COLUMN

煩悩の数と同じ第108回 意味のある使い回しと、指標の設定

 もう20年くらい前になるが、『名犬ラッシー』というTVシリーズを作った。「日常」というものを大事にしようと思った。偶然にもこの作品の視聴者の中にこうの史代さんという方があり、ずっとTVで観ていただいていたらしい。「この世界の片隅に」をアニメーションで映画にしたいのですが、と最初にお願いの書面をお送りしたときに、「ひょっとして『名犬ラッシー』の監督の方ですか?」という返信をいただいてしまったのだった。
 だが、こうのさんは当時途中以降でバイトが忙しくなってそこで視聴は途絶えてしまったらしい。実はその途中以降で物語の中の「日常」が揺らぐ事件が起こるのだが、そこを観ることができなかったこうのさんの中では、「ずっと続く子供たちの日常」という世界として印象されていたらしい。あくまでひょっとしたら、なのだが、そんなところからお互い今の道に至っているのかもしれないのだった。
 その『名犬ラッシー』なのだが、まず「日常」が展開される世界を観客に馴染みの場所になってもらいたかった。そこで、可能な限り背景のBANKを使おうと考えた。この作品は準備開始から放映スタートまでがたった2ヶ月ほどしかなく、最初からスケジュール的な苦労が必至だったので、その対策としての一石二鳥もあるのだが、何より、自分自身毎日生きていて普段の生活の中で目にする「見た目の風景」は毎日毎日同じアングルで見える、という実感があって、それに根ざしていた。
 布団の中で目覚めて最初に目にする自分の寝室の見え方なんて毎朝同じだ。食卓の定位置について朝ごはんを食べるときに見えるものも毎朝同じアングルからだ。毎日の仕事を終えて家に帰ってきて見えてくる自分の家はいつも同じアングルからの見た目になる。通いなれた同じ道をたどって帰ってくるのだから。
 日々の生活とはそういうものだ。カメラアングルに凝って変化をつけるより、堂々と同じアングルを繰り返してしまうのがよい。
 結局、『名犬ラッシー』ではBANKの背景を使いまわし使いまわし、中には撮影台の上で擦り切れてしまい、同じアングルの背景の2代目を描かなければならなくなった絵まであった。

 『BLACK LAGOON』というTVシリーズも作った。こちらはガンアクションであり、殺戮のインフレーションなのだが、かといって一発一発の銃弾には文字どおり致命的な威力がこもっていなければならない。このときもシリーズ全体を作り始める前に、まずBANKの素材を用意しておこうと目論んだ。
 この場合はもし命中していたらいかにも確実に人が死ぬであろう威力を感じさせる「弾着」を作って、それを壁だろうが、テーブルだろうが、地面だろうが、当たるたびにそこに貼り付けてゆくことにしようと思ったのだった。威力の一番の要点は破片の飛び散りだと思ったのだが、それをインフレ的に飛び交いまくるだろう銃弾の1発1発のために毎回作画するよりも、質の高い弾着を貼りつけまくるほうが効率的で効果的だと思ったのだった。
 そこでまず最初に、発砲炎の照り返しの処理や、空中を飛ぶ弾丸の飛痕をパターン化して用意するための撮影テストと平行して、この弾着の素材も作ってテストを行った。そこそこうまく行ったはず、だったのだが、1話の演出を助監督の川村に任せたら使っていないので、「あれどうした?」と聞いたら、「さあ?」という。どうも素材もテストしたデータも丸ごと失くしてしまったらしかった。BANK素材というのは管理が大事なのだが、スタッフの誰かがその意識を背負っていないとどうにもならないのだった。
 ということでせっかく作った弾着は本番では一回も使えていないのだが、『BLACK LAGOON』では他にも使いまわした方がよさそうなものがいくつかあった。「タバコの紫煙」「建物が炎上する煙」「カモメ」「水面のチラチラ」などだった。それらについては自分自身で演出を手がけた3話を中心にBANK素材として使えそうなものをピックアップして、ストックするのと同時に、使いまわしやすくするためにカタログ作りまで自分の手で行った。

