SPECIAL

西村義明プロデューサー インタビュー
第1回 線の向こうにある本物を

 2013年11月に全国劇場公開され、大きな話題を呼んだ高畑勲監督14年ぶりの新作長編『かぐや姫の物語』。日本最古の物語と言われる「竹取物語」を、現代に通じる示唆に富んだストーリーとして再構築するとともに、高畑監督が志す「アニメーションの理想的なかたち」をとことん追求した破格の意欲作でもあった。約8年にも及ぶ制作期間を費やした舞台裏のドラマは、本編に匹敵するほど興味深い。企画から完成まで、高畑監督らと苦楽をともにしてきた西村義明プロデューサーに、たっぷりとお話をうかがった。

PROFILE

西村義明(Nishimura Yoshiaki)

プロデューサー。1977年、東京都出身。2002年にスタジオジブリ入社。『ハウルの動く城』『ゲド戦記』『崖の上のポニョ』の宣伝に参加後、『かぐや姫の物語』プロデューサーに就任。ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』にも出演している。

取材日/2013年11月28日 | 取材場所/東京・スタジオジブリ第7スタジオ | 取材/小黒祐一郎 | テキスト構成/岡本敦史

── 8年間おつかれさまでした。

西村 あ、いえいえ。

── いきなり的外れな質問かもしれないんですが、今回の『かぐや姫の物語』は、20世紀末に高畑さんが企画していた「絵巻物のようなアニメーション」とは、別物の企画なんですか。

西村 それとは別物です。「平家物語」を鳥獣戯画でやるという企画が、僕が担当になる前にはあったみたいですけど、企画としては随分前に潰えています。僕が担当に就いた頃には、そういう話は一切なかったですね。

── なるほど。

西村 日本のアニメーションが、絵巻物や浮世絵といった日本の絵画の流れを汲んでいる、みたいな話は高畑さんとよくしていました。ただ、具体的に「絵巻物みたいなアニメーションを作りたい」という話は一度もしていませんね。

── すると『かぐや姫』という題材を選んだ段階で、今のスタイルになった?

西村 いや、違います。これはもう『(ホーホケキョ となりの)山田くん』のあとから、この描線で、スケッチ風の淡彩の画面でやりたいという意志が、高畑さんの中にありましたから。企画がどんなものになろうと、このスタイルで作ることは決まっていました。高畑さんって、いつも「表現と内容は必ず一致していなければならない。作り手はそれを考えるべきだ」と言ってますよね。だけど、今回の作品に関しては、この表現が先にあった。

── 現場では、高畑さんがどうしてこの画でやりたいかという話をされたりしていたんですか。

西村 ずっとおっしゃってましたね。「線の向こうにある本物を」と。人形アニメなんかは、実在するものを1コマずつ動かして撮っているじゃないですか。そうすれば当然「実在感」は得られますよね。本当に人形はそこに存在するんだから。フルCG立体アニメーションも、バーチャルに作られたものですけど、それを実在させるべく仮想空間に置き、影をつけたりして動かしているわけです。そうすると本当に実在しているかどうか、つまり、今見ているものそのものが本物らしいかどうかを観客は意識しちゃう。それがいいか悪いかは別にして、たとえピクサーのように様式化されていても、ある種の「リアルさ」を追求せざるを得ないのではないかと。

 高畑さんとしては、その逆に行けないかという考えがあったんでしょうね。本物を見ながら、それをスケッチに落とし込んでいく。そうやって、ある動きの一瞬一瞬を捉えたスケッチ的な絵を何枚も重ねていく様式。その線で描かれたそのものが本物だと主張するわけではなくて、そのスケッチ的な描線の向こうに、絵描きが捉えようとした本物を想起させるような画面は作れないだろうかと。

── 確か『おもひでぽろぽろ』の頃に、高畑さんが『じゃりン子チエ』を例にしておっしゃっていと思いますが、例えばあるしぐさをアニメーターが観察して、自分の中に一旦取り込んでから紙の上に出力することによって、いかにもそれらしくなるんだ、と。ロトスコープのように実写映像をそのままなぞるわけではなく、いちどアニメーターのフィルターを通して出力されたものが本物の表現になるんだ、といった話をされていました。そういうことでしょうか。

西村 多分、通じる話だと思います。高畑さんは、ご自身の作品を「クソリアル」と表現することがあるんです。リアルには「リアリズム」と「リアリティ」があるじゃないですか。高畑さんって、ある時期まではリアリズムを追求してきた方だと思うんですよね。『おもひでぽろぽろ』なんかも、いろいろ整理はされてますけど、やっぱりリアリズムで描かれている。でも、それから時を経て作られた『山田くん』は、リアリズムじゃないですよね。あれはリアリティだと思うんですよ。

── そうですね。

西村 高畑さんとも話したことですけど、日本語でリアリティと言うと、リアリズムとあまり意味が変わらないんじゃないかと。高畑さんが『山田くん』で求めたのは、やっぱり「実感のあるリアリティ」なんです。そのものは本物じゃないかもしれないけど、「あっ、感じが出てるね」「人間ってこうだよね」と思えるような、もっともらしさみたいな感じを描こうとしてますよね。今回の『かぐや』もそうだと思います。

── 分かります。

西村 高畑さんもそうだし、田辺(修)さんもそうですね。必ずしも写実的な動きや見た目ではないけど、「人間ってこうだよね」という感じを出そうとする。それを実現するためには、この描線がすごく適していたんですよ。ラフな描線なり、塗り残しなり、曖昧な部分があるからこそ感じが伝わるってことがあるじゃないですか。これを今の一般的なアニメーションの均質な線で描いていったら、その感じが消えていきますよね。

