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【ARCHIVE】 「この人に話を聞きたい」
第52回 平田敏夫(後編)


●「この人に話を聞きたい」は「アニメージュ」(徳間書店)に連載されているインタビュー企画です。
このページで再録したのは、2003年2月号掲載の第五十二回 平田敏夫(後編)のテキストです。




今回の取材の撮影時に、平田さんは最初、ちょっと照れた様子だった。だが、撮りはじめるとバッチリとポーズを決めてくれた。そして、終わった後で「撮られているうちに、その気になっちゃったよ」と苦笑なさっていた。作られる作品と同様に、穏やかな雰囲気の方である。「僕は作家じゃないからね」と彼は言う。『金の鳥』『ボビーに首ったけ』『はれときどきぶた[劇場版]』等の映像に凝った、あるいは既成の枠にはまらない作品を作ってきた方が、そんな事を言うあたりも面白い。それも平田さんらしさなのだろう。






―― じゃあ、いよいよ『金の鳥』の話をお願いします。マッドハウスが、東映まんがまつりの1本として制作したんですよね。(注9)

平田 マッドハウスが『金の鳥』を作る事になった事情は、僕はよく知らないんですよ。当時、東映のプロデューサーさんだった田宮武さんが、「そろそろ東映のまんがまつりに、外の血を入れた方がいい」というスタンスだったと聞いています。「変わったものを作るのはマッドハウスだ。マッドにやらせてみようじゃないか」という事だったみたい。その前の『(まんが)イソップ物語』では、外からひこねのりおを監督として連れてきて、東映の社内で作っていたと思うんだけど。

―― 言われてみればそうでしたね。

平田 うん。で、次の『金の鳥』は制作を外部発注という事で、マッドハウスが作る事になった。作品的には、大好きな作品なんです。でも、作品を観たあるプロデューサーの方に「ちょっと趣味的過ぎる」なんて(笑)、言われましたけど。でも、アニメーターの人達は、総じてみんな面白がってくれて。東映の美術の連中なんかも「やられてしまった」とか言ってくれた。

―― そう言われる気持ちは分かりますね。

平田 あの作品では「音楽シーンは我々がやるより、南家こうじにやらせた方がいい」と思って。それで南家こうじに白紙のコンテを渡して、「3分です。南家さん、よろしく」って(笑)。(注10)

―― 南家さんが担当したパートは、コンテを描かなかったんですか。

平田 描かなかったと思う。僕は全体の構成をやって、その音楽シーンだけはコンテではスポーンと抜いておいて、南家さんに好きにやってもらったんです。でも、ディズニーもミュージカルシーンは別のディレクターが立っていますよね。それから、アクション担当のディレクターが立っていたりしますよね。『金の鳥』もそういうノリだったんです。う~ん、あの時は、丸さん(丸山正雄)のやり方がちょっと移ったかなあ(笑)。

―― 『金の鳥』は、大橋学さんの数少ないキャラデザイン作品ですよね。

平田 そうです。大橋学を活かすためにはどうしたらいいかというのが、まずあった。で、石川山子を活かすためにどうしたらいいか。福島敦子はどう配置したら活きるのだろうか(注11)。みんなの個性を殺さないで活かすためにどうしたらいいのか考えていくと、映画のスタイルが決まっていくんです。そういうやり方だから、演出不在と言われちゃうのかも知れない。大橋学は止め画が好きだから、じゃあ、止め画でミュージカルシーンをやろうか。『金の鳥』では南家こうじのと別に、大橋学のイラストレーションでやったパートがあるんだ。『ユニコ』でも、大橋学で同じような事をやっていますよ。『金の鳥』では、いわゆる監督業をしたかなあと思っているけどね。そういったクセの強い人達をまとめて、また、作品的にも、あれだけクセの強いものは、なかなかないと思うんですけどね。

―― 美術もすごいですよね。

平田 『金の鳥』の美術はドリームチームですよ。石川山子が美術監督で、門野真理子、山本二三、男鹿和雄。後に『ボビー』の美術をやってる山川晃。それから、サンリオのイラストレーションでグランプリをもらった安藤(ひろみ)という女性がいて。本当にドリームチーム。すごいよね。

