4月11日の夜、アグアスカリエンテス国際映画祭のオープニングで『マイマイ新子と千年の魔法』が上映されたあと、映画祭の本部になっているホテルでパーティがあった。
パーティって、グラス片手に色々な人と話をするわけなのだが、この時点では通訳の畑中さんがついていてくださったので、今にして思えばなんとかなっていた。
「もののけ姫ごっこ」みたいな野外体験キャンプを子ども向けにやっているのだ、というご夫婦。
「先ほどのオープニング上映のあと、現地メディアの囲み取材を受けているカタブチ監督」という絵をキャンバスの半分くらいに描いてきた画家のリムさん。残り半分を別の何かで埋めて、完成させるのだという。
などなど。
終わって自分の泊まっているホテルの部屋に帰って、寝て起きると、部屋の電話が鳴った。下のロビー迎えに来てるから降りてきてくれ、というその声は英語だった。どうも、アクシデントがあって、通訳のやりくりができなくってごめんなさい、みたいなことをいわれてるみたいだ。てっきり朝食の迎えに来てくれたのだと思ったので、その迎えの彼の車に乗った。
乗って動き出してから話をよく聞くと、これからワークショップを始めるので、という。この映画祭でのワークショップが何をするところなのか聞いていなかったのだが、とりあえずいつもやっているみたいにパソコンの中の画像とかをプロジェクターで映せるようにしておいてほしいというリクエストは出しておいたのだが、その肝心のパソコンを部屋に置いてきてしまっている。昨夜も勝手がわからないままパソコンを持ち歩きまくって、結局使うところがまったくなかったので、今日はもう朝食にはもっていかない、と決めたのだが、朝食ではなかったのだ。
迎えの人はセシリオといったが、彼になんとか伝えてホテルに戻ってもらった。この街は一方通行ばかりなので、Uターンがきかず、グルグル細い道を回りながら戻る羽目に。
セシリオは、日本語の通訳はいないが、自分が英語からスペイン語に通訳してあげるから、と英語でいっている。それくらいはギリギリ聞き取れたのだが、話す方は大丈夫なのだろうか、ワタシ。
ワークショップをやるから、といわれて連れてこられたのは、昨夜パーティの会場だった瀟洒なホテル。
広間のテーブルにプロジェクターが据えてあって、4人のメキシコ人が囲んで座っていた。そこに自分も加わり、となりにセシリオが座ってくれた。
どうも、ここに集まったアニメーション作家たちが、1人ずつ自作のショートムービーを映写し、その後に制作過程の資料を映写して解説する、ということであるらしい。そういえば到着した日にうっすら聞いた限りでは、カンヌで賞をとったこともあるメキシコ有数のアニメーション作家カルロス・カレラも参加するのだといっていた。このテーブルを囲む自分以外の5人の中にカルロス・カレラがいるのだろうか。
最初に、明らかにカルロス・カレラではなさそうな若者が作品を映写した。
人形アニメの短編。地獄の底であるらしい。そこに1人の男がいる。男はそこでパントマイムを覚える。実際には存在しないロープを引く仕草をする。そうした末に、実際には存在しない梯子段を登って、地獄の空の上へと去ってゆく。短編の映写後に、メイキングの紹介があって、人形はグリーン・バックで撮影して、背景を合成した、といっている。
作者はホセ・ルイス・サタルノ君。メキシコ人だが普段はモントリオールで仕事しているらしい。陽気な男。カナダでは日本人の友人もいるということで、「ナットウ」とか「ワサビ」とかも口にしたことがある、のだそうだ。
「ワサビが辛い辛いといわれて、辛いのなんてオレはメキシコ人なんだぜ。大丈夫! って食べたんだ。そしたら鼻から口から、ぶわああっ」
と、サタルノは英語で喋ってる。その場でメキシコ人でないのは明らかに僕1人なので、僕のために一同英語で会話してくれている。
セシリオが聞いてくる。
「何かコメントを」
コ、コメント? え、英語で?
