腹巻猫です。本年もよろしくお願いいたします。
2月6日に腹巻猫著『劇伴音楽入門』(インターナショナル新書)を上梓します。主に日本のサウンドトラック(劇伴音楽)について、初心者向けに書いた入門書です。「劇伴」をタイトルにしたのは出版社の意向によるもの。サントラファンに限らず、「劇伴ってなに?」「劇伴の楽しみ方を知りたい」と思っている人に向けて書きました。内容はアニメ音楽が多めで、当コラムで書いた原稿を下敷きにした部分もあります。ぜひ、お読みください!
https://www.amazon.co.jp/dp/4797681705
『劇伴音楽入門』の出版を記念したイベントを2月11日に神保町・ブックカフェ二十世紀で開催します。こちらも、ぜひご参加ください!
https://www.soundtrackpub.com/event/2026/02/20260211.html
今回取り上げるのは、2025年12月26日に公開された劇場アニメ『この本を盗む者は』の音楽。
本作は深緑野分の同名小説を原作に、新進気鋭の制作スタジオ「かごかん」(株式会社かごめかんぱにー)が制作した映像作品第1弾である。監督は福岡大生、キャラクターデザイン・作画監督は黒澤桂子、音楽は大島ミチルが担当した。
“本の街”読長町(よみながまち)に暮らす高校生・御倉深冬(みくらみふゆ)は、膨大な数の書物を収めた「御倉館」を代々管理する一家の娘。御倉館は深冬の曾祖父が創立した巨大な書庫で、かつては町民に開放されていたが、現在は扉を閉ざしていた。その御倉館の本が盗まれる事件が発生。それに気づいた深冬は、突然、本に書かれた物語の世界に放り出されてしまう。読長町全体が住民もろとも物語の世界に変貌したのだ。御倉館の本にかけられた呪い「ブック・カース」が発動したためだった。深冬は書庫で出会った謎の少女・真白(ましろ)とともに、本泥棒を捕らえようと奔走を始める。
本好きにはたまらない設定と物語である(以下、本作の内容にやや詳しく触れます)。
読者が本(物語)の中に入っていくファンタジーは、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」(ネバーエンディング・ストーリー)をはじめ、たくさん創作されている。本作がユニークなのは、読者が本の中に入っていくのではなく、本に書かれた物語が現実世界(町)に実体化してしまうところ。そのとたんに読長町の住民は本の登場人物となって生き始める。パンフレットでは、それを「劇中劇」と呼んでいる箇所があり、巧みな表現だと思った。この作品では、いくつもの本の物語が劇中劇のように描かれる。それぞれの物語にあわせて絵柄や演出のテイストが変化するのが見どころだ。
ただ、85分の尺の中で複数の物語を描いたため、ややわかりづらくなった印象はある。町の住民の日常描写や、町が物語の世界に変貌する描写、物語のディテールなどをもう少し見たかった。1クールくらいのTVシリーズにすれば、さらに面白い作品になりそうだ。
観客が、このユニークな設定の劇場作品を楽しむ助けになっているのが音楽である。
少女向けアニメからSF・ファンタジー、現代劇、時代劇まで、幅広い作品を手がける大島ミチルは、本作に登場する物語(劇中劇)に合わせて、異なるスタイルの音楽を書き分けている。深冬たちの日常世界の音楽はピアノや小編成オーケストラによるオーソドックスなスタイルで。ブック・カースが発動したときの物語の世界の音楽はファンタジックなオーケストラサウンドやビッグバンドジャズ、民族音楽風サウンドなどで。サウンドが変わることで、観客は世界が変化したことを直感的に知ることができる。絶妙で効果的な音楽演出だ。
演奏と録音にもこだわっている。オーケストラと合唱はブダペストで、ブダペスト・シンフォニー・オーケストラと合唱団の演奏で録音。ビッグバンドスタイルの曲はニューヨークで現地のミュージシャンの演奏で録音。ボーカル(堀澤麻衣子)とマンドリン、ギター、ウクレレ(渡辺等)は東京で録音している。ミックスはパリのスタジオ。曲に合わせて演奏家や録音場所を選ぶこだわりが、物語の世界を表現する音楽に説得力を持たせている。
本作のサウンドトラック・アルバムは、2025年12月26日に「『この本を盗む者は』オリジナルサウンドトラック」のタイトルでFABTONEから配信でリリースされた。CDも同日発売の予定だったが延期になり、1月13日に発売予定である。
収録曲は以下のとおり。
- 神との対話
- 本屋街にて
- 畏れ
- 御倉館の異変
- 切り替わる合図
- 繁茂村
- 【或る世界】の日常
- 変身、空に駆ける
- 夜明けを呼ぶ声
- 婚礼
- 時間がない!
