SPECIAL

亀田祥倫(1)『エヴァ』と今石洋之がきっかけだった

 亀田祥倫は気になるアニメーターだ。『鋼の錬金術師[新]』におけるパワフルな作画で、その名前を覚えたファンも多いことだろう。筆ペンを駆使した荒々しいタッチが印象的だった。そういったケレンのつよいアクション作画こそが本領であると思われるが、それに留まらず、彼は様々なスタイルの仕事に挑んでいる。『翠星のガルガンティア』では1カット90秒のエンディングを巧緻に描き、『パロルのみらい島』ではAプロ調のマンガ的なキャラクターを披露。遊び心が炸裂した『スペース☆ダンディ』第22話も忘れがたい仕事だった。今回のインタビューでは、アニメーターを志したきっかけから、『スペース☆ダンディ』までのお話をうかがっている。

PROFILE

亀田祥倫(Kameda Yoshimichi)

1984年3月3日生まれ。広島県尾道市出身。尾道大学芸術文化学部美術学科卒業後、上京しAICでアニメーターとしての活動を始める。『鋼の錬金術師[新]』への参加をきっかけにAICを離れ、現在フリー。別名義に砂山好世、砂山ヶ好世、波典譲仁がある。使う鉛筆は3B、6B。

取材日/2014年6月18日 | 取材場所/東京・新宿
取材/村上修一郎、小黒祐一郎 | テキスト構成/村上修一郎、アニメスタイル編集部
撮影/山田勉 | 協力/日本アニメーター・演出協会(JAniCA)

―― 小さい頃にどんなアニメを観てきたか、というところから聞かせてください。

亀田 小さいときは『DRAGON BALL』と『ドラえもん』を観ていました。『ドラえもん』はずっと観てたので、仕事でもやりたいというか。

―― 他のアニメは観ていないんですか。

亀田 それほどは観ていないですね。『幽白(幽☆遊☆白書)』とか『(まじかる☆)タルるートくん』とか『ダイの大冒険』とか、その辺の「(週刊少年)ジャンプ」に載っているような少年マンガのアニメを観てたぐらい。最初は『DRAGON BALL』がいちばん好きで、マンガ家というか鳥山明になりたいと思ってたんですよ。

―― マンガ家志望だったんですか。

亀田 違います。鳥山明志望だった(笑)。

―― (笑)。画は描いてたんですね。

亀田 真似して描いてましたね。鳥山明になりたくて『DRAGON BALL』の画をずっと真似して描いてました。アニメの『DRAGON BALL』ももちろん観ていて、画を真似して描いてみたり。後は『DRAGON BALL』のカードダスとか、「ビックリマン」のシールとかを見て描いていたぐらいです。

―― それはどれくらいの頃?

亀田 小学1年、2年、幼稚園の頃も描いてたような気がします。アニメを意識的に観るようになったのは、中学生以降ですかね。

―― 中学生になって本格的にアニメを観るようになったと。

亀田 そうです。『(新世紀)エヴァンゲリオン』でアニメって面白いんだな、と思ってそこから広げていった感じで。

―― 『エヴァ』はどういうきっかけで観たんですか。

亀田 僕は劇場版から入ったんです。あれはねー、『DRAGON BALL』感覚で観に行ったんですよ。中学2年生のとき、「めざましテレビ」で『もののけ姫』VS『エヴァンゲリオン』みたいな感じの特集を組んでいたんです。弐号機が戦車なんかと戦っていて、面白そうだな、と思って。それがきっかけで『エヴァ』を観てからですね。アニメってなんか、いろんな方向性というか、戦うだけじゃない表現の仕方があるんだな、と。

―― 当時『エヴァ』は再放送をしてたと思うんですが、それは観てなかったんですか。

亀田 そのときはまだ興味がなかったんですよ。ちょうど『エヴァ』の再放送の裏番組が『ジャングルの王者ターちゃん』で、僕はそっちを観てたんですよ。『ターちゃん』が面白くて(笑)。「春エヴァ」は同級生から誘われたんだけど、TVシリーズを観てなかったので行かなかった。でも「夏エヴァ」はかっこよさそうだったので観たんです。夏だけでも3、4回観に行きました。TVは観てないのに(笑)。

――  TVシリーズの内容を知らないで観て、話はわかったんですか?

亀田 わかんないですよ。でも、全然わからなくてもすごいものを観てるのはわかった。

―― そこからアニメをいっぱい観るようになった?