―― そもそも石川さんをアニメ界に引っぱってきたのが平田さんだ、とうかがっているのですが。

平田 違います。サンリオ時代の同僚です。

―― そうなんですか。

平田 彼女は、サンリオで背景をやっていたの。『ユニコ』の時も、彼女はサンリオのスタッフだった。サンリオのアニメーション部門が縮小される事になった時に、僕が丸さんに紹介した。今言った安藤も門野真理子も、みんなサンリオの同僚だったの。僕はその紹介役だね。

―― サンリオのアニメーション部門って、かなりの人材を輩出しているんですね。

平田 そうだった。あそこには、後に劇場『ジャングル大帝』の美術をやる阿部行夫というのがいて、彼がみんなのお師匠さんだった。彼が美術監督で、それ以外は背景で。彼等が外へ出たら花開いた。それは、みんなを育てた阿部行夫が偉かったんだと思う。

―― 『金の鳥』は、野田(卓雄)さんが作画したところもよかったですね。前半の魔女が登場するところですよね。

平田 うん。野田さんなんて、あんなにしっかりと構築して仕事をする人なのに、よく『金の鳥』みたいな、いい加減な作品をやってくれたなあと思ってる(笑)。それから『金の鳥』には、新川(信正)というのがいてね。彼は、ああいうあったか~いアニメーションを得意にしているんです。『金の鳥』は層が厚いんだよなあ。美術だけじゃないんですよ。アニメーターもすごかったね。

―― あの作品では、キャラクターの輪郭線を繋げてないですよね。あれはどなたのアイデアだったんですか。

平田 大橋学ちゃんじゃないかな。彼はああいうのが好きなんだよね。線がぶれてて、間が飛んでいるとか。

―― キャラクターデザインは、大橋さんと福島さんの合作ですよね。最初から合作でやる予定だったんですか。それとも作業を進めているうちに、そういうシフトになっていったんですか。

平田 最初から合作だったと思います。それも大橋さんと福島さんを活かすためにやったんだとと思う。

―― 一番最初に言った、過剰に盛り上げたりしない、というのが平田さんらしさだとすると、『金の鳥』の主人公の飄々とした感じとかも、平田さんの持ち味なのかな、と思うんですが。

平田 僕もそういうところがあるんだけど、大橋学もそうなんだよね。彼も飄々としてるから。彼のキャラクターを見て、やっぱり「この主人公でそういうのは、やりたくないなあ」と思うところがある。今、言われたようなところは、僕には体質としてずっとあるね。でも、例えば『はだしのゲン』なんかは熱い物語だから、そうはいかない。「押すとこは押さないとね」と思ってやったと思う。

―― なるほど。

平田 自分が最初から最後まで作ったのは、『金の鳥』と『ボビー』だけじゃないかな、と思ってるんだけど。『金の鳥』は、南家こうじのところを除けば、他の人に絵コンテを描かせてないし。

―― テイスト的にも、丸々ご自身のテイストで。

平田 そうそう。そうやって人に任せたところも含めて、自分が全部の構成をまとめた。上手くいってるか失敗してるかは別にして、「個人で最初から最後まで頑張ったよ」というのは(笑)、あの2作品だけじゃないのかなあ。マッド以外でやった、よその作品はまた違いますけど。

―― もうひとつの代表作の『ボビー』のお話もうかがいたいんですが。

平田 これはねえ、若気の至りかなあ……とか思ってるんです。

―― かなり、かっ飛ばしてますよね(注12)。

平田 とんがってましたね。僕は、とんがらない人なんですけど。なんでとんがったのかなあ、あの時(笑)。

―― 原作に触発されたんじゃないんですか?

