COLUMN

第319回 とてつもないサウンド 〜果てしなきスカーレット〜

 腹巻猫です。今年も残り2週間。私が関わっているSOUNDTRACK PUBレーベルでは、今年はサントラを1枚(「新幹線公安官/騎馬奉行 オリジナル・サウンドトラック」)しかリリースできず、力足らずの思いが残りました(そのぶん、ほかの仕事をがんばりました)。来年はサントラファンによろこんでもらえるよう精進します。ちょっと早めの年末ごあいさつでした。


 今回は2025年11月21日に公開された劇場アニメ『果てしなきスカーレット』の音楽を取り上げる。細田守が原作・脚本・監督を務めたオリジナル作品である。ここからは作品の内容に触れることになるので、未見の方はご留意いただきたい。
 19歳のスカーレットは中世デンマークに生まれた王女。叔父クローディアスによって父アムレット王が謀殺され、復讐を誓うが、仇討ちに失敗してしまう。目覚めたスカーレットは「死者の国」にいた。そこは国も時代も異なる死者たちがさまよい、争う場所。スカーレットはクローディアスも死者の国にいることを知り、あらためて復讐のために立ち上がった。21世紀の日本から来た看護師の青年・聖と出会い、ともに旅をすることになった彼女は、クローディアスがめざす「見果てぬ場所」へと近づいていく。
 筆者は公開初日に観に行った。観終わって「すごいものを観せてもらったなあ」と思った。死者の国の悪夢のような情景、大画面を埋める群衆と軍勢、空に現れる巨大な竜。これまでの細田守作品になかったダークなビジュアルに圧倒された。音もすごい。地響きのような重低音、パイプオルガンの荘厳な音色。観たこと、聴いたことのない映像と音である。
 筆者はこの物語を十分楽しんだし、劇場で観る価値がある作品だと思った。死者の国を舞台にした復讐の物語は一般受けするとは言えないし、観たあとで心の中にもやもやしたものが残る。が、それこそが細田守が見せたかったものではないか。ごつごつとした感触があり、答えの出ない問いを心に刻みつける。だからこそ、忘れられない、無視できない作品になる。アニメーション技術の面でもテーマの面でも挑戦的な意欲作である。

 音楽の話に入ろう。
 音楽を担当したのは岩崎太整。細田守作品に参加するのは前作『竜とそばかすの姫』に続いて2度目だ。『竜とそばかすの姫』では、岩崎のほかに何人かの作曲家が楽曲を提供する形で音楽が制作されていた。本作は一部の既成曲(古楽)を除いて全曲を岩崎が作曲している。
 その音楽がすさまじい。常軌を逸していると言いたくなるような作り方をしている。
 本作の音楽作りについては、公開に合わせて放送されたTV特番や劇場パンフレット、月刊アニメージュ2025年12月号などで語られている。以下、それらを参考に本作の音楽を紹介していこう。
 岩崎によれば、本作の音楽においてもっとも大きな存在であったのは、中盤に登場するダンスシーンだったという。このシーンに流れる歌「祝祭のうた」は、聖がリュートで弾き語りする歌としても流れるし、スカーレットもこの歌を口ずさむ。本作のメインテーマと呼べる重要な曲だ。
 しかし、サウンドトラックという意味で重要なのは、むしろ死者の国に流れる背景音楽である。
 岩崎はこう語る。

「(※筆者注:ダンスシーンの)祝祭感を際立たせるために、劇伴も明確なメロディや旋律は意図的に排していて、全体としてはかなり抑制を利かせたサウンドにしています。しかも舞台は《死者の国》。……地獄でも天国でもない場所ということで、音楽的にもあえて明るい・暗いといった調性はなるべくつけないようにして、何かとてつもないサウンドが迫ってくるような表現を目指しました」(劇場パンフレットより)

 「とてつもないサウンド」。筆者が考えるに、これが本作の音楽の肝であり、世界観を決定づけるものである。
 まず驚かされるのはオーケストラの規模だ。演奏者はおよそ300人。サウンドトラックCDの解説書に掲載されたミュージシャン・リストによれば、弦だけで150人超。そのうちコントラバスが23人(ふつうは多くても6〜8人くらい)。ほかにもバストロンボーンが3人(ふつうは1人)、ホルンが17人(ふつうは4〜8人)など、低音域が大幅に強化されている。一般の音楽や劇場作品では聴けない厚い低音の響きが本作の音楽の醍醐味である。
 大編成のオーケストラを鳴らす技法としては、たとえば30人で演奏した音に、もう一度30人で演奏した音を重ねて、60人で演奏した(かのような)音にする方法がある。しかし、本作はそうではなく、実際に60人のバイオリン奏者を集めて録音したそうだ。別録りした音を重ねるのと同時に録るのとでは「まったく違う音になる」と岩崎は語っている。おそらく「大きな空間で多くの楽器が鳴っている」ことが大切なのだろう。奏者1人ひとりの演奏の違いや集団が生み出す空気感などが、サウンドの違いとなって表れるのだ。
 低音を鳴らす工夫は、ほかにもある。たとえば、楽器の中でもっとも低い音が出るとされるパイプオルガンを使い、その低音を弦楽器に重ねて鳴らしている。
 さらに驚くのは、重低音専用の新しい楽器を作ってしまったことである。コントラバスを3倍くらいの大きさにした楽器で、弦が1本しか張られていないことから「ガイガンティック・モノコード」と名づけられた。劇中に登場する竜の鳴き声もこの楽器で表現しているそうだ。地の底から響くような、この世のものとは思えない重低音である。
 この低音が、冒頭から死者の国の情景に重なって流れる。血管のような模様が刻まれた赤黒い大地。海原のように白い波がうねる空。そこに響く、重低音の音楽。このシーンだけで十分に衝撃的で、心をつかまれる。
 本作のサウンドトラック・アルバムは2025年11月21日にソニー・ミュージックレーベルズから「果てしなきスカーレット オリジナル・サウンドトラック」のタイトルでCDと配信でリリースされた。
 収録曲は以下のとおり。