亀田 『エヴァ』がどうもアニマックスで再放送するらしいと知って、当時ビデオが出てなかったので(編注:『THE END OF EVANGELION』公開時には、まだ同作のTVシリーズが全話ビデオソフト化されていたわけではなかった)、親に頼んでアニマックスを観られるようにしてもらったんです。アニマックスではいろんなアニメを放送していたので、そこから順々に観ていった感じです。

―― ガイナックスの存在は意識していたんですか。

亀田 まあ『エヴァ』のときに意識しました。アニメを観るようになったのは『エヴァ』で、動かすのって面白そうだな、と思ったのが『カレカノ(彼氏彼女の事情)』の今石(洋之)さんの回なんです。

―― 今石さんの作監回ではないですが、『カレカノ』で雪野が初号機みたいに暴走する回(編注:第10話のこと。今石が暴走シーンの原画を担当)があったじゃないですか。

亀田 そうそう、その回がとにかく面白くて、衝撃的で。誰がやったのか、わからずに観てたんです。「アニメージュ」の記事を見て、それが今石さんの仕事だと知りました。今石さんを特別意識しだしたのはその回があってからです。その後で「この人に話を聞きたい」に今石さんが出てたんですよ。それを読んだら、今石さんがつらつらと金田(伊功)さんのことを語ったり、写真を見ると今石さんの机の上に「金田伊功」という文字が印刷された本が置いてあったり。そこから金田さんを知った感じですね。まず今石さんが好きになって、その今石さんがえらく金田さんのことを意識しているのを知って、今石さんが意識してる人ってどんな人なんだろうと思ったんです。そうやって自分の好きなものが構築されていった感じですね。

―― それが高校生ぐらいですか。

亀田 高校1年生かなあ。インタビューを読んだり『メダロット』とか観たりしたのは高1だったような気がしますね。

―― そこで金田さんを意識して、金田さんの作品も遡って観るようになった?

亀田 実は『(無敵超人)ザンボット3』しか観られなかったんです。当時は金田さんがやってる作品があんまりレンタルになくて。『(銀河旋風)ブライガー』は当然ない。Wikipediaみたいなのもなかったので、金田さんが一体何をやっているのかもよくわからない。『ザンボット3』は富野(由悠季)作品だからかレンタルにあって、観たらものすごくかっこよかったんですけども、まだ僕が若かったんでしょうね、今石さんの方が派手でかっこいいな、と思ってました(笑)。

―― その頃にはアニメーターになりたいと思われていたんですか。

亀田 そうですね。『フリクリ』とかの今石さんがやった仕事を観たり、版権イラストを見たりしてると、なんかすごく楽しそうに見えたので。その時期からですね。

―― 今石さんの版権というと?

亀田 今石さんが『エヴァ』のポテトチップスのカードの画を描いてるのがあって。6枚ぐらい繋げたものの。それがね、超かっこよかったんですよ。カードの裏に今石さんの名前があって、そこで動かし屋の今石さんとは別の、画描きとしての今石さんを知ったのかな? いまだに持ってます。いつだったかな、今石さんと会ったときに「持ってます」と伝えたような気がします(笑)。

―― その頃はすでにアニメーターの仕事を意識して、ご自分でも画を描かれていたんですか。

亀田 ええ。ただ、最初はアニメの背景が描きたかったんですよ。『エヴァ』のレイアウトがかっこよかったんで、その影響ですね。美峰に行きたかった。「アニメージュ」で美峰の特集をしていて、それもかじりついて読んでました。

―― 線画じゃなくて、絵の具を使って画を描いていたんですか。

亀田 そうです。『カレカノ』の後ぐらいですかね、『今、そこにいる僕』とかの後ぐらいだったと思うんですけども。すごく空気感が出ていて、あの頃が、手描きの背景のいちばんいい時期だったと思うんですよ。ところが、その記事で、レイアウトから背景を描き起こしてるとあって、レイアウトはアニメーターが描くというのを知ったんです。動きだけでなく、画面の設計もアニメーターがやるんだと知って、だったら、アニメーターになろうと思ったんです。