平田 うん。乾いた映画が好きなのね。向こうの映画でもアンドレ・カイアットとか。その系統が好きだったり、古いよなあ(笑)。片岡義男って、基本的にはハードボイルドなんですよね。余計なものを省略して、ある種の美学だけを追究している。積み重ねじゃなくって、省略していく美しさみたいなのがあると思うんだけど。原作の『ボビー』もそうなんだと思う。だけど、上がってきたシナリオの第1稿は、そうでもなかったんですよね。原作の別の話と合体させてあって、水商売をやっている女の子を絡ませたりしていたんですよ。

―― もっとドラマチックな話だったんですか。

平田 そうです。もっとストーリーが入り組んでいて、心の綾を描いたり、というシナリオだった。それはそれでシナリオとしてOKだったんだんですけど。原作をもう1回読み返したら、原作通りでいいんじゃないかと思えたんです。長編じゃなくて中編なんだから、膨らませる必要はない。むしろ余計な事をカットしていく方向の方がいいんじゃないか。それで、これからの人生を選択していく高校生の、ひと夏の物語になるんじゃないかと思った。コンテが上がったら、りんたろうプロデューサーにも「面白いじゃないか」と言ってもらえて(注13)。

―― 原作もボビーが自動車に跳ねられて、お終いなんですか。

平田 そうです。原作はもうちょっとハードです。ボビーのヘルメットがアスファルトに転がって、お終い。生首が飛んで終わったようにも読めるんですよ。映画でも、ボビーを殺すか生かすかの、二案がありましたけどもね。ラストカットで病院のベッドでギブスだらけのボビー君がいる、という案もありました。そこをどうするかは、ダビングの頃までアバウトにしたまま進めた。キャラクターデザインの吉田秋生さんは「ボビーを復活させよう」派でしたね。最後には「姑息な事は止めよう」という意見が出て、あのかたちで行く事になったんです。

―― 誰もいない部屋で、電話が鳴るカットで終わるんですよね。

平田 そうそう。死んだシーンは見せないけれども、多分、死んだのであろうと。青春ってすごく輝いているものだけれど、その時は二度と戻ってこない。戻ってこないから、みんな忘れられないんだ、みたいな部分が出せればいいなと思った。青春をシンボライズして描くと、こうなるんだよという風に切り取ってみた。作品の作りとしては、最初から最後までイメージの羅列で、「これでドラマになるのかよお」っていう感じで(笑)。

―― あの映像のインパクトは、ものすごいですよね。実写の写真をコラージュしたところがありますが、あそこは、ご自身で写真を撮ったとか。

平田 プロのカメラマンに撮ってもらったの。一緒に晴海埠頭に行って、制作の人にキャラクターと同じ格好をしてもらってバイクに乗せて。カメラマンに連続写真でバンバン撮ってもらった。その後、押井(守)君もやっていたけど、写真を1回、セルにコピーして、それをマーカーを塗って、撮影して動かした。この手法は、僕はコマーシャルでもやっていなかった。

―― イラストを使ってるところがありますよね。あれは、キャラ表をそのまま使ったと聞いていますが。

平田 キャラ表を使っています。「ポップアートにしちゃおうぜ」なんて思って、ペイントマーカーで、画の周りにギザギザを描いたり、星印を入れたりして。そういう作り方はコマーシャル時代の財産ですね。色んな事をやってるんです。スクリーントーンを貼ったり、カラートーンを貼ったりとか。そういう作業は人に頼めないから、自分でやるしかないんだよね。だから、作業的にはちょっときつかった。他の人の原画をチェックしながら、そういう自分の作業もやっていたから。

―― 自ら撮影素材を作っていたわけですね。

平田 そうそう。撮影台の脇に付きっきりになったカットもありますよ。

―― 具体的には、どんなカットなんです?

平田 画のぼかし。センターフォーカスって言うんです。今ならデジタルで簡単にできる、なんて事のないカットなんだけど。カットによってぼけ方が変わってくるから。いちいちメンタムを拭いては塗り替えていったり。

―― え? 何を塗ったんですか。

平田 メンソレータム。(撮影時にセルに乗せる)ガラスの上に塗るの。

―― なるほど。それでレンズのぼけた感じを出すんですね。

平田 そう。アナログの手作業で、『老人と海』みたいな事をやってるんですよ(笑)。あの作品は、テクノロジーの宝庫なんです。僕の技術的なものは、みんなあそこに入っちゃってる。そういう意味でも面白かった。音楽だらけだし、ビデオクリップみたいな映画でもあるよね。野村宏伸君のプロモーション的な意味も少し加味しようという狙いもあったんだ。(注14)

