサントラ盤の解説書に掲載された美内すずえとの対談の中で、本作の音楽について、「ヒーリング系というか、おとなしめに音楽を作りたいという意向もありまして、割と起伏が多くない音楽の付け方をしました」「空気のようにあまり主張しないように心がけて音楽を作りました」と語っている。
『ガラスの仮面』の音楽で印象的なのが、メインテーマである。サントラ盤では「千の仮面」のタイトルで収録されている。メロディは歌曲のような大きなうねりを持ったものではなく、同一の音型をくり返して展開していくサティ的なもの。このメインテーマのメロディがさまざまにアレンジされて、劇中に使用される。マヤの決意も悩みも悲しみも、同じメロディで表現され、解釈は観る者にゆだねられる。この世界全体がひとつの舞台劇であるかのように。これが『ガラスの仮面』の音楽演出のねらいではないだろうか。シンセサイザーを主体にした独特のサウンドも日常と非日常の境界を溶かす役割を果たしている。
本作のサウンドトラック・アルバムは「TVアニメ ガラスの仮面 サウンドトラック」のタイトルで2006年1月にサイトロン・デジタルコンテンツ(現・ハピネット)から発売された。収録曲は以下のとおり。
- 千の仮面
- Pray for aJNjana
- Spice of Feel
- 風光る刻
- Impressive
- 慟哭
- ありし日の憂鬱
- Voce Pathetique
- 懊悩と焦燥
- Physical Sniper
- Crystal Syndrome
- Fountain
- 星と祈り
- Breath of Gaia
- ここより永遠に
- 夢魔
- ASH City
- いとたかき主よ
- Valse pour Nobles
- Dry Manhattan
- 落花流水
- Natural Breeze
- Time healed my sorrow
- 紅天女より『風』
- 紅天女より『火』
- 紅天女より『水』
- 紅天女より『土』
- Promise TV version(歌:Candy)
- zero TV version(歌:幾田愛子)
ラストの2曲は前期オープニング主題歌と後期オープニング主題歌。BGMパートのラストには、劇中劇「紅天女」をテーマにした曲が4曲収録されている。
構成はなかなかユニークだ。ストーリーを追うのではなく、劇中劇も含めた『ガラスの仮面』の世界をまるごと表現するオリジナル・アルバムのような印象。曲名も多くは本編にこだわらずにつけられている。
印象に残る曲を紹介しよう。
まずは1曲目の「千の仮面」。本作のメインテーマである。
ピアノが奏でるイントロにシンセの背景音がそっと加わり、木管の音色によるテーマに発展する。同じ音型をくり返しながら展開していく曲調が耳に残る。第1話でマヤが初めて観た舞台に衝撃を受ける場面をはじめ、物語の要所要所で流れる重要曲だ。
同じメロディをアレンジしたトラック7「ありし日の憂鬱」はハープの音色をメインにしたリリカルな変奏。マヤと劇団員の日常場面などに流れて、やさしい印象を残す。
トラック15「ここより永遠に」は不安や暗い情念を連想させる前半部分からメインテーマを変奏した希望的な後半に展開する曲。この曲自体が1本のドラマのような構成だ。
次のトラック16「夢魔」はケーナ風の音色によるメインテーマの変奏曲。マヤの不安や悲しみ、さびしさを描く場面によく流れている。が、「夢魔」というタイトルが示すように、特定の感情を表現する曲というより、押しとどめることのできない運命の流れを感じさせる曲である。第27話のマヤと母親との別れの場面での使用が切ない。
そして、トラック23「Time healed my sorrow」は弦合奏と木管の音色を主体にしたメインテーマのアレンジ。エピソードのラストに流れることが多く、試練に直面したマヤの想いや運命の転変を伝える曲というイメージだ。毎回の次回予告に流れるのもこの曲である。
本作の中でメインテーマと並んで耳に残る曲が、トラック5「Impressive」だ。ピアノがシンプルな音型をくり返すミステリアスな曲で、まさにサティ的。劇中ではマヤを導く元大女優・月影千草のテーマ的に使用されているので、本編をご覧になった方なら「あの曲か」とピンとくるはず。といっても、使用されているのは月影の場面ばかりではない。マヤや亜弓を成長させる芝居の世界の厳しさを描く曲という印象だ。
この曲のメロディはトラック21「落花流水」にも登場する。水面に広がる波紋を思わせる弦合奏の序奏に続いて、「Impressive」の弦による変奏が現れる。この曲は物語の中盤、芸能界に飛び込んだマヤが大きな試練に直面するエピソードから使用され始めた。暗転するマヤの運命を象徴する曲である。
本アルバムには、いわゆる日常曲がほとんど収録されていない。日常場面に流れる明るい曲はトラック4の「風光る刻」とトラック13「星と祈り」くらい。「風光る刻」はマヤに想いを寄せる少年・桜小路とマヤとの語らいの場面などによく選曲されている。また、トラック12「Fountain」は芝居が成功した場面や劇団が練習に励む場面などに流れていた高揚感のある曲。本アルバムの中では珍しい、オーソドックスな劇音楽的な曲のひとつである。
代わりに強い印象を残すのが、トラック2「Pray for aJNjana」、トラック8「Voce Pathetique」、トラック14「Breath of Gaia」など、宇宙的とでも呼ぶべき、空間系の神秘的なサウンドの楽曲だ。中でも女声コーラスを使った「Voce Pathetique」の美しさは際立っている。この曲、亜弓が演技の冴えを見せる場面などで、亜弓のテーマ的に使用されている。が、むしろ、天才的な演技のきらめき、芝居へのほとばしる情熱を美しいサウンドで表現した曲として聴くべきだろう。
ピアノのキラキラした音色が奏でるトラック22「Natural Breeze」は、第26話のマヤと桜小路との別れの場面などに選曲された曲。これも、悲しみの曲というより、もっと中間色の、タイトル通り「自然の風」を音にしたような透明感のある曲である。
そして「紅天女」を題材にした4曲。1998年に作曲された舞踏用の歌曲をもとにインストゥルメンタルとして作り直したものだ。幻想的にして壮大。スケールの大きい和製ファンタジーの趣がある。『ガラスの仮面』と『ゲド戦記』のあいだは意外に近いのだ。
ドラマを題材にした作品に、あえてドラマティックでないスタイルで挑んだ『ガラスの仮面』の音楽。しかし、その音楽は別の意味でとても劇的=演劇的だ。サウンドトラック盤は入手困難になっているが、本編はネット配信等で観ることができるので、機会があれば、ぜひ音楽と音楽演出に注目しながら観ていただきたい。
TVアニメ ガラスの仮面 サウンドトラック
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