- 深冬と真白
- ブック・カース
- 侵入者発見
- 「BLACK BOOK」
- 私立探偵リッキー・マクロイ
- 取締局襲撃
- 絶望から生還まで
- McCloy’s Motto
- うつくしい狂気
- 「銀の獣」
- コーネリアスの覚悟
- 危機的世界
- ミネルヴァ号発進!
- 白い読長町
- 御倉たまき
- 呪いの物語
- 狐神とたまき
- 幼き幻影
- 願いへの挑戦
- 其れは宿罪を糾うに似て
- 逆襲のサイン
- 別れ、終焉
- この本を盗む者は
85分の作品に55分の音楽がつけられている。それだけ音楽が果たす役割が大きいと言えるだろう。
音楽は映像にタイミングを合わせたフィルムスコアリングで制作。主要なキャラクターや物語の核となる要素には象徴的なメロディやサウンドが設定され、そのバリエーションが劇中にちりばめられている。古典的な劇音楽の手法である「ライトモチーフ」を使った音楽設計だ。
本作の音楽の聴きどころのひとつが、ライトモチーフを活用した演出である(ここからストーリーの細部に触れますよ)。
主人公・深冬のモチーフは、トラック2「本屋街にて」の冒頭に現れるフルートが奏でるメロディ。トラック29「幼き幻影」やトラック33「別れ、終焉」など、深冬の心情を描写する場面でこのモチーフが使われている。深冬は初登場時は少しツンとしているのだが、物語をめぐる冒険の中でしだいに態度を変化させていく。そんな深冬のキャラクターに奥行きを与える音楽である。
ふしぎな少女・真白は、明快なメロディよりもフランス印象主義音楽を思わせるサウンドで描写されている。繊細なハーモニーや色彩感豊かな音色を使った幻想的なサウンドだ。真白が初めて姿を現す場面のトラック4「御倉館の異変」に、その特徴的なサウンドを聴くことができる。ほかにもトラック8「変身、空に駆ける」やトラック12「深冬と真白」といった真白にフォーカスしたシーンで、このサウンドが効果を発揮していた。
もっとも印象的なのは、本にかけられた呪い「ブック・カース」に付与されたモチーフだ。トラック13「ブック・カース」の後半に現れる妖しいメロディがそれである。このモチーフはトラック3「畏れ」で早くも登場し、その後もブック・カースがらみのシーンでくり返し再現される。やがて、このモチーフは物語のカギを握るキャラクターのテーマとしても使用される。
ブック・カースのモチーフは呪文のような女声コーラス(ボーカリーズ)をともなって奏でられることが多い。そのコーラスが「なんと言っているかを聞き取ってほしい」と大島ミチルはインタビューで語っている。劇伴を聴くときに耳を傾けてほしいポイントである(実は筆者はまだ聞きとれていない)。
続いて注目したいのが、物語の世界につけられた音楽。それぞれに工夫を凝らした曲調で物語世界を表現している。本作いちばんの聴きどころと言ってもよいだろう。大島ミチルは、監督から「ここはジャズで」「このシーンはクラシックで」と具体的な指示をもらうこともあったという。
作品の中には、三つの物語(書物)が登場する。念のため言っておくと、いずれもこの作品(と原作)にだけ登場する架空の書物である。
ひとつめは「繁茂村の兄弟」。マジックリアリズムの手法で書かれた幻想小説だ。マジックリアリズムは「百年の孤独」(ガルシア・マルケス著)に代表されるラテンアメリカ文学によく見られる手法で、超自然的な事柄があたりまえの日常のように描かれることに特徴がある。「繁茂村の兄弟」はふしぎな村の歴史を描く物語。大島ミチルは、この物語に民族音楽風のサウンドを取り入れたエキゾチックな音楽を書いている。サウンドトラックではトラック5〜11が「繁茂村の兄弟」のエピソードにつけられた曲である。
