COLUMN

第258回 主題歌はいらない 〜夏への扉〜

 腹巻猫です。6月17日に一橋大学一橋講堂で開催された劇場アニメ『夏への扉』の上映会+トークセッションに足を運びました。上映後に行われたトークセッションは、丸山正雄プロデューサーと出演声優である水島裕、古谷徹、古川登志夫、三ツ矢雄二、潘恵子らによる豪華な顔ぶれ。「昭和のアニメイベントか!?」と思うような楽しいトークでした。ちょっと残念だったのは、ハネケンの音楽の話題が出なかったことですね。


 『夏への扉』は1981年3月に公開された東映動画製作の劇場アニメ。竹宮惠子(当時の表記は恵子)が1975年に発表した同名マンガを、監督・真崎守、脚本・辻真先、アニメーション制作・マッドハウス(クレジットは製作協力)のスタッフでアニメ化した作品だ。
 イベントでも語られていたが、少女マンガの絵柄や雰囲気を再現した華麗な映像がすばらしく、70年代のアニメ『エースをねらえ!』や『ベルサイユのばら』の表現をさらに進化させた印象がある。「少女マンガの再現」と書いたが、「再現」ではなく「アニメによる少女マンガ的表現への挑戦」と言ったほうが適切だろう。
 『夏への扉』が公開された1981年は『銀河鉄道999』や『機動戦士ガンダム』などのSFアニメが人気で、少女マンガ原作の『夏への扉』はアニメ雑誌でも大きく取り上げられる作品ではなかった。しかもこれは、一般の映画館ではなく、小さいホールや公共施設などで公開されるオフシアター作品だった。もう少し時代が下ればOVAで発売されていたと思うが、公開当時は観られる機会が限られていた。筆者も当時は観ていない。ようやく観られたのは2000年代に入ってから。現在はアマゾンプライムなどの動画配信で観ることができる。
 『夏への扉』はフランスの寄宿制男子校に通う少年たちを主人公にした物語である。主人公のマリオンは知性と勇気にすぐれた美しい少年。仲間のジャック、リンド、クロードとともに合理主義を唱え、不合理なルールや慣習に抵抗して、生徒たちから支持を集めていた。そんなマリオンがある日、美しい婦人サラと出会って心を奪われ、彼女の妖艶な魅力におぼれていく。マリオンの変化は仲間の少年たちの関係にも変化を及ぼし、やがて悲劇的な事件が起きる……。
 竹宮惠子は単行本「夏への扉」のあとがきで、この物語の主人公はマリオンではなく、登場人物全員だと語っている。マリオンが中心になってはいるが、誰もが主人公になりうる群像劇なのだ。主役クラスの声優がそろったキャスティングも、それを意識してのことだろう。

 音楽は『宝島』『宇宙戦士バルディオス』などのアニメ音楽を手がけていた羽田健太郎。羽田は「復活の日」「薔薇の標的」の2作で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞したばかりで、本作が受賞後第1作だった。ヒット作『超時空要塞マクロス』を手がけるのは翌年の1982年である。まさに勢いに乗っていた時期の作品だ。
 音楽集アルバムのライナーノーツで、羽田は本作の音楽についてこう語っている。
「私は今度の作品に大変な意欲をもって取り組みました。(中略)打ち合わせの段階から、熱の入ったミーティングが重ねられ、作曲作業の過程でも、気がついたら夜が明けていたなんていうのはザラでした。(中略)したがって出来ばえも自分としては満足いくもので生涯思い出深いものになると思いますし、私の代表作の一つに数えられる作品だと思います」
 少女マンガを原作にした作品らしく、そしてフランスが舞台の作品らしく、音楽は60〜70年代のフランス恋愛映画音楽のような美しくロマンティックな曲調で書かれている。羽田自身のピアノがたっぷりフィーチャーされ、伊集加代子のスキャットも聴ける。ミシェル・ルグランやフランシス・レイを思わせる甘く切ない旋律とサウンドに彩られた、大人のムードのアニメ音楽である。
 羽田健太郎はピアニスト、アレンジャーとして、映画音楽のカバー演奏やアレンジをたくさん手がけていた。その経験が本作の音楽にも大いに生かされているはずだ。「こういう映画だったら、こういう音楽だよね」と言わんばかりの迷いのない音楽であり、これまでにないアニメ音楽を生み出そうという意欲も伝わってくる。
 結果、ハネケンの音楽は本作の「少女マンガらしさ」を支える大きな要素になった。ピアノの繊細な音色、スキャットの甘い香り、ストリングスのもの憂いアンサンブル。当時流行していたロボットアニメやSFアクションアニメのダイナミックなサウンドとは対照的な、柔らかく華やかなサウンドが、映像を際立てているのだ。
 本作のサウンドトラック・アルバムは1981年3月に「夏への扉 オリジナル音楽集」のタイトルで日本コロムビアから発売された。2005年に「ANIMEX1200シリーズ」の1枚として初CD化。一部の曲はCD「ハネケンランド」や「羽田健太郎 THE BEST〜10th memorial〜」にも収録されたが、いずれも現在は入手困難である。配信でいいから再発してほしいものだ。
 収録曲は以下のとおり。

