COLUMN

第942回 『沖ツラ』『キミ越え』と『怪物くん』

 『沖ツラ』は10話途中でしたっけ。いや、色々寄り道を挟んだ挙句『キミ越え』話も始まってややこしくなって御免なさい。でも、皆さんが興味を失ってもマイペースにやらせていただく主義です、自分は。
 で、マジムンの後、

“妖怪ちょっかい女”(貞●風)に扮した安慶名さん~パーントゥ登場!~比嘉さんの手を引っ張って逃げるてーるー!

の辺り。今、コンテを見直してみると、かなりノッてますね。元のコンテを無視してほぼ全修、我ながらその筆に迷いがないのが分かります。今までの人生、プライベートでは無視し続けたジャンル——ラブコメ。俺は子供の頃からマンガもアニメも恋愛やらラブコメやらは嫌いでした。しかし、アニメを生業にして脚本・コンテを自分で描くようになってからは結構、照れずに楽しんで描いてる節があります。仕事というのは案外そういことうものなのかと。
 肝試し都合で作った森を抜けた事にして、実在する“浜千鳥の歌碑”へ繋いでいます。比嘉さんに抱きついて「帰ろう帰ろう」と首を振る喜屋武さんが、人体構造的にあり得ない角度まで首を振ってたラッシュ(撮影上がり)を見て、「こんなとこまで首が回るはずないだろ!」と作監に怒って、画を抜いたのを記憶しています。それ以降は概ね元のコンテを活かしましたが、“※ちなみに下地は宮古島出身によくある性”のスーパーがのるポン寄りカットはこちらで足しました。

原作にある沖縄うんちくを何故入れようとしない!1カット数秒で済むでしょ!

とこれもコンテ・演出に檄を飛ばして、自分で足しました。
 ちょっと戻って、“沖縄MEMO.53パーントゥ”の解説画面。中島楽人君の原画がめっちゃ楽しくて良かったです! もちろん作監は入っているけど、元の原画のニュアンスは拾われたはず。

 そして、本来は苦手な恋愛モノ『キミ越え』の話、とは言うモノの、こちらは作り方改革の話の途中だったかと思います。まず、演出不在の理由は何週か前の第938・939回の方で。
 次に作画。これは『沖ツラ』でもやっていましたが、ウチのやり方は新人~中堅~ベテランまで、フル稼働。

誰が原画で動画か? を決めるのはカット内容に応じて臨機応変に動かす!

のです。例えば、止め口パク・目パチ程度のカットだったら、コンテ拡大を基準に、新人動画マンに原画を描かせて、作監修正をのせ、本人に戻して直接動画~仕上げまでやってもらいます。
 つまり、今だ世間で横行している

ラフ原画→ラフ作監→第二原画→原画作監、の無駄な多重チェックの流れをショートカット!

するのです。“横行”とか“無駄”とか言って大変申し訳ありません。だって、ただでさえ人手不足が叫ばれる業界で、会社同士が制作デスク・進行に電話掛けさせまくってアニメーター獲得合戦やるくらいなら、カット単位ででも無駄な修正工程を省いて、その人手を別のかたちで使うほうが賢いでしょう。
 カットというのは動き回る動画枚数何十~何百の“◎”大作カットから、ワンアクションの“○”普通のカット、そして前述の止め口パク・目パチの“△”簡単カットまで波があるのです。そのどれも2回ずつ修正を入れなければならない理由はありませんから。(※ちなみに『キミ越え』1話分約280前後カット中、“◎”カットは30~40カット、残りが“○”と“△”でそれぞれ半々くらいだったでしょうか?)
 「そんなやり方じゃ、良いアニメーターが育たないじゃないか?」「動画でもなく簡単な原画ばかり描かせるなんて、新人は何から学ぶんだ!?」的な当たり前のご意見をお持ちの方、次回改めて説明します。

 さらに追加。この間アフレコの時、トムス・エンタテインメントのプロデューサーさんから、

『怪物くん〈1968年版〉』のBlu-rayをいただきました!!

藤子不二雄(A)先生の名作で、我々世代は1980年のカラー版の方がお馴染みですが、今回いただいたのは俺が生まれる前のモノクロ版。すでに初老の俺らから見てもさらに古い昔の作品。ぶっちゃけ、ストーリーも作画も今基準で比べたら手放しで「すっげー面白えぇっ!」てことにはなりません。古典ってそーゆーモノですよね。『あしたのジョー』(旧作)だって、『ジョー2』ほどのキレはなくて正直タルい部分が多々あります。なので、自分は古典を観る時は、

“作り手の魂”みたいなモノを探るように観る!

のです。それは、話・画が古い~云々より、「当時、アニメは何を描こうとしていたのか?」とか「これは現在のあの表現に繋がっているのではないか?」などに重きを置いて視聴するということです。
 よって、この『怪物くん〈1968年版〉』も仕事合間の休憩時間、頭から一話一話楽しく丁寧に観させていただいています!

 てとこで、また次週。