トラック5は繁茂村の物語のテーマ。神秘的な女声コーラスがふしぎな繁茂村の世界を表現する。この場面だけの使用で終わってしまうには惜しい、魅力的なテーマだ。トラック6「繁茂村」は読長町が物語の世界に変貌していくシーンに流れる曲。次々と曲調が変化する構成はフィルムスコアリングならでは。大島ミチルはこの曲が特にお気に入りだという。トラック7「【或る世界】の日常」は繁茂村の住民たちの描写に使用された曲。この曲はトラック2「本屋街にて」の後半のメロディの変奏になっており、読長町の住民が物語世界の住民として生きていることが音楽で示唆されている。また、トラック11「時間がない!」は猫たちが三味線で演奏する「天国と地獄」(オッフェンバックの曲)という設定で書かれた楽しい曲である。
ふたつめの物語は「BLACK BOOK」。探偵小説のサブジャンルであるハードボイルドのスタイルで書かれた物語だ。大島ミチルは、この物語にビッグバンドジャズとロックを融合した音楽を書いている。サウンドトラックではトラック15〜19が「BLACK BOOK」のエピソードにつけられた曲。全編を通して、もっとも音楽のテイストの違いが際立っているのが、このエピソードだ。ここで流れる音楽は、「探偵映画ってこういうもの」という典型的なイメージを反映したもの。遊び心のある音楽であり、それがこのエピソードの雰囲気にマッチしていた。
三つめの物語は「銀の獣」。スチームパンクSFのスタイルで書かれた物語である。スチームパンクとは、蒸気機関で動くロボットに代表されるようなレトロな世界観で書かれたSFのこと。大島ミチルは、ファンタジックなオーケストラサウンドにメカニカルなリズムを加えた音楽で世界観を表現した。サウンドトラックでは、トラック21〜24が「銀の獣」のエピソードにつけられた曲である。トラック23「危機的世界」やトラック24「ミネルヴァ号発進!」では、冒険SFのようなダイナミックな曲調を聴くことができる。
福岡監督は、物語の違いを映像的に表現するため、それぞれの物語のキーカラーを決めて絵作りを行ったそうだ。「繁茂村の兄弟」は金色、「BLACK BOOK」は白と黒、「銀の獣」は青という具合に。大島ミチルは音楽のスタイルを変えることで同じことを試みている。映像と音楽が補いあって物語の世界を作り上げる。劇伴音楽が単なる「背景音楽」にとどまらない役割を果たしていることに注目してほしい。
三つの物語のあとに、深冬と真白が最後の呪いを解くクライマックスのエピソードが描かれる。トラック26〜32は、その一連のシーンに使用された曲である。ここでは三つの物語の音楽とは異なるタイプのエモーショナルで劇的な音楽が流れる。これを「第4の物語」の音楽ととらえることもできるだろう。最後まで聴きどころ満載の作品なのである。
劇場アニメ『この本を盗む者は』は、本を読む楽しみを再確認させてくれるとともに、音楽(劇伴)の力をあらためて認識させてくれる作品だ。音楽に注意しながら観ていると、なぜ映画(もしくは物語)には音楽が必要なのか、考えさせられる。そして、なぜ、自分がサウンドトラック(劇伴音楽)というものに惹かれるのかも。
それはたぶん、劇伴音楽が現実世界に物語世界を現出させる音楽だから。ブック・カースのように。ただ、劇伴音楽は呪いではない。あえて言うなら、魔法である。もっとも、筆者のようなサントラファンにとっては、底なしの沼に引きずり込む呪いなのかもしれないが。
「この本を盗む者は」オリジナルサウンドトラック
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