「日本には小説があって。芥川龍之介、知ってます? 『蜘蛛の糸』。クモってスパイダーのことで」
以下、糸が垂れて来るとところはやむを得ず手真似。一同、ぽかんとしている。
セシリオがフォローしてくれる。
「あなたがいいたいのは、『similar』ということか?」
「イ、イ、Yes! I want to say similar、similar!」
そこでなぜかご飯が出る。メキシコ料理。ワークショップのテーブルでランチ食べつつ、というのは洒落ていてよい感じ。何より朝ごはんを食べてないので助かった。
次は、エリック・デ・ルナとセルジオ・ヴァラスケス・モンティルの2人組の人形アニメ。仲の悪い夫婦がいて、亭主が配達されてきた新品の掃除機で女房の愛犬を吸い取ってしまう。それから女房も吸い取ってしまう。最後は自分も吸い取られてしまう。映写後にメイキング解説。これは12年かけて作ったのだという。家のセットはこんなふうに作った、何部屋かある部屋ごとに基調色を変えてみた等々。
セシリオが聞いてくる。
「何かコメントを」
「よ、よいんじゃないでしょうか」
「ほかには?」
「……」
窮する。
セシリオは色々段取りも教えてくれる。
「今日はここにいる半分の人が作品を紹介する。あなたは今日だ。明日は残りの半分とカルロス・カレラ」
「了解」
持ってきた自分のパソコンにRGBケーブルを接続して、『花は咲く』を流させてもらう。一般に対する上映ではなく、ごくこぢんまりした内輪でのことなので、許していただきたい。
映す前に、これはTVプログラムのための作品で、「ツナミ」がテーマだ、といってしまう。端的に「ツナミ」という国際語で語ってしまうことしか、自分のボキャブラリーではできない。だけれども、災害そのものは描かれない。描いているのは人々の生活だ。
セルシオが鋭く突っ込みを入れてくる。
「過去の生活? それとも未来の?」
そう、そこが大事なのだ。
短編を写した後は、撮影素材だとか設定資料だとかのメイキングを映すことになっているのだが、『花は咲く』のメイキングではなく、「ネクスト・ワーク」の方を見せることにする。『花は咲く』のキャラクターデザインをしてくれたマンガ家の作品『この世界の片隅に』の映画化。タイトルは「In the small corner of this World」という英語にしてみた。
「いい題名ですね」
「ありがとう」
広島の失われてしまった街並みを、レイアウトの上で再現する試み。
「ここにもやはり生活があった。それを描きたい」
あなたはいつもそうした穏やかなものを描こうとするんだね、といってくれたのは陽気なサタルノだっただろうか。
セシリオが「自分のはほんの小品です」と、品の良い3DCGの短編を映した。
アグアスカリエンテス出身の版画家ホセ・グアダルーペ・ポサダをもじった短編。主人公の版画家は「死者の日」をモチーフにした骸骨の絵ばかり描いているのだが、やがて自分も死者の仲間入りをして、骸骨になってゆく。
今の今まで通訳とか道案内みたいに思っていた人が、実はセンスに溢れたアニメーション作家だとわかってしまった。セシリオ・ヴァルガス・トレス監督、と呼ぶべきなのだろう。作品タイトルは『Dame Posada』。いくつもの受賞歴を持つ。
夕方から『魔女の宅急便』の上映があるという。日本のアニメ関係者はほかに誰もここにいないし、一応この映画のスタッフの一員ではあるので、お客さんの前でちょっと舞台挨拶みたいなことをしてくれ、といわれてしまった。
昨日の映画祭オープニングの劇場(桟敷席なんかがあった)とは違う場所まで、セシリオが車で運んでくれる。
どうも科学博物館のプラネタリウムみたいな場所だった。ドーム状の壁面に映し出されるのであるらしい。今どきのプラネタリウムっぽく客席は傾斜した階段状配置になっている。その前の方の席から立って、うしろを向いて喋ることになる。あとで、セシリオから、
「なんで途中でメッセージをやめたんだ?」
といわれてしまった。だって、そこでもう英語を繰り出せなくなってしまったのだから。
実はIMAX なのだというのだけれど、しかし、上映素材が『魔女の宅急便』のスペイン語版DVDであるようで、低解像度なのが残念だった。ただ、登場人物たちがスペイン語で喋るのはちょっとおもしろかった。フランス語吹替え版は前に観ていたが、スペイン語の方が朴訥な感じの吹き替えになっていて、準備中「いかにヨーロッパを感じる画面を作るか」などと足掻いていたことを思えば、これはこれでしっくりくるのだった。
キキの赤いリボンをつけて黒服を着た女の子が客席にいた。すっかりこの映画はこの土地に馴染んでるんだな、と思った。
翌13日はほぼ同じスケジュール。
朝10時からワークショップの残り半分。
会場に集合したところで、少し時間があったので、サタルノが喋るのを聞いていた。人形アニメの彼は、3DCGアニメーションにひとことあるらしい。
「そこまで完璧に動かす必要ないんじゃないか。動きにも味というものが大事だ。『キンツクロイ』という言葉があるように」
「キンツクロイ?」
その単語がわからなかった。
「日本語ですよ、マエストロ・スナオ」
