COLUMN

『タイガーマスク』を語る
第15回 ここまでのまとめと『タイガーマスク』のドラマ

 前回までで、第50話「此の子等へも愛を」から第100話「明日を切り開け」までにあったテーマ性の強いエピソードの紹介が終わった。僕はこの10年くらい、プライベートでもイベントでも「『タイガーマスク』のドラマが凄い」という話をし続けてきた。それで話したのが、主にこれらのエピソードだった。
 『タイガーマスク』は児童を意識した番組としてスタートし、次第に大人びた筆致で物語が紡がれるようになり、その結果として、前回までで取り上げたテーマ性の強いエピソード群が生まれた。ここまで読んでいただいた皆さんには、いかに深いドラマが展開されたのか、いかに巧みに物語が構成されているのか、分かっていただけたのではないかと思う。TVアニメ『タイガーマスク』が放映されていたのが1969年から1971年。今から50年以上前にこれだけ、ハイレベルな作品が作られていたのだ。ここでは敢えて「ハイレベル」という言葉を使いたい。

 今回は第50話から第100話までにあったテーマ性の強いエピソードについて振り返る。振り返りつつ、今まで触れていなかった情報も付け加える。
 第4クール終盤から第5クール最後の第50話「此の子等へも愛を」、第54話「新しい仲間」、第55話「煤煙の中の太陽」、第64話「幸せの鐘が鳴るまで」では被爆者家族、過保護、四日市の公害、交通遺児がモチーフになった。第50話と第55話は社会問題を取り上げたことで、アニメファンから賞賛されることが多い。社会問題を取り上げているのは間違いないが、それらのエピソードでは社会問題をきっかけにして、別のテーマを語っており、それが重要なのだ。これについて、僕は何度も言ってきたし、今後も強調していきたい。「社会問題を取り上げたから凄い」ではないのだ。
 第50話、第54話、第55話、第64話では伊達直人が不幸な境遇にいる人達と出会い、そのドラマを通して「直人は、そして人間は不幸な境遇の人達に対して何ができるのか」が描かれた。また、第50話は「他人の不幸を娯楽として消費すること」を皮肉を込めて描いたものとして受け取ることができる。これは作劇とテーマ性が非常に突出した話数として記憶に留めたい。

 第7クールと第8クールでは第83話、第84話、第87話、第89話、第93話、第100話で、ちびっこハウスの個々の子供にスポットが当てられた。社会問題をモチーフにした第50話、第54話、第55話、第64話とは違い、ファンが第83話からの一連のエピソードを語っているのを見たことがない。ではあるが、前回までのコラムで触れたように物語やテーマ性において、非常に充実したものであるのは間違いない。
 それらのハウスの子供にスポットが当たったエピソードでは「みなしごはどのように生きるべきか」が語られた。それは「人間はどのように生きるべきか」について語ったものでもあるはずだ。さらに「不幸な境遇にいる人、人生の岐路に立った人に対して接する場合は、相手のことを真剣に考えることが重要だ」ということも描かれた。
 第100話を観てから第50話を観れば、第50話の直人は被爆者家族に対して、彼等のことを考えて真摯に接していなかったということが分かるはずだ。あるいは第64話や第100話を観てから、以前のいくつかのエピソードを観れば、直人が色々な人達に対してファイトマネーを使っていたのが、思慮に欠けた行いに思えるかもしれない。第50話から第100話までの物語は、劇中では伊達直人自身が、作品外では作り手が、直人の行いについて見つめ直し、何をするべきなのかを考える過程だったのだろう。作り手がテーマや登場人物に真剣に向き合っている点が素晴らしい。
 脇道に入ってしまうが、作り手の真剣さと言えば、書いておきたいことがある。この作品ではテレビの前でアニメ『タイガーマスク』を観ている子供が、劇中の子供達に気持ちを重ねるという構造があった。つまり、劇中の健太達がテレビ中継を観てタイガーを応援し、それと一緒に現実世界でテレビを観ている子供達がタイガーを応援して気持ちを盛り上げていく。全話に健太達がテレビ中継を観ている描写があるわけではないが、基本としてそういった構造となっていた。第83話でタイガーがミクロに対して「自分の幸福のために、タイガーマスクのファンをやめる必要があるかもしれない」と言っているが、メタ視点を導入すると、あの発言は現実世界でテレビを観ている子供達に対して「君に必要なら、この番組を観るのをやめたほうがいいかもしれない」と言ったのと同じことだと受け取ることができる。そうだとしたら、何という強烈なメッセージなのだろうか。多くの視聴者に観てもらうためにテレビ番組を作っているはずのスタッフ達が、そんなことを語るなんて。視聴者である子供にとって何が重要なのか、それを真摯に考えた結果として生まれたメッセージであるのだろう。『タイガーマスク』の作り手の志の高さは眩しいほどのものだ。

