腹巻猫です。11月12日、「冨田勲追悼特別講演 ドクター・コッペリウス」に足を運びました。トミタサウンドに包まれる至福の時。同時に冨田先生がもういないという寂しさも……。いや、冨田先生は「イーハトーヴ交響曲」と「ドクター・コッペリウス」で描かれた夢幻の世界にいるに違いありません。
このコンサートに間に合わせるためにスタッフが心血を注いだCD-BOX「冨田勲 手塚治虫作品 音楽選集」が会場で販売されていました。『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『どろろ』『千夜一夜物語』などの音楽を5枚のCDに収録。初商品化曲満載のBOXです。100ページに及ぶ解説書も圧巻。全アニメ音楽ファンにお奨めしたい。
冨田勲 手塚治虫作品 音楽選集
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手塚治虫アニメ作品の音楽を手がけた作曲家の中で、とりわけ印象深いのが冨田勲、宇野誠一郎、樋口康雄の3人である。3人とも「天才」と呼んで差し支えのないすばらしい才能の持ち主だが、中でも少年時代から「天才」と呼ばれたのが樋口康雄だ。
今回は樋口康雄が手がけた劇場アニメ『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』の話。
樋口康雄は1952年生まれ、東京都出身。音楽好きでバイオリンを趣味にしていた父親の影響を受け、幼少時から音楽に親しんだ。小学校時代にピアノ曲、鼓笛アンサンブル曲を作曲。中学校時代はビートルズに傾倒し、バンドを結成する。高校時代には慶応大、立教大のジャズ研に参加し、ピアニスト、コーラス・アレンジャーとして活動していた。高校在学中にボーカル・インストゥルメンタル・グループ〈シングアウト〉のメンバーとしてNHK「ステージ101」に出演、「ピコ」の愛称で人気を集める。これがプロの音楽家としてのスタートになった。
高校卒業後は上智大学に進学し、在学中から作曲・編曲・演奏家として活躍して注目される。1972年に作曲・編曲・ボーカル・キーボード演奏を1人で手がけたアルバム「abc/ピコ・ファースト」を発表してソロデビューを果たした。
その後、TVドラマ、劇場作品等の映像音楽やCM音楽、舞台音楽、アーティストへの楽曲提供・プロデュース等で幅広く活躍。純音楽作品やポップスのオリジナル作品も発表するなど、ジャンルを超えた活動を続ける音楽家である。
樋口康雄の映像音楽作品では、NHK少年ドラマシリーズ「つぶやき岩の秘密」(1973)が鮮烈だ。筆者にとってもこのドラマが樋口康雄初体験。石川セリが歌う主題歌「遠い海の記憶」は一度耳にしたら忘れられないTV音楽史に残る傑作である。沖雅也が主演したNHK時代劇「ふりむくな鶴吉」(1974)の音楽も時代劇音楽のイメージを軽やかに裏切るクールでとんがった作品だった。ほかにTVドラマ「となりのとなり」(1974)、「七人の刑事」(1978)、「さらばかぐわしき日々」(1981)、劇場作品「哀愁のサーキット」(1972)、「赤い鳥逃げた」(1973)などの作品がある。
アニメでは『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980)のほか、24時間テレビのアニメスペシャル『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』(1981)、『小公女セーラ』(1985)、『機動新世紀ガンダムX』(1996)、『リーンの翼』(2005)等の音楽を担当。1980年のカラー版『鉄腕アトム』の際には音楽を担当する話があったが実現せず、そのときに用意した主題歌がのちにアルバム「ミュージック フォー・アトム エイジ」に収録されている。
また、『ママは小学4年生』(1992)の主題歌で益田宏美が歌った「愛を+ワン」も樋口康雄の音楽性が堪能できるすばらしい楽曲だ。樋口はこの歌をアメリカから日本に向かう飛行機の中で作曲し、帰国してからすぐにオーケストレーションをして録音したのだそうだ。樋口康雄の天才を証明するようなエピソードである。
