COLUMN

第57回 ああ、誰にもふるさとはある、ふるさとはある

 どうも「ご当地もの」が苦手だった。あちこちの土地土地が描かれるのをあっさり眺められるのは、それはそれで楽しい感じもあるのだけれど、その土地ならではのことにちょっと突っ込んだ話運びになると、途端に苦手感が現れてきてしまうのだった。その土地に流れる時間に比べるとほんのわずかなひとときに過ぎないあいだだけやってきた連中が、上っ面だけさらうように何かを描いたとして、かえっていたたまれないだけの感じを鳥肌のように覚えてしまうのだった。
 自分自身はというと、はっきりした故郷を胸の中に定められない。プロフィール上は「大阪府出身」ということになっているが、大阪といって大阪市内に生まれたのではなく、いたのは9歳までで、それからも親の転居の都合であちこち移り住むことになり、両親は最後には千葉で団地住まいをしている。
 そんな土地ができたかもしれないのは、結婚して子供が生まれ、毎夏を妻の実家で過ごすようになってからだった。子供が小さかった頃は仕事もたいしてあるわけでもなく、ほとんどひと夏をそこで過ごした。海も近く、川のせせらぎでも泳ぎ、夕方になれば子供の散歩にかこつけて漁港まで出かけては夕方の海の向こうの島影を眺め、クワガタを採りに夜の森に出かけ、流れ星の降る空を眺めた。妻とその兄も子供の頃からのマンガの蔵書に読みふけり、雨の日には東京から持ってきた絵コンテの仕事を夏休みの宿題のように広げた。窓の外を見ると、木の枝の下でトンビが雨宿りしていた。20数年間、毎年毎年の夏をそうして過ごした。
 その20数年も終わりに近づいたある年、この町を訪れると、全国放送の朝の連ドラの舞台となったらしく、観光絡みの施設のあちこちがドラマの題名で埋まっていた。取ってつけたような「町おこし」には、背を向けたくなってしまうたちなので、このときもやっぱりそっぽ向いていた。
 やがて、妻の母が亡くなった。そのなきがらを病院から家まで運ぶところまでは辛うじて手伝えたが、不義理にも通夜にも葬式にも顔を出せずに、『BLACK LAGOON』の東南アジアロケハンに旅立たなくてはならなかった。仕事はそんな具合に、ときに切羽詰るほどテンコ盛りになってきていたし、子供たちもみんな大きくなってしまい、それぞれの夏休みの予定ができてしまうようになると、なかなか田舎へ向かうのも難しくなった。やがて、1人残り住んでいた妻の父から、別の土地の介護つきマンションに転居したというハガキが届いた。どうやら自分の「夏だけの故郷」はなくなってしまったらしかった。