── そうでしょうね。

西村 そこを評価したのが、ジョン・ラセターですよね。彼がここに来たとき、試写室で『かぐや姫』の3分間の映像を観てもらったんです。本当に驚いてましたね。ラセターたちはフルCGアニメーションをやっていますけど、最初はデッサンから始めるじゃないですか。うまいアニメーターたちが描いた活き活きとした画が、フルCGになった途端、元々持っていたはずの生命感を失ってしまう。それはラセター自身が何度も経験していることだし、ディズニーのセルアニメーションにしても同じことだと言っていました。アニメーターがザザッと描いたラフな線が持つ生命力を、そのまま画面に出すことは本当に難しい。ラセターは「失われてしまった命のエネルギー」と言っていましたけど、アニメーションという言葉はそもそもラテン語のアニマからきていて、命を吹き込むという意味を持っていたはずなのに、それが失われることのほうが多かった。でも、この作品はもう一回その生命を取り戻す画期的なアニメーションだ、と言ってくれました。ラセターにはその意図が伝わったし、観てくれた方もそう思ってくれたんじゃないでしょうか。

── それは制作初期から狙ったことなんですね。

西村 そうです。高畑さんは、それしかやりたくなかった。

── 高畑さんは、セル画と背景の組み合わせでリアリティのあるアニメを作る手法を確立して、それを理論化した人じゃないですか。そういう手法に関して、高畑さん自身は「やり尽くした」みたいな意識があるんでしょうか。

西村 いや、そういう「やり尽くした」とか「100%できた」みたいなことは絶対に言わない方ですから。自分のなかで、ある程度は到達できたという感覚はあったでしょうけど、その先に何があるのかということに関しては、懐疑的だったんでしょうね。90%できているものを100%にする作業に、あまり面白さを見出さないということだと思います。「(その先に)何かあるのかな、面白いものが」とは、常日頃から高畑さん自身がおっしゃっていましたし。

── ご本人がそうおっしゃっていたんですね。

西村 うん。「もうジブリ・アニメみたいなものは絶対やりたくない」ともおっしゃってました(笑)。

── それは、いわゆるリアルで緻密な背景と、整理されたキャラクターで構成されたような、ジブリ・ブランドのアニメってことですか。

西村 そうです。緻密さを追求していった先に何があるのかと考えて、自分がそこに入っていこうとは思わなかったんでしょうね。

── 高畑さんは、そういうことをいつ頃から思われてたんでしょうか。

西村 50年も前から、そういう考えの基本はあったと言っていましたね。

── 『おもひでぽろぽろ』でも、リアルな現代編と、ややリアルではない過去編に分けるというやり方で、すでに全編リアルには描かない方向に行ってますよね。

西村 そうですね。『狸(平成狸合戦ぽんぽこ)』もそうですし。

── 『狸』もメタモルフォーゼをポイントにして、古典的なアニメの魅力を取り戻そうとしたところがあります。あの頃から、高畑さんはリアル志向だけじゃないものを作ろうとされてたんでしょうね。

西村 そうだと思います。やっぱり、リアリズムの人ではないんですよ。血液型がO型だというのも関係してると思うんですけど(笑)。みんな、高畑さんのことを完璧主義者だと思ってるでしょうけど、全然違うと思いますね。

── そうなんですか。

西村 直感の人ですよ、高畑さんは。宮崎(駿)さん以上に直感の人だと思います。例えば「熱風」で高畑さんが書いてきた「一枚の絵から」という連載がありますよね。あれを読むと分かりますけど、高畑さんって絵を見た瞬間の直感を信じる人なんですよ。そこから、そのとき自分が何を思っていいと感じたのか、ということを理屈づけていく。

── まず直感ありきで、そこから理論が始まるんですね。

西村 そうです。例えば、僕が「こうしたらどうですか」とか言うと、即座に「あ、いい!」とか言うんですよ。普通は理屈っぽい人って、理屈を組み立ててから評価して判断を下すと思うんですけど、高畑さんはすぐに反応するんです。その直感力みたいなものが非常に鋭い方ですね。で、あとから「なぜいいのか」という理屈を言ってくるんです。だから、最初の直感を訂正するときもありますけどね。

── ああ、理論化していくうちに「違うな」となることもあるんですね。

西村 ラッシュチェックのときも「いい」「悪い」のザックリした判断はすごく早い。これが成立しているかしてないか、即座に見切る。だから、いわゆる理論派の完璧主義者ではないと思いますよ。この作品だって、本人が不完全だと言ってるぐらいですから。

── え、高畑さんが「不完全な作品」だとおっしゃってるんですか?

西村 うん。「完璧じゃないけど、大体こんな感じ」というものでよしとするんだから、やっぱり完璧主義者ではないですよね。いろんな細かい間違いもありますし(笑)。

── 劇中で?

西村 あるはずの着物が消えちゃってるシーンとかあるんですよ(笑)。

── それはもうリテイクはしないんですか。

西村 もう間に合わないですね。

── ちなみにどこなんですか。

西村 かぐや姫と御門が会うところで……これ、あんまり言わないほうがいいのかな?

一同 (笑)

西村 御門が、かぐや姫の着物を持ってるじゃないですか。で、着物をふっと落とすんですよ。

── はいはい。

西村 床に落ちてるはずなんだけど、ないカットがあるんですよ。

── なるほど。観客は月の世界の力が反映された不思議現象だと思ってくれるのではないですかね。

西村 ということにすればよかったんですけど、高畑さんが1カットだけ復活させちゃったんです。そのせいで間違いがハッキリ分かるようになってしまった。

── ああ、不思議現象ですらなくなったんですね(笑)。

●『かぐや姫の物語』公式サイト
http://kaguyahime-monogatari.jp/

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