―― 『ボビー』みたいな作品は、本当になかなかないですよね。

平田 この前、『花田少年史』のオープニングをやって、「あれ? 『ボビー』と一緒だ。僕、なんにも進歩してない」って思ったの(笑)。でも、今でもああいう事をやるの人間は、珍しいらしくて。南家こうじと熊田(勇)さんぐらいしかいないとか言われた。

―― ああいう作品を作るような資質の人は、いないですよね。

平田 自分で言うのもなんだけど、『花田少年史』のオープニングは若い人に評判が良くって、本当に良かった。でも、(今の若い人は)みんな巧いから、やろうと思えばああいう事もできるんだろうけど。チャンスがないだけの話でね。

―― いや、技法を思いつくかどうかというのも、あると思いますよ。

平田 BACKSTREET BOYSの歌を使ったという意外性で受けているというのも、あるしね(笑)。

―― 3つの取り合わせの意外性ですよね。『花田少年史』で、あの歌で、あの映像。

平田 そう。ミスマッチの良さだよね。

―― 『花田少年史』のオープニングはどこまでおやりになっているんですか。

平田 絵コンテをやって、実写の写真を使っている部分はやっています。作画は兼森(義則)さん達にお任せして。上がった原画をコピーとって、それに色を塗るのも自分でやった。

―― で、『ボビー』の話に戻りますが。

平田 『ボビー』はちょっと、気恥ずかしい作品だよね。あれを作った自分が気恥ずかしいのね。あの頃の角川映画って、最先端っていうのかな。「角川映画で映画を1本撮らなきゃ、監督じゃないよ」みたいなところがあって。それで「やってやろう。とんがってみよう」みたいな気持ちがあった。その若気の至りが、気恥ずかしいのね。

―― 仕上がりに関しては、恥ずかしくないんですよね。

平田 どうかなあ。恥ずかしくはないけど、技術を売り物にしてるみたいなとこが出ちゃってる。もうちょっと押さえるべきシーンがあったんじゃないかと、今になって思うけれど。

―― もっとドラマ寄りに作った方がよかったかもしれない?

平田 かも知れないなあと、思っているんですけど。テクニックが表に出過ぎると嫌味だよね、と自分で自分を批判してるんですけどね(笑)。

―― 先ほど、マッドハウスの作品で、最初から最後まで自分でやったのは『ボビー』と『金の鳥』だけかもしれない、というお話がありましたが。

平田 他には『はだしのゲン2』なんかがあるけど、あれも兼森さんや川尻(善昭)に助けてもらって、混成チームで作ったみたいな作品だった。

―― 『はだしのゲン2』も部分的に、他の方がコンテ描いたりしてるんですか。

平田 コンテは全部僕が描きました。でも、巧いアニメーターばかりだったから。兼森さんや川尻が1人で1シーンの原画を描いていたりするんですよ。そうすると「平田さんの絵コンテを、ちょっとアレンジしました」みたいな事になる。アニメーターを役者に喩えると、役者の個性が強いというやつだったんです(笑)。「寅さん」で御前様が出てきた時に、監督がああしろこうしろとは言わないでしょう。御前様の芝居に合わせて撮っちゃう、というのがありますよね。そういうノリじゃないのかなあと。

―― 笠智衆ですね。それはそうでしょうね(笑)。

平田 『はだしのゲン』には名優とも言えるアニメーターがいっぱいいたんですよね。名優が演出がカバーするという事はありますよね。

―― あまり話題になる事はないですけど、『はれときどきぶた』も、かなりキテる作品でしたよね。(注15)

平田 キテる(笑)。あれは小松原一男がいなかったら、成立しなかった。それと、あれもやっぱり丸さんが。

―― ええ? だって、あれはオープロの作品ですよね。

平田 オープロなんだけど、丸さんが来てくれてね。途中に挿入される日記のシーンの描き手がいなかったんですよ。それを、丸さんが振ってくれた。兼森さんでしょ。大橋学ちゃん、浜(崎博嗣)ちゃん。それから栗原(玲子)さん。マッドハウスのトップアニメーター達が、オープロ作品なのに参加してくれた。

