腹巻猫です。3月30日に開催が予定されていた蒔田尚昊(冬木透)作品の演奏会「歌の世界」が無観客公演となり、映像配信されることになりました。映像音楽以外の冬木透(蒔田尚昊)作品が聴ける貴重な機会です。チケットは1000円とお求めやすい価格ですので、ぜひどうぞ。
詳細は下記URLを参照ください。
https://www.maita-sekai.com
3月7日に配信された「水木しげる生誕祭」の中で、『ゲゲゲの鬼太郎』の新作劇場アニメと『悪魔くん』の新作アニメの制作が発表された。妖怪ブームはまだまだ続くようだ。
今回は、妖怪が登場するアニメ『夏目友人帳』のサントラを聴いてみよう。
『夏目友人帳』は緑川ゆきの漫画を原作に2008年7月から9月まで放映されたTVアニメ。第2期となる『続 夏目友人帳』が2009年1月から3月まで放映され、その後、2017年までに第3期〜第6期が作られた。2018年には劇場版第1作を公開。今年2021年には『石起こしと怪しき来訪者』が劇場上映されている。根強い人気を持つ作品だ。
主人公は、普通の人には見えない妖(あやかし)の姿を見たり、声を聞いたりすることができる高校生・夏目貴志。若くして亡くなった祖母・レイコも妖を見ることができ、妖と勝負して勝った証に「友人帳」に名前を書かせていた。レイコが遺した友人帳を手にした夏目のもとに、「名前を返せ」と訴える妖が集まってくる。夏目は妖たちに名前を返すことを決心し、招き猫に憑依した妖怪・斑ことニャンコ先生とともに、妖とかかわり始める。
妖怪退治の話ではなく、妖怪に名前を返し、解放する物語であるのがユニーク。人に危害を加えようとする妖怪もたまに登場するが、どちらかといえば、ユーモラスな妖怪やけなげな妖怪が多い。妖怪も人間と同じように悲しんだり、悩んだりする存在として描かれている。
物語の舞台が、山や川や草原に囲まれた自然豊かな土地であるのが、とても印象的である。筆者の出身は高知だが、幼い頃(1960年代)は家のまわりは畑や田んぼばかりだった。目の前が畑で、その向こうは小高い山、家のすぐそばを川が流れ、虫や小動物が無数にいた。そんな故郷の原風景を思い出させる。
音楽は吉森信が担当。広島県出身で、90年代からモダンチョキチョキズ、ヒカシューなどのバンドやセッションに参加しながら、ミュージカル、舞台にも出演していた。作・編曲家、鍵盤奏者として幅広く活動する音楽家である。
『夏目友人帳』の監督・大森貴弘とはバーで知り合い、TVアニメ『恋風』(2004)、『学園アリス』(2004)、『BACCANO!』(2007)などの作品を一緒に作ってきた。つきあいが長いこともあり、『夏目友人帳』の音楽は「すごく自由に作らせてもらった」という。
音楽はゆったりした、素朴なサウンドのものが多い。妖怪アニメっぽい不気味な曲や怖い曲はほとんどないし、あっても、重たくない。美しく描かれた自然の風景に溶け込むような音楽である。が、そんな中に聴いただけで笑ってしまうようなユーモラスな曲があって、これが本編でも効果を上げている。
本作のサウンドトラック・アルバムは2008年9月に「夏目友人帳 音楽集 おとのけの捧げもの」のタイトルでアニプレックスから発売された。
収録曲は以下のとおり。
- きみが呼ぶ名まえ〜夏目友人帳のテーマ
- 草躍る風の響き
- めぐる夏の便り
- にゃんこらせっ。
- ゆるやかな畦道で
- 夏・窓・開けっ放し
- おうし座の怪人
- 闇夜に潜むものあり
- 百鬼夜行〜妖怪大行進
- 荒ぶる神の降臨
- ほのかな記憶
- 雨夜の月のように
- 百雷の神楽
- きみに触れた光
- 暖かい場所(歌:夏目貴志=CV:神谷浩史)
- 一斉の声(TVサイズ)(歌:喜多修平)
BGM(劇中音楽)14曲を収録。最後の2曲は夏目のキャラクターソングとオープニング主題歌のTVサイズである。
『夏目友人帳』には、胸がキュンとなるエピソードやしんみりするエピソード、ほっこりするエピソードなど、いわゆる「いい話」が多い。そういうエピソードで流れるしっとりとしたピアノ曲やストリングスの曲が印象に残っているファンが多いだろう。
しかし、この「夏目友人帳 音楽集 おとのけの捧げもの」にそういう曲を期待すると裏切られる。とぼけた曲やユーモラスな曲、情景描写的な曲がほとんどなのだ。ネットには「聴きたかった曲が入ってない」という感想も見られる。
実は、多くのファンが期待する「泣ける曲」や「癒やされる曲」は、第2期のサントラ盤「続 夏目友人帳 音楽集 いとうるわしきもの」に収録されているのである。第1期と第2期は放映時期も近く、第1期の音楽は第2期でも使用されている。1期と2期はセットと考えてよいだろう。サントラ盤も同様だ。