 実は実は、これらの素材のいくつかは、その直後に作った『マイマイ新子と千年の魔法』にまで引き継がれている。『マイマイ新子』ではカモメはたしか1羽くらいしか新作していない。食べ物から立ち上る湯気は、『BLACK LAGOON』のタバコの煙か火事の煙を加工して使いまわしている。
 『マイマイ新子』のエンディングではモンシロチョウが主人公になる。しかし、この映画が2009年初頭に完成したときには、このエンディングはついていなかった。その年の夏までにエンディングの主題歌を決め、それに見合うエンディングの画面を作ることになったのだが、スタッフは解散してしまっているし、手持ちの絵素材をうまく使いまわすしかない。本編中に出てきたモンシロチョウのセルデータを引っ張り出してきて、これに移動目盛を打ち直して様々に変化をつけて動かすことにした。目盛作りは浦谷千恵さんにお任せしたのだが、浦谷さんはすでに本編中でも舞い散る桜の花びらや蛍など、前もって作り置いた作画素材を色々に変化をつけて動かすための目盛打ちをさんざんやってもらっていた。
 本編終盤近くで、新子の祖父が空を指差して日清戦争だか日露戦争だかの折に大陸で見た野鳥の大群のことを語るカットの鳥たちも、大して作画はしていないのだが、異なる軌道をいくつも作って、目盛を打って動かしている。

 その後の仕事でいえば、『花は咲く』でもう一度モンシロチョウが登場する。これは新作した。『マイマイ新子』のときは4枚繰り返しだったのだが、8枚にしてタイムシート操作でもっと複雑な羽ばたきができるように工夫してある。『花は咲く』では、「サキちゃん」と呼んでいたのだが、人々の暮らしを見守る花の精みたいなものが出てくる。お花屋さんでのアルバイト歴があるこうの史代さんのアイディアとデザインで、ガーベラの花びらがひらひら舞うような花の精にすることになった。
 人間が生活を営むところあまねく存在する花の精であり、いつもいつもひらひらしていなければならなかったので、これもある程度何種類か作っておいて、それを目盛に合わせてその都度いろいろな軌跡で舞わせることにした。
 こうした新作蝶々の目盛も、サキちゃんの目盛も浦谷さんに一任した。基本的には作画するときの発想で作るべきものなのだった。位置を変えずにその場でゆらゆらするサキちゃんの配置くらいはこちらでやった。
 できあがった画面の中ではサキちゃんたちがあちこちで動いていて、見ごたえあるものになっていると思う。

 さて、『この世界の片隅に』にも色々な使いまわすべき素材が存在する。サキちゃんと同じように動くタンポポの綿毛は、『花は咲く』よりも前から作っていた。カモメは『BLACK LAGOON』のものから一新したが、これもあちこちに登場することになるだろう。
 ところで、『この世界の片隅に』でインフレーション的に登場するものがさらにあるとするならば、空中で開く対空砲火の弾煙かもしれない。20年3月19日艦載機空襲のときに空から呉を訪れた米搭乗員が、「その上を足で踏んでわたって歩けそうな密度だった」といっている。
 この弾煙も事前に作ったものを張り込んでゆく処理になる。まず丹念に1発を作る。その1発1発それぞれの位置の指定とタイミング作りをしてゆく。やはり浦谷さんに頼んでしまった。1カット内で50発も炸裂するのだからたいへんだ。
 こうして、別々に作業することが多いので、1カットが複数のカット袋に分かれた「別袋」がたくさん発生することになる。必要な全部がそろわないとそのカットが完成しない。
 その後は撮影部の仕事になってゆく。貼りつけのことを「地味な作業です」と彼らはいうのだが、ひれ伏してお任せするしかない。

 すずさんの一家が食事をするカットが動画まで上がってきた。クイックチェッカーに入れてみると、浦谷さんの丹念な作画の上に重ねて、松原さんがこだわりにこだわった箸の手に取り方が加わって、味わい深いものになっている。懐かしいような、日常の雰囲気。
 けれど、まだちょっと満足にたらないところがある。
 とりあえずの応急処置として、動画のタイミングを打ち変えて、不満足部分を目立たせないようにしてみる。
 「今はこのままにしておくけど、いずれもう一回絵を足して直しましょう。このカットは作品全体の『ランドマーク』になるものだという気がするから」
 と、松原さんがいった。

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