腹巻猫です。2月6日に東京国際フォーラムで開催された「銀河鉄道999 シネマ・コンサート」に足を運びました。演奏も音響も申し分なく、あらためて、青木望先生の音楽のすばらしさを実感。これは、日本発のシネマ・コンサートとして海外に輸出してほしいです。今回は感染症対策のため客席を半分に制限しての公演でしたが、再演を期待します。
昨年(2020年)12月にTV放映されたアニメ『アーヤと魔女』のサウンドトラックCDが1月6日にヤマハミュージックコミュニケーションズから発売された。近年は劇場アニメのサウンドトラック盤も発売されないことが多いので、このリリースには「さすがジブリ・ブランド」と感心した。
『アーヤと魔女』の音楽は武部聡志。宮崎吾朗監督との仕事は3作目である。
今回は、2014年に武部聡志が手がけた『山賊の娘ローニャ』のサウンドトラックを取り上げよう。
『山賊の娘ローニャ』は、2014年10月から2015年3月まで放送されたTVアニメ。宮崎吾朗監督が初めて手がけるTVシリーズとして、また、3DCGを積極的に使用したアニメとして話題になった。アニメーション制作はポリゴン・ピクチュアズが担当している。
原作はアストリッド・リンドグレーンの同名児童文学。リンドグレーンは「長くつ下のピッピ」「やかまし村の子どもたち」などの作品で日本人にも親しまれているスウェーデンの作家だ。『山賊の娘ローニャ』はタイトルどおり、山賊の娘として生まれた少女ローニャを主人公にした物語である。
同じ森を根城に活動しているマッティス山賊とボルカ山賊は日頃からいがみあっていた。ある日、マッティスの娘ローニャはボルカの息子ビルクと出会い、友だちになるが、マッティスとボルカは2人を引き離してしまう。親同士の対立に嫌気がさしたローニャとビルクは家出して、森で2人だけの生活を始める。
リンドグレーンらしい、独立心の強い活発な少年少女像が魅力的。また、本作では父親と子どもの関係も重要なテーマになっている。そして、鳥の体に人の顔を持つ鳥女や地下に棲む小人などが登場し、物語に幻想的な味わいを加える。
「名作アニメ」と呼べる題材で、こういうジャンルが好きな筆者には期待がふくらむ作品だった。正直に言うと、3DCGで描かれたキャラクターはパキっとしすぎていて、はじめは少々違和感があった。が、放送が進むにつれて表現がこなれ、観ているほうも慣れてきた。
実は音楽についても同じで、当初は、「音楽が立ちすぎてるなあ」と思ったのだ。
音楽の武部聡志は、キーボーディスト、アレンジャーとして活躍する、日本のポップミュージックを代表する音楽家の1人。国立音大在学中からプロとして活動を始め、松任谷由実コンサートの音楽監督や一青窈をはじめとする数々のアーティストのプロデュース、アレンジを手がけている。『山賊の娘ローニャ』は、劇場アニメ『コクリコ坂から』(2011)に続いて手がけた宮崎吾朗監督作品である。
余談になるが、筆者は斉藤由貴のアルバムをデビュー作から買って聴いている。その斉藤由貴の80年代の楽曲の大半をアレンジしたのが武部聡志だった。初期の名曲「卒業」「初戀」などの印象的なアレンジも武部の手によるもの(TVドラマ「スケバン刑事」の主題歌「白い炎」も)。だから、武部サウンドは耳になじんでいた。シンセサイザーと生楽器を巧みに使ったアレンジは、現代的でキャッチーで、しかも心地よい。
主題歌アレンジを担当したのがきっかけで劇中音楽を手がけた『コクリコ坂から』は武部聡志のポップスセンスが生かされた作品だ。1960時代を舞台にした青春物語で、郷愁を誘う歌謡曲風のサウンドがぴたりとはまった。
いっぽう『山賊の娘ローニャ』は北欧の森を舞台に展開する、ファンタジーの要素もある作品。どんな音楽がつけられるか、こちらも楽しみだった。
音楽は、すごくいい。
観ていて、思わず耳をそばだててしまう。
ただ、楽曲として完成されすぎていて、「劇中音楽(劇伴)としては立ちすぎでは……?」というのが当初の印象だった。
でも、観ているうちに印象が変わった。キャラクターがパキっとしているぶん、音楽もくっきりしているほうが合う。さりげなく背景に流れ、映像に溶け込むタイプの音楽とは異なる方向性の音楽なのだ。
武部聡志のインタビューによると、本作への参加は宮崎吾朗監督からのご指名だったという。当初は作品内容を意識して民族楽器などを使った音楽を作ることを考えていたが、仕上がってきた映像を観て方針を変えた。CGを使った絵にシンセサイザーを使ったサウンドが意外と合うことがわかったからだった。結局、民族音楽や古い楽器にはこだわらない方向で進めることになった。