筆者が思うに、第1期のサントラは妖怪がいる風景をイメージしたアルバム、第2期のサントラは夏目と妖怪や友人たちとの物語をイメージしたアルバム、と作り分けているのではないだろうか。
では、第1期のサントラはつまらないかというと、そんなことはない。むしろ、筆者はすごく面白いアルバムだと思った。「泣ける曲」や「癒やされる曲」が入ってないから聴かないというのでは、あまりにもったいない。
1曲目「きみが呼ぶ名まえ〜夏目友人帳のテーマ」は本作のメインテーマ。ピアノとアコーディオン、ストリングスなどが奏でるノスタルジックで美しい曲だ。本編では、第2期のサントラに収録されたピアノがメインの変奏「きみが呼ぶなまえ〜夢のつづき」のほうがよく使われていた。
トラック2「草躍る風の響き」とトラック3「めぐる夏の便り」は自然豊かな風景がイメージされる曲。「草躍る風の響き」では弦楽器のアンサンブルが風にゆれる草の音や木々の葉ずれの音に聞こえる。メロディよりも音色を重視した、ドビュッシーやラベルの音楽を連想させる曲だ。「めぐる夏の便り」は、ピアノとクラリネット、ストリングスによる穏やかな曲。のんびりした田舎の情景が眼に浮かぶ。中間部は淋しい曲調に転じてしんみりさせるが、また穏やかな曲調に戻って終わる。夏の日、自然の中を歩いているような気分になる。
続く、トラック4「にゃんこらせっ。」とトラック5「ゆるやかな畦道で」は、筆者が本アルバムの中でも特に気に入っている曲。「にゃんこらせっ。」はニャンコ先生のテーマで、ファゴットなどの低音の木管楽器がとぼけた演奏を聴かせる。毎回のようにニャンコ先生のコミカルなシーンで流れていた。「ゆるやかな畦道で」は笛が奏でる脱力系のメロディがたまらない1曲。メロディオン(鍵盤ハーモニカ)やパーカッションが加わり、さまざまな音が風景を満たしていく。曲の中に豆腐屋のラッパが聞こえてくるが、これはレコーディングのとき、休憩時間に外出していたら、たまたま豆腐屋が通りかかったので、とっさに声をかけて吹いてもらったのだという。ユーモラスに聞こえるが、こういう曲も心休まる「癒やしの曲」だと思う。
トラック6「夏・窓・開けっ放し」がまた不思議な、ほとんど効果音のような曲。聴けばわかるが、蚊が飛ぶ音を模した曲である。メロディもリズムもなく、蚊の音だけが空中を行き交う。
その次の「おうし座の怪人」も筆者が気に入っている曲で、つまづくようなピアノと口琴などの民族楽器、ホーメイなどがセッションをくり広げる。アバンギャルドなのかコミックなのか、とにかく型にはまらない音楽である。この曲は妖怪の登場場面にたびたび使用されたほか、冒頭部分がアイキャッチに使われている。
トラック7「闇夜に潜むものあり」は弦楽器を中心にしたサスペンス曲。夏目が妖怪に追われるシーンなどに使われた、おなじみの曲だ。不気味でコミカルな「百鬼夜行〜妖怪大行進」、強力な妖怪の脅威を感じさせる「荒ぶる神の降臨」と、妖怪登場曲が続く。
トラック11「ほのかな記憶」はハープのアルペジオに後半からチェロの瞑想的な旋律が重なる曲。タイトルどおり、回想場面にたびたび使用されていた。
トラック12「雨夜の月のように」では、ピアノとフルートが、乱れる心を描写するような緊張感のある演奏を聴かせる。この曲は第8話で蛍の妖怪が「あの人に会いたい」と言って夜の沼へ行くシーンに流れていたのが印象的。
第6話の妖怪たちの祭りの場面に流れたトラック13「百雷の神楽」を経て、BGMパートのラストの曲へ。
トラック14「きみに触れた光」は、さざ波のようなピアノソロが続く、幻想的な美しさを持った曲だ。7分という長い演奏時間を、ほとんど明解なメロディを奏でることなく、ドラマティックに展開することもなく、ひたすらピアノの音色を聴かせる(ピアノ演奏は吉森信)。5分を過ぎて、舞い踊る光を思わせる美しい曲想に変化。解き放たれたようなさわやかな印象を残して終わる。夏目から名前を返してもらった妖の姿が思い浮かぶ。
「夏目友人帳 音楽集 おとのけの捧げもの」は、物語を意識したサントラではない。夏の日、風の音や虫の音を聞き、遠雷を聞くように妖怪の気配を感じ、夕立にあうように妖怪と出会い、妖怪が通り過ぎたあとに残された想いにそっと触れる。そんな、妖怪がいる日常のひとときを切り取ったアルバムだと思う。物語的な癒やしや感動を求めると物足りないかもしれないが、すごく豊かな音が詰まったアルバムだ。
できれば、さしせまった用事のない夏の午後に、リラックスした気分でこのアルバムを聴いてみたい。ニャンコ先生や妖怪がふらりと現れるかもしれない。蚊はちょっと困るけれど。
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