いや、うん、スペイン語だと「マエストロ」呼ばわりされる羽目になってしまっていたのだった。
「日本語でキンツクロイ?」
「ええっと、こう、お皿があって、それがこう割れたりする。そこを」
「ああ、金繕い!」
「そう! それ!」
納豆、山葵どころではない。今どきのメキシコ人はなんということまで知っているのだ。そのあと、サタルノは、
「Meiji era」
のことを話し始めた。明治時代。それなら、毎朝のTVの連ドラで観てるよ。
「日本のソープオペラもやはり時代がかった題材なのか。メキシコのもそうだよ」
というあたりで、ワークショップの開始時間になった。
リカルド・トーレスの短編。スペイン人が来る前のメキシコでの雨乞いを題材にしたもの。
それから、やはりスペイン人が来る前のメキシコの神話的冒険のストーリーを、日本風アニメにしたい、というプロデューサーがパイロットを披露。
カルロス・カレラは結局、身内に不幸があったとのことで、プロデューサーが来て3DCG長編のパイロットフィルムを見せてくれた。ピクサーっぽい今どきの感じの仕上がりであるようだ。
この日は『アリーテ姫』の上映があるのだが、セシリオは「それまでホテルの部屋に帰ってるか、どうするか?」といっている。時差ボケもあるのでホテルの部屋で寝るのもたしかに手なのだが、それだとせっかくのこの町を何も観ないまま終わってしまいそうだった。
散歩に行く、といったら、セシリオとサタルノが着いてきてくれた。といって、実は11日にアナと散歩した範囲を上回って何かあるわけでもなく、同じところをもうひと回りすることになってしまったのだが。けれど、楽しかった。
サタルノがいろいろ喋ってくれた。
「自分の姓サタルノは惑星の名前。日本語では『ドセイ』」
「土星」
「イエス。サタルノ、ドセイ」
サン・マルコス公園を歩く。
「サン・マルコスはセイント・マークのことだよ」
「セイント・マークは日本語では聖マルコっていう」
「スペイン語と日本語の発音、似てるね」
サン・マルコス教会の前の広場には、先程リカルドの短編で見たのと同じ雨乞いに使う塔が立っている。さっき見たアニメーションでは、塔を建てる前にいけにえの鶏を一羽、土台の穴の中に放り込んでいた。
「イズ・ゼア・ア・チキン?」
「ノ、ノー。ノー・チキン」
と、セシリオが笑う。
もう数日したら、サン・マルコス祭が来て、この教会前の広場は大賑わいになるのだという。
広場を抜けると闘牛の銅像がある。騎馬の闘牛士。
「マタドール?」
「ノー。馬に乗ってるのはレホネアドール」
と、セシリオが教えてくれる。
もうしばらく行くと闘牛場があった。
「写真撮るよ、マエストロ・スナオ。でも、いっつもポーズがおとなしいよ。もっと手を大きく広げなくちゃ」
「こ、こう?」
サタルノが写真を撮ってくれる。
「さあ、もうこの辺で戻らなくちゃ」
午後の『アリーテ姫』の上映は、昨日と同じ傾斜ドームのところ。
今日は、セシリオのほかに片言だけれど日本語を喋る女子学生がついてきてくれる。
階段状の客席に着こうとしたそのとき、段差で足を踏み外した。左足の下が消え、支えようとした右足の真ん中で何かが泣き別れになった感じがした。
「大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
「眼鏡を落としたみたい。ああ、僕が拾います」
胸ポケットから落ちた自分の眼鏡が、前の座席との間に開いた狭い段差の隙間に落ちているのを、セシリオがスマホを懐中電灯に使って見つけてくれる。セシリオはその隙間に降りて拾おうとするのだが、
「うお。深いなここ」
と、苦労している。
ありがとう、セシリオ。何から何まで。
「脚、痛くないですか?」
「大丈夫、大丈夫」
「ほんとに? 結構段差あったよ」
「舞台挨拶は上映前? 上映後?」
「上映後にしたい」
「オーケー」
それなら、と、上映が始まった『アリーテ姫』を観た。中に、
「言葉というのは、ほかの人の気持ちを理解したくって、人が作ったものだと思うんです」
というようなアリーテの台詞があった。自分が書いたセリフなのだけど、この通訳不在にもかかわらず気持ちのやり取りができるようになってきた今の自分のシチュエーションの上ではすごく心に染みてしまう。久しぶりに観た自分のこの映画を、真剣に観とおしてしまった。
上映後は舞台挨拶だけでなく、ティーチイン形式に質疑応答もやった。日本語が片言の女子学生は一所懸命なのだけど、こちらのいわんとするところが通じるにはやはりちょっと足らない。どうしよう、さらにつたない英語に切り替えるべきなのか。
と、そのとき、いちばん近い席の何人連れかの若者たちが、
「ああ、彼がいおうとしてるのはこういうことだと思うよ」
と、捕捉し始めてくれた。彼らも少し日本語を使えるらしい。
旺盛にいただくお客さんからの質問を何人がかりかで日本語に、さらにはセシリオの英語も加わって僕に伝えてくれ、僕の答えを何人がかりかでスペイン語にして伝えてくれている。気持ちが通じる。アリーテ、見てるかい? 君のいうとおりだったよ。
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