できあがった音楽は、特定の国や民族を意識しないものになった。生楽器とシンセサイザーを使い、北欧風だったり、スペイン風だったり、ケルト風だったりと、多彩なサウンドと曲調で構成されている。インストゥルメンタルとして完成度が高く、メロディもリズムも、ひとつひとつの楽器の音もくっきりと聴こえる。輪郭のはっきりした音楽である。そのぶん、隙間がなく、セリフやSEとぶつかってしまうのでは……と思ってしまうが、先に書いたように、これが絵に合っているのだ。というより、映像の中で音楽もキャラクターとして躍動している。そんな印象である。
本作のサウンドトラック・アルバムは2014年12月にポニーキャニオンから発売された。現在、CDは入手困難だが、レコチョク、mora、iTunes等の音楽配信サイトでデジタル音源を購入できる。
収録曲は以下のとおり。
- 春のさけび《TVサイズ》(歌:手嶌葵)
- はじまり
- 森へ
- こもれび
- 開門
- マッティス城
- スキップ
- 人生
- あたたかな風
- 威風堂々
- 呑気
- 迷い道
- 森一番の山賊団
- 山賊踊り
- 夕餉
- 山賊道
- 春のさけび〜静寂〜
- 山のはのお日さま
- 霧の中
- 涙
- あやしいものたち
- 鳥女
- 地下のものたち
- 火事場のバカ力
- 追いかけっこ
- 山賊の宴
- 哀愁
- 喧嘩
- 想い
- あの人
- 秋の日
- オオカミの歌(歌:野沢由香里)
- また明日
- 春のさけび〜ときめき〜
- Player《TVサイズ》(歌:夏木マリ)
1曲目と最後のトラックにオープニング主題歌とエンディング主題歌のTVサイズを配し、BGM32曲と劇中歌1曲を収録している。曲順は、物語の始まりからシリーズ中盤までの展開をイメージさせる流れだ。
本作のBGMはおよそ60曲が作られたそうだが、劇中で印象深い曲はほぼ網羅されている。
2曲目の「はじまり」は第2話以降のエピソードで、冒頭のプロローグ部分に流れた曲。弦が細かく刻むリズムにオーボエやフルートのメロディが重なり、物語が始まるワクワク感をさわやかに伝える。バックで動くチェロのメロディが効果的だ。
続く2曲「森へ」と「こもれび」は、ローニャが森で過ごす場面によく使われた曲。本作の舞台である北欧の自然とローニャの胸にわきあがる感動を表現する曲である。「森へ」ではアコースティックギターとドラムの軽快なリズムに乗って、ピアノとビブラフォンが自然の中を駆ける開放感とよろこびを軽やかに歌う。「こもれび」はアコースティックギターのメロディがまぶしい光と森の息吹をイメージさせる曲。どちらも初めて使用されたのは第3話、ローニャが初めて城を出て森に行くエピソードだった。
ここまでの3曲が、『山賊の娘ローニャ』の世界を音楽で伝える代表曲と言える。命あふれる豊かな自然とその中でのびのびと育つローニャの姿を、4リズム(ギター、ベース、ドラム、キーボード)と弦、木管楽器を主体に躍動感に富んだ曲想で描いている。
トラック7の「スキップ」も同様の編成で書かれたローニャの日常を描く曲だ。こちらはピアノのリズムとフルート、アコースティックギター、ストリングスなどのアンサンブルで、家族とすごすローニャや森を散策するローニャの楽しい気分をのんびりと心地よく表現する。シリーズ後半では、ローニャとビルクが森で野生馬を手なずける場面などに使用されていた。
ローニャをとりまく山賊たちは、ユーモラスな曲想で描写されている。スネアドラムと金管楽器で山賊の出陣を大げさに描くトラック10「威風堂々」、スパニッシュマーチ風のトラック13「森一番の山賊団」、哀愁漂うロマ(ジプシー)音楽風のトラック16「山賊道」、ハンドクラップ(手拍子)がリズムを取るトラック26「山賊の宴」などだ。
「山賊の宴」ではズルナというオーボエの原型になった西アジアの古楽器が使われている。これは映像を観た武部聡志が、山賊が演奏している笛がズルナに似ていたことから、わざわざズルナを持っていて吹ける奏者を呼んだのだそうである。
幻想的な生き物が現れるシーンの音楽は少し緊張感のある曲調で書かれている。
森に棲む灰色小人の登場シーンに使われたトラック21「あやしいものたち」は、ウッドベースの指弾きとストリングスで森にひそむ未知の生き物の気配を描写。次の「鳥女」はストリングスとパーカッションで、鳥女の不気味さと鳥女に追われるローニャの恐怖感を表現する。
トラック23「地下のものたち」はアカペラの子どもコーラスで歌われるミステリアスな曲。森の中でローニャが聞く不思議な歌声として劇中に流れている。
山賊同士の対立を描く本作だが、山賊が恐ろしい存在として描写されるシーンはほとんどない。その代わり、幻想的な生き物がローニャの前に現れ、物語にサスペンスと奥行きを与えている。幻想的な生き物に添えられた曲は、音楽全体を引き締めるスパイスの役目を果たしているのだ。
本作の音楽の中で筆者がとりわけ心に残ったのは、やや哀愁を帯びた抒情的な曲である。