  1. 夏への扉 —メインテーマ—
  2. レダニアのテーマ
  3. マリオンのテーマ
  4. 青春の迷路
  5. 愛のテーマ —サラ・ヴィーダ—
  6. 燃える夏
  7. レダと白鳥
  8. 年上の女(ひと) —愛のテーマII—
  9. 伯爵のテーマ
  10. 哀愁のマリオン
  11. 夏への扉 —メインテーマII—

 LPレコードではトラック1〜5がA面、6〜11がB面に収録されていた。
 録音スタジオは当時赤坂にあった日本コロムビアのスタジオ(多くのアニメサントラがここで録音された)。同じスタジオで15時間半に及ぶミックスダウンを行った、と羽田はライナーノーツに書いている。
 実は作品の中で使われた音楽は、音楽集アルバムに収録された音楽そのままではない。演奏はおそらく同一ながら、ピアノだけを抜き出したバリエーションやスキャット入りの曲からスキャットを抜いたバリエーションなど、ミックス違いが多く使用されている。観賞用の音楽と映像のための音楽は違うという判断だろう。本アルバムが「オリジナル・サウンドトラック」ではなく「オリジナル音楽集」と題されているのはそのためかもしれない。いずれにせよ、音楽集アルバムは、劇場用の音楽とはまた別ものの、独立した音楽作品になっている。
 音楽の核となるのは1曲目に収録された「夏への扉 —メインテーマ—」。劇中ではメインタイトルと、それに続くオープニング・クレジットのバックに流れる。ストリングスとホルンの序奏に始まり、ハネケンのピアノが甘く切ないメロディーを奏でる。金管楽器、リズムセクションが加わり、夏の香りが空気を満たす。ムード音楽かイージーリスニングの1曲と言われても納得してしまう、みごとなアレンジと演奏である。
 トラック2「レダニアのテーマ」は、マリオンに恋する美少女レダニアのテーマ。アコースティックギターとピアノをメインにした、これもフランシス・レイ風の1曲。レダニアの登場場面に必ずと言ってよいほど流れ、レダニアの可憐さと恋する想いを表現していた。
 この曲の変奏がトラック7の「レダと白鳥」。こちらは素朴な音色の木管楽器や民族楽器を加えた編成で演奏される。劇中では、ギリシャ神話のレダと白鳥の物語が紹介されるバックに流れていた。
 次の「マリオンのテーマ」は物語の中心になるマリオンのテーマ。これもアコースティックギターとピアノをメインにした曲であるが、曲調はさわやか。少年の純粋さとひたむきさを描写したような音楽だ。
 ストリングスがメランコリックなフレーズを速いテンポで奏でるトラック4「青春の迷路」は、乱れる心を表現する曲。マリオンにひそかに想いを寄せる少年クロードの苦悩のテーマとして使われている。
 そして、トラック5「愛のテーマ —サラ・ヴィーダ—」は本アルバムの聴きどころ。伊集加代子のスキャットをフィーチャーした、大人の女性サラのテーマである。マリオンを誘惑するサラの妖艶なイメージに、女声スキャットがこれ以上ないほどはまっている。間奏で登場するテナーサックスの音色も大人の雰囲気。官能的なムードはあっても下品にならないところがハネケンのアレンジのうまさだ。サラの初登場シーンから流れ、その後もマリオンとサラの関係を描くシーンにたびたび使用されて強い印象を残した。メインテーマとならぶ、本作を代表する楽曲である。
 この曲の変奏がトラック8「年上の女(ひと) —愛のテーマII—」。スキャットのメロディーをピアノが奏で、からっとしたリゾートミュージックのような雰囲気をかもしだす。サラはマリオンを大人の世界に誘うが、悪い女性ではない。自立した魅力的なキャラクターとして描かれている。原作者の竹宮惠子自身が「サラのような女性は私の理想です」(単行本あとがきより)と言っているくらいだから。「愛のテーマII」には、そんなサラのイメージが投影されているようだ。
 トラック6「燃える夏」はロック的なリズムとエレキギターがからむ、本アルバムの中では異色のサウンドの曲。冒頭のプロローグ部分に流れている。走るマリオン。決闘しようとするジャックとリンド。スリリングな曲調が緊迫感と少年たちの追い詰められた思いを表現する。
 トラック9「伯爵のテーマ」は、物語の終盤になって登場するサラのパトロン、クリューニー伯爵のテーマ。不穏なパーカッションとピアノの導入から、金管楽器がけだるく奏でる旋律へと展開。曲だけ聴くと、「伯爵ってどんな男? 悪人? 善人?」と思ってしまうけれど、実際もそんなキャラクター。少年たちにとっては、これまで周囲にいなかったタイプの、理解を越えた存在だ。音楽からもそんなイメージがただよってくる。
 トラック10の「哀愁のマリオン」はメインテーマのメロディーを使った心情曲。ストリングスのうねりがマリオンの苦しい胸の内を描写し、ピアノがメインテーマのフレーズを哀しげに奏でる。物語の終盤に流れ、マリオンの悲痛な思いを表現した。
 最後のトラック11「夏への扉 —メインテーマII—」はメインテーマの変奏。コーダの数小節を除いて、ピアノソロだけで演奏される。ハネケンのピアノプレイが堪能できる曲でもある。ラストシーンとエンドクレジットのバックに流れ、切ない余韻とともに作品を締めくくった。

