腹巻猫です。冬のコミックマーケットに参加します。1日目、12月29日(土)東J-04b「劇伴倶楽部」です。新刊は渡辺宙明先生インタビューの総集編「渡辺宙明INTERVIEWS 2000〜2012」。既刊「THE MUSIC OF YAMATO 1974 宇宙戦艦ヤマト(1974)の音楽世界」も一部を改訂して第3版としました。コミケ参加のみなさま、会場でお会いしましょう。
今年最後の更新となる今回は、劇場アニメ『ホーホケキョ となりの山田くん』を取り上げよう。
『ホーホケキョ となりの山田くん』は、1999年7月に公開されたスタジオジブリ制作の劇場用アニメ作品。いしいひさいちが朝日新聞に連載している4コママンガ『となりのやまだ君』『ののちゃん』を原作に、今年4月に惜しくも亡くなった高畑勲監督が映像化した。山田家の家族=中学生・のぼる、小学生・のの子の兄妹と、父・たかし、母・まつ子、祖母・しげの5人を中心にした日常ギャグ作品だ。
ジブリ作品の中ではちょっと地味な存在だが、筆者は気に入っている。深刻なテーマはないけれど、笑いながら観ているうちにじわじわと沁みてくるものがある。簡素に見える映像は、実は恐ろしく手が込んでいて、つい、繰り返し観てしまう。高畑監督の劇場作品では『じゃりン子チエ』と並んで好きな作品だ。
音楽はシンガーソングライターの矢野顕子が担当した。
独特の感性と音楽性を生かして国際的に活躍する矢野顕子は、「シンガーソングライター」のひと言では表現しきれない音楽家。10代からプロミュージシャンとして活動を始め、YMOとも共演。90年代からは坂本龍一と共にニューヨークに拠点を移し、アルバム制作、楽曲提供、ライブ、コンサートなど、ニューヨークと日本を行き来しながら、幅広く活躍している。しかし、本作以前に映像音楽の経験はほとんどなく、CM音楽や楽曲提供をした作品があるくらいだった。
矢野顕子を抜擢したのは高畑監督の希望だった。矢野顕子に渡した音楽メモの中で、高畑監督は矢野の音楽をこんな風に評している。
「矢野さんの歌は(中略)、音楽と戯れていて、遊び心がいっぱいです。そして、ふしぎな飛翔感・浮遊感があって想像力に訴えるくせに、いつも現実感覚を失っていない」
「この映像には、矢野顕子さんの音楽のような、自由でくつろいだ、風の吹き通うゆとりの音楽がほしいと思います」
高畑勲監督が『ホーホケキョ となりの山田くん』でめざしたのは、観客に架空のファンタジーの世界に浸ってもらう劇場作品ではなく、現実を肯定する作品、「癒し」ではなく「なぐさめ」を提供する劇場作品だった。この「癒しではなく、なぐさめ」というキーワードが矢野顕子の心にヒットしたという。矢野は高畑の言葉に共感し、「よしッ、一緒に作るぞ」と思ったと語っている。
作中では、矢野の音楽とともに、クラシック音楽や既成の歌謡曲などがふんだんに使用されている。クラシック音楽も、多くはこの作品のために新録された音源だ。音楽録音は、ニューヨーク、プラハ、東京にまたがって行われた。音楽好きの高畑監督らしい、全編を音楽が彩るカラフルな作品である。
サウンドトラック・アルバムは徳間ジャパンコミュニケーションズから、1999年7月に3種類が同時に発売された。
劇中で使用されたクラシック音楽やオーケストラ曲を集めた「ホーホケキョ となりの山田くん クラッシック・アルバム」、矢野顕子が作曲・演奏した楽曲を集めた「ホーホケキョ となりの山田くん スペシャル・サウンドトラック」、そして、劇中に流れた音楽を使用順に収録した2枚組「ホーホケキョ となりの山田くん オリジナル・フル・サウンドトラック」である。各アルバムにはそれぞれ、「〜楽に生きたら。〜」「〜よし、ジブリと一緒に作るぞ!〜」「家内安全は世界の願い。」と副題が表記されている。
「オリジナル・フル・サウンドトラック」には、「クラッシック・アルバム」と「スペシャル・サウンドトラック」に収録された曲を含めて、作中で使用された曲がほぼ完全収録されている(ただし、デパートで流れる環境音楽風の曲や中華料理店で流れる二胡の曲「YUEYA WUGENG」、ラジオから聴こえる五木ひろしの歌「細雪」などは未収録)。だから、どれか1タイトルというなら、「オリジナル・フル・サウンドトラック」を入手するのがお奨めだ。
