「エースコンバット5」の脚本の仕事が、完全に自宅での作業となったのは、いくつか考えた『アリーテ姫』の次回作企画が軒並み座礁してしまっていたからだった。実は結構な数の企画を出していたのだが、どうしたことかその全部がうまく実らなかった。
ものづくりするものの道には色々あるのだが、自分はどちらかといえば寡作なのだから、これから作るものもこれまでと同じひと色の中なのだろうと見られてしまいがちなところがあった。次に作るものは明らかに『アリーテ姫』とは違った色合いを目指したいと思っていたし、ここで「エースコンバット5」ではことさらに『アリーテ姫』とも「エースコンバット04」とも違う道を辿ってみたかったし、そうするべきだと思っていた。
こちらで構成表を書いては、メールでナムコの取りまとめ役である河野さんに送り、それに対してナムコのスタッフたちの意見が投げ込まれたものが送り返されてくる。それを眺めながら、それならばああいうことができるな、こういうこともできるな、と脳裏に膨らます。膨らませては文字に打ち、また河野さんに送る。
ナムコの方でも、こんな要素を盛り込んでほしい、と送られてくるものがある。そういうものを取り入れようとするうちに、ナガセ・ケイは、失われた彼女の子ども時代を取り戻そうと、失くしてしまった本を思い出しては、そこに書かれていたはずの物語を書き綴る人になってゆく。
行方不明になった万年大尉を救出するという段では、彼を乗せて地上を走る車がゲーム内に登場するゲーム面にしたいといわれ、といいつつ、無線から聞こえてくるセリフ運びだけで物語らなくてはならないので、ここぞとばかりちょっと謎の女“少佐”を同じ車に乗せて、ちょっと妖艶にしゃべる声を聴かせてみたりする。
登場人物はどんどんと増え、そのたびごとに自分の中に住む人物のバリエーションをまたひとつ増やせた気分を得てゆく。それはかけがえがない。
ときに内容だけでなく、なぜ自分がストーリーのその時点でそんな展開をとったかを説明するものも書いて送る。それは両者で別々に進んでいる作業を摺り合わせるために必要なことだったので、それだけでもそうとうな回数のメールになったはずだ。
その多くは、午前3時、4時に送られていた。こちらは早寝してしまって、夜中を過ぎて起きだしては、夢を見るうちに整理された記憶を使って、何ごとかを書く。それを送ると、ナムコの側ではちょうど夜中まで続いていた作業にひと段落ついた時間帯にあたる。くたびれきって家に帰ろうとしている人をつかまえて論争を仕掛けたりするのだから、自分の厚顔にはまったく恐れ入る。けれど、河野さんには辛抱強くこれに相手してもらうことができた。
関係する国境線の地理的な位置関係を確認しなければならなくなったときなど、即席にアスキーアート的な地図をメール上に直接描いて、送りつけたりもした。
河野さんは、これら一連のメールのやり取りを全部データ化して今でも持っておられるという。前回にも書いたが、こちらからのメールは685通。河野さんからのメールを合わせれば、合計1300通、データ量にして11ギガバイトを越えてるという。それは少なくともこの2人の間では、かけがえのない豊かな時間として記憶されたものになっている。
『アリーテ姫』の次回作が定まらなくともへこたれずにすんだのは、こんなふうだった「エースコンバット5」の共同作業を経験できたことが大きい。
「エースコンバット5」は2004年秋に完成して発売となる。この年の夏には、プロデューサーの丸山正雄さんに「何か仕事はないでしょうか?」と相談している。
丸山さんは、いつでも3つくらいは仕事の候補を並べてくれる人だ。
このとき2、3の原作本を与えられ、さらにその後にいくつか追加になった。中には、絵本をもとに短編アニメーションを作る、というものまであった。この時期に丸山さんの方から示された企画の中に『BLACK LAGOON』や『マイマイ新子』があった。
「こっちとしての本命は別にあったのに、まさか片渕君が『BLACK LAGOON』を選ぶとは思わなかった」
と、あとでいわれた。あまりにもこれまで見せていたカラーと違いすぎるので、
「いっそ今回はペンネームを使ってもらった方がよいのじゃないか」
という議論まで丸山さんたちの間であったという。だが、『エースコンバット5』の“アナスタシア少佐”から、『BLACK LAGOON』のバラライカ大尉までの距離感は、こちらにしてみれば案外小さいのだった。
『BLACK LAGOON』では最初は、エピソードごとに監督を立てて好き放題やらせる、片渕君はシナリオのとりまとめだけやってほしい、といわれていたのだが、結局、全部自分でやることになった。
2004年の11月だったと思うのだが、『BLACK LAGOON』の原作者・広江礼威さんと小学館近くの中国料理屋で初めての顔合わせをもった。このとき、
「『エースコンバット04』のインサイドストーリーの脚本をやった者です」
と、自己紹介したら、どんな奴に自分のマンガをイジられてしまうのだろうかと警戒していた広江さんの疑念が払拭されたらしく、
「あ。じゃあ、お任せして大丈夫です」
と、なった。広江さんはこのゲームをすでに経験していたのだった。実は、この時点で潜水艦の話まではもうこっそりと絵コンテにしてしまっていたので、ここで駄目だといわれたら相当困っていたはずだったのだが、「エースコンバット」をやっていて本当によかったと思う。
『BLACK LAGOON』は久々のTVシリーズとなったが、時間とスタッフをかなり与えてもらったので、全うすることができた。放映自体を間で3ヶ月停めてもらって、後半戦の時間を稼いでもらったりもした。なので、第1期、第2期といわれているものは、自分たちにとっては本来ひとつながりのものなのだった。そうして時間を作ってもらっても、それでも2006年暮の最後の最後はもうくたびれきってヘロヘロになっていたのだが、けれど、その時点ではもう、次回作『マイマイ新子』のおおまかなプランができていた。
2006年12月に『BLACK LAGOON』の最後のエピソードは完成し、編集スタジオで完成したその場から各地の放送局へビデオテープが発送(実はスタッフが自分たちで、あるいは飛行機に乗り、あるいは新幹線を使ってハンドキャリーした)されるのを見送った。
数日だけ休んで、翌2007年1月から、のちに『マイマイ新子と千年の魔法』と名づけられる仕事に本格的に着手する。『マイマイ新子と千年の魔法』は2008年12月にいったん完成し、翌年夏にエンディングの曲と映像を追加し、完成する。
『BLACK LAGOON』24本には少しばかりやり残した感じがあったので、こちらから提案して、OVAとしてもう数本作り足させてもらった。このための広江さんとの連絡や、プランニングは『マイマイ新子と千年の魔法』と並行して行っていた。このOVAの仕事は2011年6月に終わった。もちろん、OVA『BLACK LAGOON』と並行して、次の何かは仕掛け始めている。
そして、今に至る。