トラック9の「あたたかな風」はベースとピアノのイントロからチェロとバイオリンが奏でる美しいメロディに展開する曲。森ですごすローニャの気持ちやローニャとビルクの友情を描写する曲としてたびたび使用された。ベースの短いフレーズから始まるイントロがいい。通常の映像音楽だったらこんなイントロはつけないだろうと思うような、武部聡志のセンスが光る導入部である。この曲に限らず、本作の音楽では曲の展開やアレンジに武部聡志らしいポップス的なセンスと技が生かされていて、短いながらも聴きごたえがある。
トラック18「山のはのおひさま」は2本のサックスが奏でる、じんわりと胸にしみる曲。ローニャのちょっとさみしい気持ちを表現する曲として使用されていた。タイトルどおり山の端に沈む夕陽が連想される、郷愁を誘う曲である。
トラック20「涙」は、2本のギターの調べが悲しみを表現する曲。第10話で雪の穴にはまって足が抜けなくなったローニャが雪に埋もれて死ぬ自分を想像する場面に流れていた。悲劇的な状況だが、音楽も手伝って、詩的な美しいシーンになっている。
トラック29からの3曲「想い」「あの人」「秋の日」も、リリカルで、しみじみと胸に迫る。アルバムの中でも聴きどころとなる部分だ。
「想い」はケルトの笛ティンホイッスルとハープだけのシンプルな編成でローニャや山賊たちの心情を表現する。第1話からたびたび選曲された使用頻度の高い曲だ。哀愁ただよう笛の音色とメロディが、家族の愛情や友情といった普遍的な想いを伝えて心に刺さる。
ピアノソロによる「あの人」はローニャのビルクへの想いや、家を出たローニャを気遣うマッティスの心情を表現する曲。「あの人」とは特定の誰かではなく、「今そばにいてほしい」と思う人のことだ。武部聡志自身によるピアノの演奏が切なく、あたたかい。
「秋の日」は、キーボードとパーカッション、シンセサイザーが奏でるおだやかな曲。秋の日のちょっとメランコリックな気持ちを写し取ったような、心がキュッとなる曲だ。劇中では、ローニャがビルクを思う場面やローニャとビルクの関係がしだいに深まっていく場面などに流れていた。ローニャの心の成長を描写する曲でもある。
アルバムの終盤に収められた「オオカミの歌」はローニャの母ロヴィスが子守唄代わりに歌う歌。ロヴィス役の野沢由香里が歌っている。この曲は本作の音楽で最初に作られたものだった。このメロディをアレンジしたBGMもあるのだが、サントラには未収録。
トラック33の「また明日」は次回予告に使われた曲。弦とパーカッションが楽しく奏でる陽気な曲で、劇中にも使用されていた。
谷山浩子作曲の主題歌をアレンジした「春のさけび〜ときめき〜」でサウンドトラック・パートは締めくくられる。
本作の音楽の特徴として、心情描写曲と情景描写曲が明確に分かれていないことが挙げられる。森を描写する音楽が同時にローニャの心情を描写し、心情を表現する曲がそのまま自然の描写にも使われる。森のいたるところに多様な命が息づく本作の世界観を反映した音楽設計である。また、通常なら作られそうな「ローニャのテーマ」「ビルクのテーマ」等も明確には用意されていない。
武部聡志は『アーヤと魔女』に関するインタビューに答えて、「僕の曲は思いついたアイディアをどんどん形にしていく、ある意味ラフな作りになっている」と語っている。『山賊の娘ローニャ』の音楽も、メニューどおりかっちり作られた音楽ではなく、監督とのやりとりやメニューにない自由な発想をまじえてできあがったものだ。そうやって作られた曲を映像にはめていくことで、予定調和でない豊かな映像と音楽のマッチングが生まれる。
ちょっと飛躍するが、筆者は本作の音楽から、『海のトリトン』や『宇宙戦艦ヤマト』の音楽を連想した。どちらも劇音楽が専門ではないポップスの作編曲家が手がけた作品で、楽曲単体としての完成度が高く、ときには音楽が映像を上回るインパクトを残す。音楽性は異なるが、『山賊の娘ローニャ』の音楽も、同じ方向性の延長にあると思えるのだ。
宮崎吾朗監督×武部聡志の最新作『アーヤと魔女』では、過去2作とはまたアプローチを変えて、60〜70年代のロックサウンドをベースにした音楽がつけられている。同じ監督でも作品のカラーに合わせて1作ごとにがらっと音楽を変える作り方は、あまり例がない。武部聡志の音楽プロデューサーとしての観点が生かされているのだろう。次はどんなアプローチでアニメ音楽に挑んでくれるのか、気になるコンビである。
山賊の娘ローニャ オリジナルサウンドトラック (CD)
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山賊の娘ローニャ オリジナルサウンドトラック (配信)
https://mora.jp/package/43000004/PCCG-01429/
アーヤと魔女 サウンドトラック
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