樋口康雄は、映画音楽では「エデンの東」で知られるレナード・ローゼンマンに、管弦楽はゴードン・ヤコブに影響を受けたそうである。しかしそれは影響を受けたというだけで、樋口康雄が作り出す音楽は誰にも似ていない。華麗で色彩感豊か、音は厚いのに印象は軽やか、自由奔放に動き回る旋律、美しい建築のようなオーケストレーション、上品でポップな感覚。神様に祝福された音楽があるとしたら、こういう音楽ではないのかと思うのだ。
さて、『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』は1980年3月に公開された劇場アニメ。未来の宇宙と地球を舞台に、宇宙生命体2772=火の鳥を捕えようとする人間たちの愛と苦悩と争いを描くSFファンタジーである。「火の鳥」といえば手塚治虫のライフワークだが、本作はマンガ原作ではなく、オリジナル・ストーリー。原案・構成・総監督・脚本を手塚治虫が担当(原画にも参加)。フルアニメーションやロトスコープ、スリット・スキャン等を取り入れて映像にもこだわり抜いた手塚治虫入魂の作品だ。妙に艶めかしいメタモルフォーゼや人間とロボットの恋など手塚治虫作品にはおなじみの要素が本作にも刻印されている。
1979年、樋口康雄がニューヨーク・フィルハーモニア管弦楽団の委嘱を受けて作曲した新作が東京とニューヨークで演奏された。その公演を聴きに来ていた手塚治虫が樋口のバイオリン協奏曲「KOMA」を気に入ったことから、本作の音楽を樋口康雄が担当することになったという。
『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』の音楽はポップスのリズムセクションを入れない純粋な管弦楽編成。演奏は「オーケストラ2772」名義。指揮は樋口康雄自身が務めた。バイオリン・ソロを当時高校2年生だった千住真理子が担当している。録音は、今はなくなってしまった一口坂スタジオで行われた。
サウンドトラック・アルバムは公開に合わせた1980年3月、「火の鳥2772 オリジナル・サウンドトラック」のタイトルで日本コロムビアから発売された。劇中音楽を14トラックにまとめて収録した組曲風のアルバムである。2004年に〈ANIMEX1200シリーズ〉の1枚としてCD化された。
収録曲は以下のとおり。
- PROLOGUE〜BIRTH プロローグ〜ゴドー
- TRIALS 試練
- SHE 憧れ
- ADULTHOOD ぼくは大人になった
- LOVE AND SUFFERING 愛と苦悩の時
- THE EVILS OF THE WORLD 地上悪
- IN SEARCH OF SALVATION 旅立ち
- THE MERRY BUNCH 愉快な仲間たち
- THE ENCOUNTER 出逢い
- THE POWER OF LOVE 愛の戦い
- RETURN TO THE EARTH 帰還
- DESTRUCTION 地球の最期
- DEATH 死
- REBIRTH 復活
曲順はほぼ劇中使用順だが、複数の曲を使用順にこだわらずに1曲にまとめたトラックもある。「樋口康雄オリジナル作品」としても聴ける、完成度の高いアルバムである。
1曲目のプロローグの音楽から圧倒される。本編の冒頭、火の鳥が極彩色の幻想的な空間を舞う場面に流れる曲だ。劇中で何度も変奏される「火の鳥のモチーフ」が提示される。
2分を過ぎて、千住真理子のバイオリンをフィーチャーしたバイオリン協奏曲風の音楽が登場。白地に黒い文字でスタッフ・キャストが映し出されるタイトルバックの音楽である。古風な曲調が本作に格調高い雰囲気を与えている。
3分45秒あたりからは、主人公ゴドーの誕生から成長の過程を描く一連の場面の音楽。このシークエンスにはセリフと効果音はいっさい入らず、音楽と映像だけでゴドーの成長と女性型ロボット・オルガとの出逢いと交流が描かれる。ここで「オルガのモチーフ」が登場。映画音楽でありながら、まるでクラシック音楽のような構成になっていることに唸らされる。映像に合わせた音楽なのだが、説明的な印象はなく、音楽だけでもイメージが広がる。今、観直すと、むしろ映像が音楽に負けている印象すらある。