―― 主人公が描いた日記の画が動くシーンですよね。いたずら描きみたいなアニメ。あれは鉛筆画なんですか。

平田 あれはクレヨン画。それを丸さんが仕切ってくれた。僕は、お釈迦様の手のひらの上を飛び回っている、孫悟空みたいだよね(笑)。美術は門野真理子でね。それを綺麗にまとめたのが小松原一男なのね。小松原一男っていうと、『ハーロック』みたいな作品で知られているけど、『はれぶた』も彼の世界なんだよね。小松原さんが亡くなってから、奥さんと話をしたんですけど、生前、「やっぱりね、こういう作品を大事にしなきゃね」と、いつも言われていたそうですよ。

―― 『はれぶた』も、平田さんにとって大事な作品なんですね。

平田 あれほど好きなように演出した作品は、他にはないかもしれない。『金の鳥』と『ボビー』と同じくらい愛着を持っている。原作も相当ぶっ飛んでいて。作者の矢玉四郎さんという方もぶっ飛んでいて。反骨の固まりで。よくああいう絵本を出版社がOKしたなと思うくらい。鉛筆が天ぷらになったり、消しゴムが薬だったりという、そういう生活のひっくり返しが、子供達にとって堪らない面白さだったりするので。原作のポリシー、構成はそのままにした。もっとストーリー性を加味するとか、そういう作り方もあったのかもしれないけれど、それはしかなった。ただ、映画としてのクライマックスは必要だよね、という事で、街がブタだらけになるところのアイデアを膨らましたくらい。ただ、原作では、舞台の街がどういう設定なのか、あまり見えなかった。門野真理子と小松原一男とそれについて考えてる時に「これなら、俺が住んでるところがぴったりだよ」って、小松原一男が言ったんです。

―― 小松原さんのご自宅って、金沢文庫の方ですよね。

平田 うん。原作に1ショット、飛行機が着陸するとこがあって、すると羽田空港の近くか。原作に、赤っぽい電車が走ってたから、じゃあ京浜急行か。それで、そこへ遊びに行ってみようかという事になって、カメラを持って行ったら、イメージ通りの神社があって(笑)、海があって。原作に海は出てこないんだけど。それで、そこをロケーションしたのね。ブタだらけになるクライマックスシーンに出てくる消防署、街並み、パチンコ屋、京浜急行の駅のガード下なんて、全部、小松原一男がここにしようって、提案したんだ。

―― クライマックスはあるものの、あの映画も、割とストンと終わりますよね。

平田 あれはストーリーじゃなくて、生活の断片だと思っていたから。明日も同じような日が続くのかもしれない。要するにあの子は、基本的には反省も何もしてない。反省して成長するという物語もあっていいんだけど、この作品の場合、それは要らないんじゃないと思った。「想像力というのはどういうものなのか」という抽象的なテーマでいいんじゃないと思った。

 あの映画に関しては、本当にみんながハッピーだった。原作が人気作だったから、スポンサーも乗りやすかった。僕らも「こんな面白いものが、アニメでやれたら最高だ」と思っていたのが実現した。子供達にも受け入れられた。結局、三百万人ぐらい動員したんです。原作者も大喜び。スポンサーも大喜び。作った人も大喜び。しかも、スケジュール通りに上がって、赤字を出さなかった。

―― そうなんですか。

平田 全部ハッピー。あの作品で損した人はひとりもいない。珍しいケースだよね。

―― 先日、『小さな恋のものがたり』を観ました(注16)。章ごとに「SUMMER」「AUTUMN」「WINTER」とタイトルがつけられていて、最後に季節がひと回りして春に戻って「SPRING」で終わる。それで途中にポエムシーンが挿入される。凝った構成ですよね。

平田 止め画を入れるのは、僕の癖みたいだね。『はれぶた』もそう、『ボビー』もそうでしょ。『金の鳥』も『ユニコ』もそうだね。止め画だったり、イラストだったり。 ―― あるいは、ミュージカルシーンとか。