しかし、実は「スペシャル・サウンドトラック」も大事なのである。ブックレットには、先に引用した、高畑監督が矢野顕子に渡した音楽メモ(高畑監督の著書『映画を作りながら考えたことII』徳間書店にも再録)や矢野顕子のコメント、そして、高畑監督と矢野顕子の対談インタビューなどが掲載されているのだ。おまけに「フル・サウンドトラック・アルバム」に未収録の本編未使用楽曲も収録されている。音楽作りの背景まで知りたいファンなら見逃せないアルバムである。
以下、「オリジナル・フル・サウンドトラック」をベースに本作の音楽を紹介しよう。
2枚組、全47曲と曲数が多いので、収録曲は以下の徳間ジャパンの商品詳細ページを参照していただきたい。
http://www.tkma.co.jp/release_detail/id=3541
音楽は大きく、矢野顕子のオリジナル楽曲と既成曲に分かれる。既成曲はクラシック音楽からポピュラー音楽(歌謡曲、童謡、テレビ主題歌など)まで幅広く選曲されているが、ほとんどの場合、キャラクターへの共感より、シーンと音楽とのギャップの面白さをねらって使用されている。
たとえば、山田家のなんでもない日常の場面に、マーラーの重厚な交響曲やバッハの静謐な「プレリュード」が流れる。音楽がまじめで大げさであればあるほど、日常のおかしさが際立つ。また、往年の人気TV映画『月光仮面』の主題歌「月光仮面は誰でしょう」は、暴走族に毅然とした態度が取れなくかったたかしが落ち込む場面に流れ、たかしの傷心を強調する効果を上げている。
いっぽう、矢野顕子の楽曲は、本作に春風のような心地よい空気を吹き込み、明るくほがらかなタッチで映画の世界観を支えている。
特に印象に残るのが、3つの主題(テーマ)である。ひとつ目は主題歌「ひとりぼっちはやめた[QUIT BEING ALONE]」のメロディ。ふたつ目は「愉快な音楽」と名づけられたモチーフ。3つ目は「カッコウ」のモチーフだ。
冒頭に流れる「テーマI お話がはじまるよ」で、さっそく主題歌のメロディが使われている。のの子のナレーションで山田家の家族が紹介される導入部の曲だ。
その後も、山田家の出発をイメージした、たかしとまつ子の船出のシーンに「となりの山田くんのテーマ〜オーケストラバージョン〜」、海を行く山田家のイメージシーンに「テーマによるワルツ〜オーケストラバージョン〜」、迷子になっていたのの子の無事がわかるシーンに「テーマII よかったね」、帰宅中に雨に降られたたかしを傘を持った一家が迎えに来るシーンに「テーマIII 春の雨」が流れている。山田家のほのぼのとした日常を象徴する曲と言ってよいだろう。そして、エンディングを飾るのも、矢野顕子のピアノと歌による主題歌「ひとりぼっちはやめた[QUIT BEING ALONE]」だ。
劇場作品の主題歌というと、とかく大きなテーマを歌い上げるものやシリアスなものになりがちだが、本作の場合は違う。軽快で親しみやすい曲調で、身近に見つかるささやかな幸福が歌われる。矢野顕子は、初めての打ち合せで高畑監督と話しているうちからメロディが浮かび、帰り車の中でそれを忘れないようにしていたという。共同プロデュース&アレンジは、セリーヌ・ディオンのグラミー賞受賞アルバムなどを手掛けたジェフ・ボーバ。聴けばすぐ口ずさめるようなメロディだけど、アレンジとサウンドは本格的だ。そのサウンドが、作品のラストにリッチな余韻を与えている。
「愉快な音楽」は、主題歌の頭4小節のフレーズの変奏。矢野顕子のヴォーカル(ヴォーカリーズ)をフィーチャーした、軽快でユーモラスな曲である。冒頭の曲「テーマI お話がはじまるよ」に続いて、まつ子が「今日こそカレーにしよ」とつぶやくシーンから「愉快な音楽I 猪突猛進」が流れ始める。その後は、まつ子が慌ててバスの降車ボタンを押す場面の「愉快な音楽II とりあえず、押さないで下さい」、のぼるが家族に追われる場面の「愉快な音楽III 辛口だね」、のぼるが同級生の女生徒と傘の取り合いをする場面の「愉快な音楽V 学園は楽し」と変奏曲がくり返される。キャラクターのコミカルなシーンに流れて笑いを加速する曲である。