 そんな自分が、『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』と、人様の故郷を映画に描くことが増え、少し考え方が変わってきている。TVドラマ「あまちゃん」に絡めて岩手を訪れて、そうしたものを通じて活気づいた土地の人の心に触れる機会を持っち、さらにもうちょっと何かを見つめ直してみようという気持ちを抱くよい体験になった。「あまちゃん」の放映が終わり、その流れで、やはりかなりおもしろいとうわさに聞いた朝の連ドラ「ちりとてちん」の再放送が始まったのを観始めた。
 ぼんやりしたまま観始めてちょっとくらくらした。このドラマの舞台は、かつて夏休みのたんびに過ごしていたあの町、福井県小浜市ではないか。
 まだ小学生だった主人公が運命の女友だちとはじめて出会う場面のこの浜辺はよく知っている。自分の子供たちがまだ小さかった頃、大きな乳母車に浮輪を乗せて水遊びに来たあの浜だ。この防波堤は、用もないのにただ海の香りを感じたくてぶらぶら散歩を重ねたあの漁港の堤だ。主人公が幼い頃に祖父を亡くす病院は、妻の母の最期を看取った同じ病院だ。古い雰囲気に惹かれてそぞろ歩いた昔の遊郭跡の三丁町。高校生になった主人公が遅刻を免れようと走るこの橋は何度となく渡った。
 この郵便局も、バス停も、町角も、さらにその奥遠くに見える様々なものも、町の全景カットを捉えるカメラが据えられた高台も、みんなよく知っていた。そうした画面を目にするだけで、わけもなく心が躍るのは、自分が生まれ育ったわけでもないその土地が、なつかしい故郷になっていたからなのかもしれない。
 それだけで十分よかったのだが、ドラマは五木ひろしの「ふるさと」をテーマソングのように使っていた。昔まだ自分たちが若くて自動車を持ってなかった頃、何もすることがなくて暇だろうと、親戚の中で車を持っていた妻の伯父さんがドライブに連れて行ってくれたことがある。三方五湖を見おろす梅丈岳の山の上に歌碑があって、手で触れるとこの付近の出身者である五木ひろしの歌が流れる仕掛けになっていた。それが「ふるさと」だった。たぶんNHKの人もシナリオハンティングでここへ来てそういうストーリー運びになったのだとは思うのだが、梅丈岳も画面に現れて懐かしかった。この伯父さんには御礼代わりに、昔の小浜の航空写真の超大判のものを贈ったのだが、
 「わしの青春の頃の小浜や!」
 と、喜んでもらった気がする。航空写真なんかをいじるようになったそれが最初だった。その伯父さんもすでにこの世にない。いろんな感慨がこみ上げてくる。
 「映画は観客の心の中にあるものと合わさって完成する」
 というのは自分が普段から述べていることだが、ああ、誰かの故郷を映す、というのはこういうことだったのか。

 といった感じに意外にも自分の中のローカルを発見してしまったということのほかに、まだちょっとだけある。
 ここから先は多少のネタバレになってしまうのだが、より大事な話。
 上方落語の世界を描いた「ちりとてちん」のドラマの中で、落語は大きな劇場の漫才なんかのお笑いの間に挟まるプログラムとして番組化されるか、さもなければ落語家たち自身で落語会を開ける場所を探すしかなく、落語だけの常設劇場がないという現実が登場人物たちの前に立ちはだかっている、という話運びになっている。彼らはそうした壁に立ち向かい、しかし、これまでのものとも融和しつつなんとかしようと足掻くことになる。ある種カタチが定まってしまっている興行形態だけに飽き足らないとしたとき、どんなふうに自由を求めて行くのか、という話なのだ。そういうところに人ごとと思えないものを感じてしまって、深く共感の念を抱いてしまっている。
 自分の作るアニメーションは、どうもカギかっこで括られる「アニメ」一般とはちょっと違うところにあるような気がする。単純にいって客層が完全に一致してはいない。一方で、実写映画のファン層は、どうもアニメというだけで気分が遠ざかってしまう心理が働くものであるらしい。そんな間にあって、作品自体のできあがりをもって世間的認知を獲得してゆくしかなく、そのためには、上映が始まってから認知が広まるまでのそれなりの時間が必要だ。そういうものは、効率重視の現代的な工業システムの中では異端であるともいえる。だとするとそれこそ興行のやり方そのものから考えていかなくてはならないのかもしれない。
 そういうことは『アリーテ姫』の上映を通じて悟り始めていたことだったし、だからこそ『マイマイ新子』でも割と早いうちから「こんなふうにやるべきだ」ということ主張していて、にもかかわらず、何かの慣性の働きで当初は従来どおりの興業形態になってしまっていたのだったが、途中から制作現場側からいろんなサジェスチョンを行って修正を試み、結果的にそれが功を奏したと思っている。次こそは、次こそは最初から道をきちんと定めて挑みたい。
 思えば『マイマイ新子』の上映で全国あちこちの映画館を巡った経験のすべてこそ「出発点」だったのであり、それもまた自分自身の「ふるさと」であるのかもしれない。と、とりあえずまとめておくことにする。

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