平田 どうしても、そういうのを入れたがるんです。そういう意味では一貫している。画を大事にしちゃっている。「動きも大事だけど、止め画も大事だよね」という感じでやっちゃってるね。『小さな恋のものがたり』のポエムシーンは、雪室さんも大満足。原作者も大満足。あのポエムのシーンが入ったおかげで、構成が上手くまとまったと思う。そもそも雪室さんのシナリオが、そういう構成になっていたんだと思うの。

―― 全体を、春夏秋冬で章分けする構成ですね。

平田 そうです。それは僕が考えた事じゃないのね。それで『小さな恋のものがたり』のポエムシーンが形を変えて『あずきちゃん』まできているんだよね。結局、同じスタイルで同じ事をやってるんですね。

―― 別の取材でもおっしゃっていましたけど、平田さんの中では『小さな恋のものがたり』と『あずきちゃん』が直結してるわけですね。

平田 うん。雪室さんがその時の事をおぼえていて、『あずきちゃん』で毎回モノローグを入れる構成にしてくれたんじゃないか。僕は勝手にそう思っているんですけどね。(注17)

―― 『あずきちゃん』は、平田さんのお仕事の中では、印象的な部類に入ります?

平田 入りますよ。ものすごく大きいです。

―― 全話のエピローグのイラストですよね。

平田 うん。20秒間の時間とテーマを与えられて、「あずきちゃんは、何を感じたんだろう」と考えて。画の内容を考えて、画風も考えて、色味も考えて、毎週挑戦していく。「よくも3年もやったなあ」と思う。「週刊新潮」の表紙を描いてる人はどんなに辛いだろう、とか思った(笑)。画の内容については丸さんも、小島(正幸)監督も僕に任せてくれて、細かい注文は出なかった。毎週毎週どうやって観ている人を裏切って、楽しませてあげようかな、という事ばっかり考えていたでしょ。辛いというよりも、楽しい事の方が多い仕事だった。

―― エピローグのイラストって、カメラワークも平田さんがつけてたんですよね。

平田 そう。カメラワークは本当はいらなくて、フィックスでも良かったのかもしれないんだけど。つけるか、つけないか。選択肢はその二つしかないんだけど(笑)。1回つけたら、もうずっとつけざるを得なくなっちゃって。

―― あのイラストは、脚本を読んでお描きになっていたんですか。

平田 そうです。雪室さんの脚本を読んで描いていました。それでナレーションが脚本通りの時もあったし、小島さんがちょっとナレーションを変えていた事もあった。変えたナレーションがかえってイラストに合っていたりしてね。やっぱり小島さんが演出的な小味を効かせているんですよね。だからこの仕事も、僕が全部を好きにやったと言うと、ちょっと語弊があるんです。そうやって、監督がカバーしてくれていたところがあった。

―― 雪室さんとのお仕事というと、『カッパの三平』もそうでしたよね。雪室さんとのお仕事は何度かあるんですね。

平田 『あしたのジョー』は出崎統の監督作品だけど、その時に何度か、雪室さんの脚本でコンテをやっているんです。その後、『小さな恋のものがたり』まではないんですよ。でも、『小さな恋のものがたり』をやって「あれ、波長が合うのかな?」とか思っちゃったの。それからしばらくして、『カッパの三平』でご一緒する事になった。

―― なるほど。

平田 『カッパの三平』は、僕がマッドハウスから外に出てやった仕事なんですよ。よそのスタジオに他流試合に行ったようなものでね。雪室さんの脚本がものすごく素敵で、「やりたい!」と思ったの。オバケ映画じゃなくって、少年のひと夏の物語だった。それが素敵だったのね。だけど、『カッパの三平』はちょっと制作面で予算的に厳しかったんです。マッドハウスでは、さっきも言ったように名優に囲まれて仕事をしていたけれど、マッドを離れたらそんな役者達は使えないんですよ。でも、頑張ってみよう。脚本が良ければ、作品は観られちゃうものだよ、と思って。エンディングでは「やっぱり人がやんない事やんなきゃなあ」と思って、カメラマンとカッパコレクション(板久河童コレクション)という河童のものが集められているところに行って、写真を撮ってきて。それをモンタージュして、カッパだらけのエンディングを作った。それで映画にちょっとひと味、加味したんです。作品としてはいい雰囲気のものになったと思う。雪室さんも「脚本を(ちゃんと)読んでくれてありがとう」みたいな事を言ってくれた。色々あったけど『カッパの三平』は割と好きな作品。それから、あれは丸さんの手の外の作品。