  1. 辺獄
  2. 王のパヴァーヌ
  3. 決起
  4. 連闘
  5. 裁定者
  6. 蛙のガリアルド
  7. NOSTALGIA
  8. 騎戦
  9. 最後の言葉
  10. 追想
  11. 祝祭のうた(歌:Maya&松田歩(離婚伝説))
  12. 蚤の市
  13. 騒乱
  14. 天階
  15. 父の心
  16. 別離
  17. 誓い
  18. 果てしなき(歌:芦田愛菜)

 劇中に流れる楽曲をほぼ全曲、使用順に収録。序盤で流れた打楽器のみで演奏される曲など、一部未収録曲があるが、主要な楽曲は聴くことができる。
 1曲目の「辺獄」は冒頭に流れる曲。死者の国が紹介される場面だ。最初に神秘的なサウンドが流れ始める。アニメージュの岩崎太整インタビューによれば、ここでは日本の雅楽で使う笙と西洋の弦楽器とガラスの割れる音が一緒に鳴っているのだそうだ。笙の奏でる特殊な和声が、どこの国とも思えない不思議な響きを生み出している。そして、1分30秒を過ぎたあたりから重低音が響き始める。荒涼とした《死者の国》をさまようスカーレットの場面である。
 重低音を取り入れた効果音的なサウンドが、本作の世界観を表現する基調音になっている。「辺獄」のほかにも、スカーレットがあらためて復讐を決意する場面の「決起」(トラック3)、空に巨大な竜が登場する場面の「裁定者」(トラック5)、スカーレットが父の最後の言葉を知る場面の「最後の言葉」(トラック9)、群衆と軍勢が衝突する場面の「騒乱」など、物語の重要な場面に同様のサウンドが流れている。死者の国を表現するとともに、スカーレットの心に渦巻く怨念や迷いを反映したサウンドだとも言えるだろう。
 異世界ファンタジー的な民族音楽風の曲もいくつかある。
 たとえば「王のパヴァーヌ」(トラック2)はスカーレットが回想するパーティの場面の音楽。岩崎太整が古楽風に書いた曲をイタリアの古楽オーケストラ・ENSEMBLE I TROBADORESが演奏している。また、リュートが奏でる「蛙のガリアルド」(トラック6)は、15〜16世紀に活動したイギリスのリュート奏者&作曲家のジョン・ダウランドが作った既成曲である。劇中では、聖が傷ついた旅人を手当てする場面に流れている。フラダンスの曲「NOSTALGIA」も専門のフラ奏者による演奏だ。いずれも「民族音楽も嘘がないように」との岩崎のこだわりが反映された楽曲である。
 中盤のダンスシーンに流れる「祝祭のうた」は、スカーレットの心が変化するきっかけとなる重要な曲。ラテンミュージック的な祝祭感のある曲調は、それまでの物語の流れからすると唐突に聞こえる。が、ここでは爆発的なインパクトがほしかったのだろう。映像も死者の国やスカーレットの回想シーンとは、まったく異なるタッチで描かれている。スカーレットにとっては、はるか未来のビジョンであり、現実離れした光景だ。シーンによってアニメーションのルック(見た目、スタイル)を変える試みと音楽との組み合わせが効果を上げ、スカーレットが体験した衝撃が伝わってくる。
 死者の国の重低音サウンドとは対照的な美しい音楽もある。終盤に流れる「天階」(トラック14)と「父の心」(トラック15)は、パイプオルガンの音や合唱をともなう荘厳な曲。教会音楽を思わせる神秘的な響きに心が洗われる気分になる。
 そのあとに流れる「別離」(トラック16)と「誓い」(トラック17)は、情感豊かな美しいメロディとサウンドで作られている。それはスカーレットの心が変容した証なのだろう。観客を死者の国から現実世界に復帰させるための音楽でもある。
 しかしながら、重低音とともに死者の国を旅してきた筆者は、こうした美しい音楽を物足りなく感じてしまう。そのくらい死者の国のサウンドには、心をつかんで離さない、悪魔的な魅力があった。
 映画には「体験」するしかないタイプの作品がある。物語に没入したり、泣いたり、笑ったり、共感したりするのも劇場作品の楽しみ方だが、「なんだか、すごいものを観た」というタイプの作品にたまに出会う。筆者にとっては『2001年宇宙の旅』がそういう作品だし、劇場アニメ『AKIRA』も同じカテゴリに入っている。そして、『果てしなきスカーレット』も筆者の中では近いところにある。細田守が観てほしかったものとは少し違うかもしれないが、死者の国の濃密な映像と重低音のサウンドが、筆者にはいちばん大きなインパクトだった。それを体験するだけでも、劇場で観る価値がある。
 もし、本作のシネマコンサート(作品を上映しながらオーケストラで劇伴を演奏するコンサート)が開催されたとしても、300人規模のオーケストラの演奏をステージで行うことは不可能だろう。本作の音楽のスケールと重低音サウンドは、劇場でしか体験できないものだ。できれば、大スクリーンの音響のよい劇場で観てほしい。そして、「とてつもないサウンド」を全身で体感してほしい。細田守が作品に込めたメッセージは、その「体験」とともに記憶に残るだろう。それでいい、と筆者は思う。

果てしなきスカーレット オリジナル・サウンドトラック
Amazon