COLUMN

第106回 希求する道程

 2014年12月7日に開いたイベント「ここまで調べた『この世界の片隅に』5」では、司会の小黒さんがちょっとしたことをぶち上げた。この連載コラムのひとつ前に書いていた「β運動の岸辺で」という連載を単行本化しようとしている、ということだった。
 実は、その話はちょっと前から動いていて、短縮と加筆の両方を含めた原稿の改訂にはもう手をつけていた。毎週毎週バラバラに載せていたものを一本にまとめようとすると、何かタテ糸のようなものが必要になってくる。それは、実はすでに書いてあったものの中に内包されていたように思った。原稿をひと続きにして読み直すことで、それが再確認できたように思う。
 それは、テレコムという場所が宮崎駿という作家にとって「約束された場所」ではなかったということであり、同じくものづくりする自分自身の「場所」を求める近藤喜文さんの姿であり、自分自身が「場所」を探そうと足掻きつつたどる道程であったように感じられたのだった。これはものづくりに挑むための場所を希求する人たちの群像劇なのかもしれなかった。

 もともと「β運動の岸辺で」というタイトルは、知覚心理学的な観点からアニメーションの動きの原理についてのあれやこれやを述べていけないかと思って考えついたものだったのだが、いざ書き始めようとすると自分の知識の浅さを思い知らされるばかりで、そうしたこともあって、ここのところ知覚心理学の研究者の人たちとの共同研究会を開くようになっている。
 前にも書いたが、12月21日にその一連の研究会の1回が行われた。前のときには、アニメーション史の研究者であり知育玩具にも関わっておられる叶精二さんに登壇していただいたこともあったのだが、この2014年12月の研究会にも叶さんは来ていただいていた。研究会後の懇親会で「今、あの連載をまとめ直しているんですが」といってみたら、叶さんは興味を示された。
 叶さんは、テレコムからジブリにかけての作品制作についても調査を続けられていて、大塚康生さんにはほとんど貼りつくような取材もされていた。例えばターニングポイントとなった作品『NEMO』の経緯の中で、どういう出来事が何月何日のことだったのか、そうしたデータも蓄積しておられた。
 自分の原稿はある種オーラルヒストリー的なものなので、できるだけ自分の記憶のみに基づいて書くべきで、こうした回想録的なものにうっかり事後知識を混入させるのは好ましいことではないという思いがあった。飛行機の歴史や『この世界の片隅に』に関連した戦前・戦中の様相を調べるために、いろいろな本を読んだり人の話を聞かせてもらう中から感じていたことだった。
 だが、叶さんからは、
 「出来事の前後関係、時系列の中での位置ははっきりさせておいてもらった方が、歴史研究者としてありがたい」
 という意見があり、いくつかの出来事の日付のデータをいただくことになった。
 もらった日付たちが織りなす時系列の中に自分の記憶をはめ込んでいくと、さらにいくつもの記憶が蘇って現れてきた。
 だがそれと同時に、叶さんのデータを眺めていて、アニメーション史研究上で空白となったり不明点となっていたりすることが意外にもたくさんあるらしいことを知ることにもなった。叶さんとても何人もの関係者への調査を積み重ねられておられるのだが、どうもそうしたみんなが大なり小なり忘れてしまっていることが多いらしかった。でありつつ、自分自身の中には鮮明な記憶が残る出来事だったりするのだが。

 例えば、1984年に作られた『NEMO』パイロットフィルムのいわゆる「近藤版」のいきさつなどだ。近藤さんがひとりで絵コンテをとりまとめ、テレコム社内でもベテラン組の原画マンだけで作画され、エグゼクティブプロデューサーのゲーリー・カーツ氏や近藤監督が退任したあとの1984年12月に完成したものである、というのが「最前線の研究結果」だったらしい。
 けれど、覚えている限りでは、社内のみんなで調布の東京現像所まで行って、完成したフィルムを試写したあとで、深大寺植物園に桜の花見に行っている。これから国際配給の映画を作るのだという前途洋々とした気分でいた覚えが確かにあるのだった。映像が完成したのは84年4月なのであり、84年12月というのは音響を追加した時期なのだと思う。
 近藤版『NEMO』パイロットフィルムの絵コンテは、実は半分が僕自身の字でト書きが書かれていた。あと半分は友永さんの字だった。近藤さんと3人で打ち合わせして、絵コンテのカットを作る作業は友永さんが行い、僕がそれをとりまとめ尺入れをして絵コンテとして完成させたものだったのだ。
 手元にある絵コンテは、このパイロットフィルムで原画を担当した1人、浦谷千恵さんが持っていたものだったが、原画の割振りもメモされていて、全員テレコム新規採用1期生以降の若手で作画されていたこともわかる。
 なにより、近藤さんは大作映画のストーリーを作り上げなければならない時期だったのであり、パイロットフィルムはその間の現場の活用策だった。

 こうした自分の中にある「歴史研究上の新情報」を提供すると、叶さんはきちんと裏取りをするために大塚さんへの問い合わせも怠らなかった。大塚さんももう83歳になっておられた。
 大塚さんからは、叶さんを通じてこんな伝言をもらった。

 「これまで本当に苦労が多かったので、今後は自分の仕事をじっくり残してほしい」

 苦労は今も絶えない。
 足掻きつつたどる道程はずっと続いている。

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