COLUMN

第112回 操縦席の人の顔

 これは前にも書いたことだと思うのだが、空襲体験についてずっと思っていたことがあった。
 というのは、実際に自分の頭上を敵機が飛び過ぎてゆくのを見た人の実にたくさんが、「操縦している人の姿を見た」と記憶していることについてだ。そうした談話、回想記事が多く存在していることついては、1990年頃『うしろの正面だあれ』という映画に携わった頃から意識するようになった。当時はまだ作画の現場にも空襲体験のある人もいたし、レイアウトマンとして描くべき状況を明確にするためにある程度積極的に本を読んだりもした上でのことだった。
 機銃掃射をするために超低空に入ってきた飛行機だったら、あるいはそういうこともあり得るかも知れない。だが、夜間空襲のB-29についても「操縦している人の姿を見た」という話がたくさんある。中には「首に巻いていたマフラーの色」についての記憶もあれば、「女が操縦していた」というようなものも多々あった。
 今回の『この世界の片隅に』でのレイアウトマンでもある浦谷さんと飛行機が低空で飛ぶ現場に行っては、見ている自分たちからの距離だとか飛行高度を勘案しながらも「やっぱり見えるわけないよねえ」といっていたのだった。
 こうした記憶はある種の心理的トリックが作り出したものであるに違いない。

 ところで、昨年末から今頃までかけて、今回の映画で最初に映像の形にまで至るカットを作っていた。その話もすでにした。まず最初に90秒程度にまとめ、けれど、ちょっとあれもこれも詰め込んだ感があったので、方向性を絞って別編集のバージョンも作ってみた。今度はカット数を減らして、1カットあたりの中でやっている、ネチっこさを強調するようにしてみた。これを周囲に見せたところ、大筋では2番目のほうなのだけど、あのカットは戻した方がいい、あのカットもあった方がいい、という意見が出てきた。なるほど、みんなはそういうあたりの画面に「引っかかり」を作っていたのか、とわかった。
 そこで、2015年2月13日(金)に、3番目のバージョンの編集を行ってみた。プラス、一部のカットには本来のコンティニュイティの中ではそのカットではまだ出てこないはずの要素もいくらか足してみた。この90数秒の映像は、丸山さんが映画への支援を得るためにあちこちに持って回るのだということになっていた。ならば、カットを複数積み重ねて初めて見えてくる「シチュエーション」をワンカットの中に詰め込んでおくのも必要と思ったのだった。
 そのカット、Cut1177の中では本来米軍機は飛ばない。それが出てくるのはもう少し後のカットからのはずだった。だが、この編集バージョンではそのあたりのカットまで見せるつもりはない。そこで、1177にグラマンの編隊を登場させることにした。
 作画はこのところ何でも屋になっている浦谷さんに頼んだ。女性ではあるのだが、「ACE COMBAT04」でもジェット戦闘機を描いていたし、参考にする写真もあったし、サイズも小さいのである程度何とかなりそうだと思って任せた。
 画面上での機体の見え方をラフに作り、飛行速度を想定して、1コマあたりの移動量を割り出す。アングルがついているものについては三角関数表まで持ち出してしまう。
 「それで、まっすぐ飛ばせばいいの?」
 戦闘圏内に入った戦闘機はまっすぐ飛ばない。等速直線運動をすればよい的になるだけだからだ。
 「こんな感じで、あんな感じで」
 と、演出する。演出というのは、具体的に何をするべきか、表現者に明示するのが仕事だ。
 「これくらい、かな?」
 そうして素材を追加したカットの上がりを2月20日(金)に見た。このところ、編集の作業は毎金曜日にセットされるようになっている。
 すでにできている90数秒の本来1177があった場所に、入れ替えて差し込まれたその追加撮影カットを見て「あれ?」となった。
 「2機しか飛んでない?」
 「ああ、前の編集のときにカット尻を切ってあったんです」
 「カット尻戻してもらっていい?」
 少し長くなったそのカットでは、もっと多くのグラマンが飛んでいた。
 思いのほか怖い印象を受けた。
 「怖い」と思ってしまったのだった。

 ここ数年、そこをほとんど実在の場所としてイメージし続けてきた上長ノ木のすずさんの家。その向こうに見える山の稜線は、背景の上がりではちょっとその場所に見えなかった。この時点での美術のスタッフはロケハンを経験していないのだった。そこで、前のロケハンのときに撮ってきた現地写真の山の稜線を型紙にして、背景の山を切り取ってみた。見覚えのある風景になった。
 その見覚えある風景、自分の心がここ何年かすみ続けてきた場所に、空からグラマンが舞い降りてくる。ずっと遠くに小さく。そのカットだけ見た人にはそれほどでもない映像と思えてしまうかもしれない。けれど、自分自身の中では、この映像を前に、日常生活空間が侵害される事態が起こっていた。
 そのとき、「このグラマンに乗っている人が見える」ような気がしてしまったのだった。
 空襲体験談の中で多く述べられていたのはこうした感触なのかもしれない、という気がした。人なんて描いてないのだから、見えっこない。何より、このグラマンの絵は自分自身で彩色もしていて、その裏側まで正体を見切っている。
 この心理の正体は何なのだろう。
 作画時にグラマンを等速直線的にではなく、若干の機動含みで動きを設計したそれが効いているように思えた。操縦されている乗り物には見えているはずだ。機械的に飛ぶ機体のシルエットを見せても駄目なのだろうし、馴染みのない空が背景でも駄目なのかもしれない。「動き」と「シチュエーション」とが作り出した心的イメージ。
 「人が乗っている姿が見えた」
 というのは、頭上を侵害する飛行機が、ただの物体ではなく、そこに人が乗って操っているのものなのだ、ということを地上から意識してしまった心理が作り上げていたのかもしれない。
 だとするならば、今の今まで「そんなの見えっこない」と思っていた自分は、戦時中の体験など何も分かっていないも同然だった。
 同じことを映画を観るお客さんに味わってもらえるようになるためには、そのシーンに至るまでの一定の長さの映画体験が必要なのだろう。それを何とか作り出していかなくてはならない。

 この90数秒の映像は、3月8日(日)の「ここまで調べた『この世界の片隅に』6」の会場でお目にかけられるかもしれない。

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