―― 平田さんに関して気になっている事がひとつあるんです。『はだしのゲン』以外にも、それ以降、戦中もの、終戦もの、あるいは広島を題材にした作品を、かなりの数おやりですよね。(注18)

平田 やっていますね。

―― だけど、平田さん自身が広島出身であったり、身近に被爆された方がいるわけではないんですよね。

平田 別にそういう事じゃないんですよ。それも基本的に、丸山の仕切りなんですよ。「そういった作品を、特に短編を器用にまとめるのは、平田であろう」と考えて振ってくれてるんだと思う。僕自身に広島に関して、何か考えている事があって作っていたわけじゃなかった。ただ、作るためには勉強をするし、勉強をしちゃうと、やっぱり知らなかった時よりは思いが強くなるよね。内容に入り込まないと、作品って作れないし。だけど、時々、そういった広島関係の記事で取材を申し込まれる事があって、それは困る。「俺は、そういう事のオーソリティーじゃないんだ」と思っているんだけどね(苦笑)。

―― ここで改めて平田さんのスタンスについて訊きたいんですが、アート的なアニメーションを志してやって来て……。

平田 違う違う。志はないよ。志はないけれど、そういう志向を持っていた。ストーリーから入るアニメーションっていうのがあるよね。りんさんみたいに2時間以上もの長さを、すごい力業の演出で見せちゃうアニメーションがある。今(敏)さんの『千年女優』みたいに構成力で見せる作品もある。だけど、その一方で、「画が動くんだ」というところから入っていくアニメーションも、あるんですよ。

―― 「画が動く」という素朴な喜びから始まるアニメーションが。

平田 そうそう。一方で、そういうものもある。ヨーロッパの短編アニメとか、『老人と海』とか『木を植えた男』とか。ああいうものも素敵だよね。僕はどちらかというと、芸術家とか作家タイプではないんだけど、そういうアニメーションと、普通のTVシリーズが歩み寄れないのか、上手く結婚できないものなのかなあとは思っている。

―― 面白いなあと思うのは、平田さんが、そういう志向をお持ちでありながら、たとえば南家こうじさんみたいな個人作家にならないところですよ。

平田 うん。

―― 『花田少年史』のオープニングもそうですよね。すごい映像なんだけど「俺様の作品だぜ!」というオーラは出てないんですよ。

平田 あの作品の作家は、原作者の一色まことさんだからね。それと、監督の小島や作画の兼森さん達と一緒にやっているものだから。商業アニメーションという枠の中で、どういう風に自分が生きていくのか。それで自分にはどういう喜びがあるのか、そういうスタンスでやっているんだと思うのね。僕は作家ではないんだけれども、楽しい仕事としてアニメーションを選んだからには、アニメーションの良いところを忘れないでやっていきたい。音楽家でいうと、ソロのバイオリニストやピアニストって作家だと思うんです。独奏会を開いたり、オーケストラをバックに演奏したり。僕はそうではない。かといって大オーケストラに参加して、シンフォニーを奏でるのは、辛いところがあるんだよね(笑)。『メトロポリス』とか『千年女優』といった作品へ、今さら1人のスタッフとして参加するのは大変だあ、というのもある。

―― 『メトロポリス』や『千年女優』は、音楽に喩えるとシンフォニーなんですね。

平田 うん。それで自分は何に向いているんだろうと考えたら、カルテットとかね(笑)。4人なり、3人なりの息のあった仲間でクラシックをジャズで演奏するみたいな。自分に一番合ってる世界って、そういうノリなのかな。それは最近になって気がついたんだけどね。どちらにしろ、僕はタイプとしてはソロではないですね。芸術家じゃない。芸術家としてアニメーションをやりたいとは、そんなには思わない。憧れはあるけど、それは自分の手に余るというか。