2曲目の「試練」は成長したゴドーが宇宙ハンター訓練所で訓練を受ける場面の曲。厳しい訓練場面のモンタージュに付けられた音楽だが、曲調は軽やかで躍動的。ユーモラスな木管、きらびやかな金管、疾走感のあるストリングス。最初から最後まで飽きさせないみごとなオーケストラ作品になっている。
3曲目「憧れ」はゴドーをしごく訓練所の教官をオルガが懲らしめる場面の曲。タイトルの「憧れ」は、オルガのゴドーへの想いを表しているのである。この時期の樋口康雄作品に特徴的な、飛び跳ねるような弦のピチカートが心地よい。
4曲目の「ぼくは大人になった」は、ゴドーが上流階級の美しい娘・レナと出逢い恋心を抱く場面に流れるロマンティックな曲。序盤はゴドーがエアカーを飛ばす場面の躍動的な曲。中盤から花畑のシーンになり、ハープのアルペジオをバックに木管とストリングスの美しいメロディがゴドーの初々しい心情を表現する。樋口の紡ぐ音楽は下世話にならず、どこまでも上品で夢見るよう。音楽自体が恋のときめきに身を震わせているような心くすぐられる曲だ。
アルバムの聴きどころのひとつが、火の鳥との遭遇を描く「出逢い」。火の鳥が登場する3つの場面の曲が1曲にまとめられている。バラバラの場面の曲を繋げた印象はなく、はじめから1曲として構想された曲のようにしか聴こえない。最初に登場するのは火の鳥が初めてゴドーの前に姿を現す場面に流れる神秘的な曲。続いて、オルガが火の鳥と戦う場面に流れるストラビンスキー的な音楽。火の鳥の恐ろしい怪物としての一面を表現する曲だ。最後にふたたび火の鳥の神秘的なイメージが提示されて終わる。「火の鳥のモチーフ」を中心にしたソナタ形式のような展開が美しい。
次の「愛の戦い」も、人間と火の鳥が戦う場面の曲を集めた聴きごたえのあるトラック。5つの場面の曲が1曲にまとめられている。戦闘場面の音楽らしい激しさ、緊迫感を持ちながらも、いたずらに不安感や闘争心をあおる音楽ではない。むしろ、変化に富んだ展開と精緻なオーケストレーションに聴き入ってしまう。映像と遊離せず、映像のイメージを2倍にも3倍にも引き立てる音楽でありながら、単独の音楽作品としても聴ける完成度。樋口康雄が生み出す音楽の奇跡にただただ感嘆するしかない。
筆者が以前、樋口康雄にインタビューした際に聴いた話では、本作の音楽はすべて絵コンテをもとに作曲し、映像はいっさい観ていないそうである。それがかえって、映像に制約されない豊かな音楽を生み出すことになったのかもしれない。完成した映像も力作だが、樋口康雄の音楽は、映画音楽とか純粋音楽とかいう枠を軽く超えている。音楽に身を浸すよろこびや音楽の官能性までをも体験させてくれるすばらしい作品だ。ワーグナーの楽劇やチャイコフスキーのバレエ音楽に匹敵するような普遍性を持った音楽作品である。
「天才」樋口康雄の代表作として、アニメファン、映画音楽ファンのみならず、すべての音楽ファンに聴いていただきたい1枚だ。
なお、本作の音楽商品としては、ほかに「プロローグ」と「愛の戦い」を収録したシングル盤と2枚組のドラマ編LPが発売されている。このドラマ編が意外に聴きものである。
ドラマ編LPは映画の物語を90分ほどに編集した内容。現在のDVD版ではカットされているシーンの音声も収録されている。音声は本作のモノラル音声をそのまま収録したものではなく、音楽をステレオで新たにダビングしたもの。音楽の入るタイミングも少し異なっている。「音楽・レコード構成」として樋口康雄の名がクレジットされているので、音楽の聴きどころに主眼を置いて構成されたのだろう。音楽集(オリジナル・サウンドトラック)に未収録の曲もステレオで聴くことができる貴重なアルバムなのだ。
いつの日か、未収録曲を含めた『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』のサウンドトラック完全版が実現することを心から願いたい。