 作り手は『タイガーマスク』の作劇についてどのように考えていたのだろうか。LD BOXの解説書に掲載された斉藤侑プロデューサーと脚本家 安藤豊弘のWインタビュー(DVD BOX第2巻の解説書に再録した)を読んでみよう。斉藤プロデューサーから脚本家に感情をリアルに表現して欲しいというオーダーがあったそうだ。それは非日常であるリングとちびっこハウスの日常をオーバーラップさせ、両者のドラマが溶け合うようにするためだった。安藤豊弘はそれを実現するために「シナリオの書き方も変わりましたよね。実写と変わらない書き方をしました」と述べ、それに対して斉藤プロデューサーは「それは僕の方で要求したんですよ。要するにマンガじゃないんだと。人間を描くんだからドラマがなきゃウソだ! ってね」とコメントしている。
 被爆者家族や四日市の公害を扱ったエピソードについてはLD BOXのWインタビューと、DVD BOX第2巻の新規インタビューで、斉藤プロデューサーは「伊達直人の生い立ちを考えれば、どうしてもそういったものに目を向けることになる」と述べている。みなしごの問題を突き詰めていけば社会の矛盾にぶつかるし、必然的にみなしご以外の問題に向き合う必要が出てくるということだ。斉藤プロデューサーはDVD BOX第2巻の新規インタビューで「プロデューサーになった以上は、自分が作りたいと思ったものを作りたかった。現実に自分の周囲にいろんな問題がある。(略)たまたま原作にもそういう傾向があったので、取り入れていったということです。それと、タイガーの弱者に対する目線を考えるとね、ああいったことを取り上げざるを得ない」とも語っている。『タイガーマスク』制作当時において、作り手にとって身近な問題は四日市の公害や交通戦争であり、みなしごの延長線上にあるものとして、それらを取り上げたのだ。
 第7クールと第8クールでちびっこハウスの子供達にスポットを当てたことについて、最終回を前にしてハウスのドラマを完結させる意図もあったが「ライターがそういうものを書きたがったのだろう。安藤さんがそういうものを書きたがったのではないか」と、DVD BOX第2巻の新規インタビューで斉藤プロデューサーは語っている。僕がDVD BOXで斉藤プロデューサーに取材をしてから20年以上が経った。もしも、機会があれば改めて『タイガーマスク』の主要スタッフにインタビューをしたい。

 さて、以下は別の話題だ。第50話、第83話、第93話、第100話では子供達が生きていくために、過酷な道を歩まなくてはいけないことが描かれた。具体的に言うと、新しい環境で暮らしていくために自分を変えなくてはいけないこと、あるいは不安を抱えていながら、自分の人生を左右する決断をしなくてはいけないことが語られた。生きることとは戦いであり、それは大人でも子供でも変わりはない。だから、毎日を精一杯生きて、明日を切り開いていくことが必要なのだ。それが第100話の結論であり、第50話、第83話、第93話もその価値感が前提で物語が紡がれていると言えるはずだ。
 ハードボイルドヒーローである伊達直人の日々が過酷であるのは納得できるが、どうして『タイガーマスク』の作り手は、子供達も過酷な人生を生きなくてはいけないとしたのだろうか。冷静に考えると、これは異色のドラマと言えるのではないだろうか。
 それについては次回で触れることとしたい。

●第16回 ルリ子の願いと『タイガーマスク』のテーマ に続く

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