COLUMN

『タイガーマスク』を語る
第7回 第55話「煤煙の中の太陽」

 第55話「煤煙の中の太陽」(脚本/市川久、美術/浦田又治、作画監督/我妻宏、演出/勝間田具治)は四日市の公害をモチーフにしたエピソードである。1960年代から70年代の東映動画はTVアニメの各エピソードで、社会派の意欲作を何本も残しており、第55話はその一連の作品を代表するものだ。
 前話についた予告からして強烈だ。以下に予告ナレーションを引用する。

「汚される空、汚される海。何故汚してしまうのか。何故、何故……。タイガーよ、この少女の苦しみが分かるか。タイガーよ、一体、お前には何ができるのか。次回『煤煙の中の太陽』。お楽しみに」

 予告の映像は第55話から抜粋された公害に覆われた四日市のカット、苦しむ子供等で構成されている。本編に負けないくらいに強い印象を与えるフィルムだ。

 本編の内容に触れよう。第55話のファーストカットは歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の四日市宿だ。次のカットから現在(放映当時の現在)の四日市の描写が始まる。陰鬱なBGMと共に薄暗い空、工場の煙突から輩出される煤煙、海に流される廃液が描かれる。そして、工場のシルエットの向こうに夕陽が見える映像に「煤煙の中の太陽」のサブタイトルが乗る。このサブタイトルカットはかなりのインパクトだ。最初に「東海道五十三次」の四日市宿を見せたのは、綺麗だった景観から現在の状況への変化を見せるためだろう。
 そんな四日市を遠征試合のためにジャイアント馬場、アントニオ猪木、坂口征二、タイガーマスクが訪れる。四日市の駅前で坂口が「うえ~、酷い空気だ。先輩、こんな酷いところじゃ、立派なファイトはできないですよ」と愚痴を言い、それを馬場と猪木が窘める。
 その後も四日市の公害の描写は続く。中でも凄まじいのが、公害のために息子を亡くし、その息子の遺体が入った棺桶を背負って街を練り歩いている老婆の存在である。これは演出の勝間田具治がロケハンの成果を取り入れたものだそうだ。四日市公害裁判が行われたのが1967年から1972年。第55話「煤煙の中の太陽」が放映されたのが1970年10月15日。現在進行形の問題を取り入れたエピソードなのだ。
 あすなろ院は四日市にある孤児院だ。そこで暮らす孤児の陽子は喘息で苦しんでいた。院長は空気のいいところに孤児院を建て直したいと考えているが、それを実現するのは難しいようだ。陽子と共にあすなろ院で暮らしている郎太は、彼女の喘息の原因が工場が出す煤煙だと考えて、コンビナートの煙突に登る。そして、コンビナートの煙を止めなければ自分は煙突から降りないと言うのだ。煙突に登ったのが孤児院のみなしごだと知ったタイガーは現地に急ぐ。
 一人の大人が郎太を宥めるために、今日はもう煙を出さないと言う。それを聞いた郎太は叫ぶ。「今日だけじゃ、嫌だよ。ずっと煙を出さないと約束してくれなきゃ。それにこの煙突だけじゃなく、あの火を吐く煙突も! あの白い煙突も! みんな、みんな、無くなってしまえばいいんだよ!」
 郎太を見つめる街の人々のカットが重ねられる。彼等からは生気が感じられない。タイガーは街の人々が声を上げないのは、公害に苦しむうちに抵抗することを諦めてしまったためだろうかと考え、そのことに怒りすら感じるが、すぐに街の人々が声なき叫びを抱えて生きているのだと思い直す。
 タイガーは自分が郎太を連れ戻すと言って煙突を登る。郎太はタイガーのファンであったが、その説得を聞こうとはしない。それだけ郎太の決意は固いのだ。そして、煙突の上から煤煙に包まれた街を見たタイガーは、改めて公害の悲惨さを感じ、悲惨であればあるほど、郎太の想い、声なき人々の想いが強くなるのだろうと悟る。そして、リングの上ではレスラーを投げ飛ばしている自分が、一人の少年の決意に対しては何もできないことに気づくのだった。
 タイガーは街から離れたところにある丘に気づく。その丘は煤煙に冒されていないようだ。彼は「あの丘に郎太君達の学園を……」と呟いてしまう。それを聞いた郎太は、タイガーが丘に孤児院を建て直してくれると思い込んでしまう。郎太は地上に降りてくれたが、タイガーは実現できないことを約束してしまった。彼のファイトマネーを以てしても、孤児院を建て直すことはできないのだ。
 その後、タイガーの試合を挟んで、郎太達の描写があり、嘘をついてしまった直人の後悔が描かれる(ここで彼は直人の姿だ)。直人は悪夢を見る。夢の中では街の人々が、棺桶を背負った老婆が、そして、郎太が、直人を非難する。「たかがプロレスラーにそんな施設など、建てられるわけがない」「タイガーさん、約束は嘘なんですか」「タイガーの馬鹿野郎、嘘つき野郎、お前にはこの陽子ちゃんの悲しみが分からないのか、お前なんか死んじまえ!」。その悪夢が第55話のクライマックスだ。

 翌日になり、事態は急転直下。郎太とタイガーの事件が新聞に報じられ、それをきっかけにあすなろ院の移転が市議会で満場一致で可決される。事件を知った日本プロレス協会も四日市での興行の収益の一部を寄付してくれることになった。あすなろ院は丘の上に移転できることになり、タイガーは郎太の一途な願いが神に通じたのだと思うのだった。あすなろ園は移転できることになったが、四日市ではまだ多くの人達が苦しんでいる。この公害の街に青い空と澄んだ水を取り戻すために、自分達は立ち上がらなくてはならない。そのタイガーの想いと共に第55話「煤煙の中の太陽」は幕を下ろす。

 第50話「此の子等へも愛を」と第54話「新しい仲間」では、社会的な問題をモチーフにしつつも直人の行い、あるいはルリ子の行いに重きが置かれていた。それに対して第55話「煤煙の中の太陽」は直人のドラマよりも、むしろ、公害の問題を描くことに力を注いでいるように思える。第50話と第54話が日常的な描写を積み重ねて、テーマに迫っているのに対して、第55話はプロットがシンプル。ダイナミックな演出で視聴者に伝えるべきことをグイグイと伝えていく。画作りや選曲も凝っており、ドラマチックな仕上がりだ。あすなろ院についての問題が解決した後で、さらに四日市の公害そのものに対して取り組まなくてはいけないことを提示するところに関しても、それを訴える力の強さに関しても、まさしく社会派。社会派の力作だ。映像作品としての歯切れのよさが心地よい。
 勝間田具治は東映動画を代表する演出家であり、『タイガーマスク』でも凝ったエピソードを、あるいは熱いエピソードを数多く残している。第55話もその1本だ。DVD BOX第2巻の解説書の斉藤侑プロデューサーのインタビューによれば、この話で脚本を担当した市川久は、斉藤プロデューサーがやっていたシナリオ講座の生徒だったのだそうだ。東映動画ではプロデューサーや演出家がペンネームで脚本を書くことがあるが、この話はそうではなかった。そして、同じインタビューで、斉藤プロデューサーは第55話に関して、勝間田が物語に手を加えて作り上げたのだろうと語っている。

 伊達直人の物語としては、第55話は彼が自分一人の力では解決できない問題に直面したことが重要だ。郎太とタイガーの事件が報じられたことによって、直人は助けられるかたちとなった。第64話「幸せの鐘が鳴るまで」で、そのことの意味が分かることになる。

●『タイガーマスク』を語る 第8回 第64話「幸せの鐘が鳴るまで」 に続く

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