 実は本作の音楽には、ドラマを盛り上げるためのアンダースコア、つまり背景音楽的な楽曲はほとんどない。メインテーマを除くと、マリオンやレダニア、サラ、伯爵など、キャラクターにつけられた曲ばかりである。「青春の迷路」もクロードのテーマと呼べるし、唯一ドラマティックな「燃える夏」も、状況ではなく少年たちにつけられた曲ととらえることができる。ドラマよりもキャラクターにフォーカスした音楽になっているのだ。これも本作の音楽の特徴のひとつで、同時代のほかのアニメ音楽とひと味違うところである。竹宮惠子は、本作を「誰もが主人公」の群像劇だと語った。その思いが、本作の音楽にも反映されているのではないか。
 もうひとつ、音楽集とともに本作をふり返って、あらためて驚くことがある。この時代の劇場アニメには珍しく、本作には主題歌がないのだ。オープニングもエンディングもハネケンのインストゥルメンタル曲が使われている。同時上映の劇場アニメ『悪魔と姫ぎみ』は30分の短編なのにちゃんと主題歌が作られているのだから、『夏への扉』に主題歌がないのは明快な意図があってのことだろう。
 もし、この作品に主題歌があったら……?
 いや、まったく想像できない。どんな曲が流れても、この作品には似合わない気がする。ぎりぎり、フランス語の歌詞の曲なら許せるかもしれない。でも、日本語の歌詞のポップスや歌謡曲は無理。きっと、ぶちこわしである。
 それくらい、ハネケンの音楽は本作と一体化している。
 ときにささやくように、ときにたおやかに、ときに弾むように奏でられるハネケンのピアノの音が、どんな歌詞よりも雄弁に登場人物の気持ちを伝える。
 だから『夏への扉』に主題歌はいらない。
 ハネケンのピアノがすでに歌なのだ。

夏への扉 オリジナル音楽集
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