矢野顕子のボーカルが効果的だ。もともと矢野顕子の声は親しみやすく、耳にすっとなじむ。矢野のボーカルが作品の空間を満たすと、ニコニコと笑いかけられているような気分になる。高畑監督がこの作品にほしかったという「ニコヤカサさ」とはこれなのだろう。
「カッコウ」のモチーフはレオポルド・モーツァルト作曲とされる「玩具の交響曲 第2楽章 メヌエット」から採られている。カッコウの鳴き声を模したフレーズを矢野顕子のピアノが変奏していく。ウグイスが飛んでメインタイトルが現われるシーンの「カッコウI らしくないメインタイトル」で初めて流れ、以下、まつ子がのぼるに作らせたうどんを一緒に食べようとする場面の「カッコウII あ、おかえりなさい」、しげがビーフストロガノフを作ろうとして失敗する場面の「カッコウIII ストロガフガフ」、たかしが残り物の朝食を食べる場面の「カッコウIV ご名答」と繰り返されていく。コミカルな場面に流れるのは「愉快な音楽」と同様だが、こちらは一歩引いてオチをつける感じ。『ちびまる子ちゃん』のキートン山田のナレーションのような役割で使われている印象だ。
「愉快な音楽」も「カッコウ」も、同じモチーフの変奏をしつこく使うことで「くり返しの笑い」の効果が生まれている。音楽をよく知る高畑勲監督ならではの演出である。
ほかにも、たかしとまつ子がタンゴを踊るイメージシーンに流れる「たかしとまつ子のタンゴ」、山田家の忘れ物騒動を描写する「忘れ物のロンド」、矢野顕子のボーカリーズで高揚した気分を表現する曲「陽気な音楽」など、印象的な曲は多い。
矢野顕子の音楽の特徴は、カッチリと譜面で固めて曲を作るのではなく、セッションスタイルでプレイしながら曲を作り込んでいくこと。その作り方からくるライブ感、楽曲から感じられる息づかいが、本作に生き生きとした人間味を与えている。加えて、矢野顕子がこだわったレコーディング環境——ニューヨークの馴染みのスタジオ、マイクをはじめとする録音機材、作品にふさわしい音を求めて選んだピアノ、少数精鋭のスタッフによる録音など——から生まれる洗練された響きが上質の料理のような味わいを生んで、音を聴いているだけで幸せな気分になるのだ。
ところで、監督が矢野顕子に伝えた「癒しではなく、なぐさめを」とはどういう意味だろうか。
「癒し」というワードは90年代頃からよく見るようになり、「癒し系」という呼び方に発展した。本来は病やケガからの回復を意味する言葉のはずだが、90年代からは、なんとなく心地よい、気分が落ち着いてリラックスする、といった意味で使われている気がする。「ヒーリング・ミュージック(癒しの音楽)」という呼称も同様である。
矢野顕子は「癒し」という言葉を「消極的で、何かずるい感じのする言葉なので」好きではなかったと「スペシャル・サウンドトラック」のブックレットのコメントで語っている。
「なぐさめ」には悪い状態を回復させる意味はない。高畑勲によれば、現実を受け入れて、この世でもう少し楽に生きるためのものだという。そのヒントは作品の中にある。
ラスト、山田家の人々たちがマイクを持って歌うのはドリス・デイの歌唱で大ヒットした「ケ・セラ・セラ」。日本語訳詩を高畑監督自らが手がけている。未来はわからなくても、なるようになる、と歌うポジティブな歌だ。その歌をバックにしたシーン、のの子の担任の先生・藤原ひとみ(演じるは矢野顕子!)が生徒から「今年の決意」を聞かれて半紙に書く言葉は「適当」。このふたつから、高畑監督のメッセージが伝わってくる。
世の中は思いどおりにいかない。悪いことも悲しいこともあるけれど、笑って生きていきましょう。「なぐさめ」とは、痛みを抱えたままこの世界を生きる人々への励ましなのだと筆者は受け取った。矢野顕子の音楽は、だから明るく、胸に沁みる。
みなさん、よいお年を。
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