―― 個人作家的な方向にいかない理由として、さっきおっしゃっていた「ストーリーも大事だ」というのもあるんですよね。

平田 うん。それと、共同作業の喜びも知ってしまった。刺激しあったりして、お互いに成長していくといった部分のよさね。

―― そういう作品作りのスタンスは、平田さんの性格的なところと関連しているんじゃないかと思うんですが。

平田 それはあるよね。自分の資質について考えると、メロディメーカーじゃないな。やっぱり、アレンジャーだなあと思うの。あらゆる技術を駆使して、作品を仕上げる。相当の手練れじゃないと、アレンジャーってできないから。自分が手練れだと自慢しているんじゃなくて、そういう生き方の方が合ってるのかも知れないと思っているという事。

―― なるほど。

平田 競走馬でいうとね(笑)、華麗な逃げ馬っていうのがありますよね。先頭を突っ切って、ワーッて逃げ切る人。僕は、そういう逃げ馬でもないし、強烈な追い込み馬でもないし、着実な先行馬でもないし、鋭い差し馬でもないし……って分かる?

―― (苦笑)。言われている事は、なんとなくわかります。

平田 それと別に、ジリ足ってのもあるんですよ。集団の中で目立たずトコトコ走ってて。それで、いつもいいとこには居るんだけど、目立たなくて。目立たないまま、毎回レース終わってしまう。で、間違って2着とか3着に来ちゃう時がある。「俺、ジリ足だなあ」って、自分で言うんですよ。他の馬は強烈な個性を持ってるんだけど、ジリ足はどこを取っても特徴がない。目立たないけど、みんな潰れた時なんかに、ひょこっと目立つ時がある。そういうタイプなんです。すごい喩えでしょ(笑)。



(注9)
『グリム童話 金の鳥』は、マッドハウスが制作した劇場作品。凝った美術とユニークなキャラクターが魅力の快作だ。制作されたのは1984年だが、3年間オクラ入りして、87年に公開された。

(注10)
『金の鳥』では「みんなのうた」等で知られる南家こうじが、ミュージカルシーンを担当している。

(注11)
大橋学は『宝島』オープニング・エンディング、『ロボットカーニバル』の「CLOUD」等を手がけたアニメーター。石川山子は『夏への扉』『浮浪雲』『風と樹の詩』等を手がけた美術監督。その濃密な仕事ぶりは目を見張るほどのものだ。福島敦子は『Manie―Manie 迷宮物語』の「ラビリンス*ラビリントス」等で知られるアニメーター。ゲーム「ポポロクロイス」シリーズのキャラデザインも手がけている。

(注12)
『ボビーに首ったけ』は、片岡義男の小説を、吉田秋生のキャラクターデザインでアニメ化した劇場中編。イラストや実写の写真、鉛筆画の動画まで駆使した多彩な映像表現と、青春ものらしい爽やかさが魅力の作品である。

(注13)
監督のりんたろうが『ボビーに首ったけ』では、プランナーの立場で参加している。

(注14)
野村宏伸は、当時の角川映画の常連俳優。本作で主演を務めている。

(注15)
ここで話題になっている『はれときどきぶた』は、ナベシン監督のTVシリーズではなく、オープロダクションが制作を担当した劇場作品。シュールな味わいが楽しい。美術の見応えもかなりのもの。

(注16)
正式タイトルは『小さな恋のものがたり チッチとサリー初恋の四季』。みつはしちかこの有名原作をアニメ化したTVスペシャル。脚本は雪室俊一。

(注17)
『あずきちゃん』では、その話の出来事を主人公があずきが振り返るエピローグ部分があり、その映像を構成するイラストを彼が描いていたのだ。各話ごとに趣向を凝らした、楽しいものだった。

(注18)
掲載した作品リスト以外にも(初出時には作品リストも掲載されていた)広島の被爆、反戦等をテーマにした作品を何本も手がけている。