―― それも高校生の頃ですか。

亀田 高校2年ぐらいです。それまでは風景画を描いていました。地元が尾道って町なんですけど、画になりやすい町で。

―― 実写作品でもよく舞台になってますよね。そういえば、大学は美術系の学科ですが、背景志望だったことと関係があるんですか。

亀田 いや、違うんですよ。高校2年生のときかな、I.Gとジブリ(のアニメーター募集)に応募したんですが、落とされたんですかね、返事も来てないです(笑)。それで、これはもうアニメーターの専門学校に行った方が早いかな、と思ったんです。それを親に言ったら反対されて、画を描きたいなら美術系の大学に行けばいい、と言われました。大学に行くとなるとデッサンだとかそういうのを勉強しないといけないでしょ。それがちょっと面倒くさいなあ、って思ってたんですけど(笑)。でも、アニメーターになるんだったらデッサン力も必要だろう、というのもあって、大学を目指してみよう、と。そこから少し石膏デッサンなり水彩なりを勉強して、地元の美術系の大学に通うことになった。視野が広がるかな、アニメじゃない方向でも何かしたいことが見つかるかな、みたいな気持ちだったんですけど、大学でもずっとアニメばっかり作ってた感じでした。

―― あ、ここで『オノダイガー』が出るわけですね(編注:架空のロボットアニメ『オノダイガー』の玩具CMという設定の自主制作作品。ちなみに亀田は声の出演もしている)!

亀田 あ、そうです。詳しいですね(笑)。

―― 何かのサークルに入ってたんですか。

亀田 映画研究部があったんで、入ってはみたんですけど、やっぱり実写しか作っている人がいなくて。それから、大学ができたばっかりだったんで、先輩がひとつ上の2年生しかいなくて、先例も何もなかったんですよ。だから自分達がやりたいことをやるには自分達でなんとかしなきゃいけない。仲間内でアニメを作りたいけどどうしよう、となって。紙に描いたものをスキャンして取り込んで、それをPhotoshopで色を塗って。それから、PhotoshopとセットになっていたImageReadyを使えば動画が作れるぞ、というのがわかって、それで作ってましたね。

―― 『オノダイガー』以外にも作品があるんですね。

亀田 いろいろ作ってましたね。まあ、大したものはそんなにないんですけど。

―― オノダイガーが走るカットがありますけど、あれは『エヴァ(新世紀エヴァンゲリオン)』拾参話の吉成(曜)さんのカットを下敷きにしているんですか。

亀田 あ、そうそう、真似してます(笑)。

―― ラストの煙が出るカットも?

亀田 あれは『ルパン(ルパン三世 アルカトラズコネクション)』の今石さんを真似しました。女装したルパンが胸につけた袋からブシューって煙を出すカットがあって、それを見て描いてますね。

―― 各カットに元ネタがある感じなんですね。

亀田 そうそう。完全に真似から入ってますね。アニメらしいものを作ったのはあれが最初ですね。真似したいことをやるために作ってみたって感じです。

―― で、そこからまた募集試験を受けるわけですよね。ガイナックスを受けたときの話をお聞きしたいです。

亀田 3回受けたんですけど、3回とも落とされてるんですよ。行きたくてしょうがなかったんですよね、今石さんや鶴巻(和哉)さん、庵野(秀明)さん達がいる時代のガイナックスに。大学のときに作り溜めたデザインなり立体なりを送ったんですけど。

―― 立体も送ったんですか(笑)。

亀田 立体も送ってると思います。デザインとかなんもかんも段ボールに入れて送りましたね。

―― ガイナックスのサイトの求人ページに「段ボール一箱は多すぎます、封筒に入るぐらいで」みたいな注意書きが書かれてましたよね。

亀田 そうそう。僕が送るときは書かれてなかったですよ? 僕が3回目に送った後に書かれたんでしょうね(笑)。

―― 3回とも箱を送ったんですね。

亀田 1回目に送ったときは、なんの返事もなく送り返されてきただけでしたね。2回目のときには「このたびは申し訳ございませんが」という紙が入ってた。

―― 3回目は?

亀田 3回目は小分けにして送ったんです。

―― ああ、前のは大きすぎたのかと思ったんですね。

亀田 ええ。でかすぎたのかと思って(笑)。あと中身が見られてない! ってのがわかって(笑)。それで小分けにして送っても駄目だったんで、回り道することにしたんですよ。その頃、ガイナとAICと共同で『ぷちぷり*ユーシィ』を作ってたので、AICに行けばガイナの仕事ができるかな、と思ったんですよ。送り戻されてきたのをそのままAICに送ったら、AICは採ってくれた。これでガイナの仕事ができるな、ちょっと遠回りしてるけど頑張るぞ、みたいに思ってたんですけど、行ってみたら、もうそこではガイナの仕事ができそうもないことがわかりました(笑)。

第2回へ続く