COLUMN

第797回 今さらな話

「紙で充分原画が描けるのに、デジタル作画を推奨するのは制作側の怠慢である」的なことをSNSで仰ってたアニメーターさんがいたんですけど、板垣さんはどう思いますか?

と、ウチの若手に訊かれました。それに対し俺は「違う」と返しました。

 いつものことながらここからはあくまで私見です。ネットの普及で、単純な話「物理的にモノを運ぶ仕事を厳選」することができるようになり、

アナログのカット袋に原画・動画(と昔はセルも)を詰めてあちこち回す「制作進行」本来の仕事を、デジタルによるデータの送信で手軽にするために、アニメーターにデジタル化を押し付けている?

とでも仰りたいような意見です、前述のSNSの方のは。今現在の状況に当てはめると、やや的外れかと。
 もちろん、20年前だったらそういう側面もありました。2000年初頭に聞いた話では、某超大手アニメ制作会社のデジタル化説明会的なイベントで語られた内容で「デジタル作画の本当の目的は、紙・鉛筆・消しゴムをなくすことではなく、作業者(アニメーター)とPCで繋がることで作業の進行具合と勤務時間を管理して、制作進行を要らなくすること」と発表されていたのを憶えていますから。
 ところが昨今のデジタル作画化は、制作進行をなくす目的がまだありつつも、むしろ、

高解像度(フルHD)に対応した映像作りのため!

に寄っている気がします。
 まだ紙で作業されている方々、作画用紙で原画・作監された作業分を“HDに耐え得る綺麗な線での動画・仕上げ”まで持っていこうとする制作の苦労ってご存知でしょうか? いくら作監様が丁寧に入れたつもりの修正でも、紙に描いた線の曖昧さ(昔は寧ろ周りが “達筆”と崇めた画)は、制作さんが海外撒きの手配する際、「もっと、清書してからでないと受けられない」と撥ねられているという事実。さらに自身の知らないところで、そのご自慢の修正がさらに清書(第二原画)を通されている事実もご承知おきください。動画も同様で、いくら緻密に中割りしても人間の紙と鉛筆による手作業には限界があります。たとえ作監修正時に気の利いた中割り参考を入れても、ブヨブヨに溶けた動画・仕上げが上がってきて、結局はその作監様のあずかり知らないところで、“二値化(デジタル仕上げ)”のじか直しが行われているというのが現状です(「だから昭和の頃の様にセルで塗れば~」の話はこの際、無しね!)。
 それが原画・作監~動画へと全てデジタル作画(タブレット&ペン)でやるとどう変わるか? まず、細かい所は拡大作画ができます、原画も作監も。動画経験者なら誰でもその苦労は知っているであろう、“長距離の直線・曲線の中割り”も直線・曲線ツールの使用によりぐにゃぐにゃにならずに綺麗で継ぎ目のない長距離線が描けます。そして、“作監修正を動画マンが拾えるかどうか?”も作監修正の線がちゃんと清書状態(一本のデジタル線)で描かれていれば、仕上げデータに直接貼って使うことだって可能な訳(社内で仕上げをやるパートに限るかもしれませんが)。正直な話いくら人手不足でも「作監手伝ってあげたいけど“紙”です」と言われたら、よっっっぽどのことでもない限り、丁重にお断りしているのもまた事実です。もしくは「デジタル作画にチャレンジする気はありませんか?」と、制作ではない俺でもデジタル作画の推奨をしてしまっています!

 これは、何人かの制作さんから異口同音に聞いた言葉ですが、

アニメーターや演出と言ったクリエイターさんらは原画に作監修正がのったところで終わりだと思っていらっしゃるみたいですが、我々制作はそこからが“始まり”なんです!

 この言葉を聞いてその苦労も想像せず「自分は紙で描きたいから」ってだけで、周りに苦労を強いるのってどうなんでしょうね?

 てとこで、放映が近づいているので、仕事に戻ります!