こないだ某プロデューサーに「例えばBL(ボーイズラブ)ものってやる気ある?」と訊かれ、「まあ、やれってんなら大概なジャンル頑張りますよ、自分」とお答えしました。
別に具体的に企画をもらった話ではありません!! あくまで「例えば」です!
今回のお題はBLではなく「なぜ自分はジャンルを選ばなくなったのか?」で、そのルーツ(『てーきゅう』の先生ではなく本来の「起源・根源」の意味)はやはり「合作」だという事。合作とは日本と海外との合作、と言えば聞こえはいいですが、キャラ・美術設定や脚本・台詞(先に声優さんの芝居だけ録ってあり、当時はカセットテープで日本のスタッフに配られてました)などのメインは海外スタッフで、演出・作画・仕上げ・背景は日本のスタッフ——早い話「海外の下請け」(スミマセン、自分にはそう見えてました)。板垣が入社した時のテレコム・アニメーションフィルムはこの合作とスタジオジブリのお手伝いがメインで、俺の原画デビューも海外の合作でした。もちろん合作でも日本ではケーブルテレビなどで放映されたりしますが、実家の親や友人らに「今、何描いてるの?」と訊かれてタイトル名を答えたところで10人中11〜12人は「ふ〜ん」て言います。そのくらい日本のアニメファンの方々から認知されない分野が合作なんです。だから自分、よく周りに言ってます。
俺は27歳まで代表作がない!
そう、アニメーターなら誰でもある「20代半ばに金や名誉のためでなく力いっぱい描いた我が青春の代表作」が俺にはないのです。あ、「ない」言い切ってしまうと合作に失礼かと思うので「誰もが知ってる代表作が」と訂正しておきます。でも、ある程度の認知が伴わないと業界的に同年代と話が合わない上、一見の制作さんに「自分○○描いてました」と作品歴を語れないのも事実なので、そんなスネた言い方をしてしまうわけ。ひょっとすると原画集作らないのもその辺の理由が大きいのかもしれません。つまり
今『セー○ームーン』描いてる!
『ガ○ダム』は線が多くて大変だ〜
『女○さまっ』の長い髪はマジ凶悪……
等々、同期と酒呑んだ際も話題についていけず、テレコム辞めた後ガイナックスの若手らとも話が合わなかったりする自分は、恐らく
○○ちゃん描きたい!
カッコいいメカ動かしたい!
などのいわゆる「キャラ・メカ萌え!」を原動力に作品に参加した事がないんです。例えば俺の場合、出崎統&杉野昭夫コンビの『ブラック・ジャック』がやりたいという気持ちがあったのですが、テレコムの社員である以上、描いてる原画は合作『SUPERMAN』でした。たまには美少女でも描きたいな〜と思う時だってありました。でも自分が描いてるのはネズミだ犬だの『ANIMANACS』だったりもしました。そんな20代前半に何をモチベーションにして原画を描いてたかというと
出崎&杉野アニメのようなダンディズムを『SUPERMAN』で描けないか?
美少女アニメと同様の愛くるしさを『ANIMANACS』の小動物キャラで描けないか?
だったんです。そうこうした7年間で板垣は「描きたいキャラ」や「やりたい作品」をモチベーションにしなくても作品に取り組めるように育ちました。もっとハッキリ、
「やりたい作品をやる事 = 最高」という気持ちが完全に枯渇しました!
そして、BLでもなんでも「ジャンルを選ばない板垣伸」になったのです。