COLUMN

第83回 わかっていつつ描かないこと、わかるだけ盛り込んでしまいたいこと

●2014年6月1日(日曜日)

 6月に入ってしまった。
 3ヶ月に1度開くことにしているイベント「ここまで調べた『この世界の片隅に』」がもう3回目になる。始めてから半年。
 新宿のロフトプラスワンを会場にすることは最初から決めてかかっていたのだが、日曜日昼間の時間にやりたい、ということも最初からいっていた。12月の1回目、3月の3回目のときは夜の時間帯しか会場が空いていなかったのだが、案の定「夜の歌舞伎町だと行きにくい」という声がこちらに届いてきた。
 それはよくわかっています。こちらとて、展示する大判のポスターだとか販売用の物品だとかの大荷物を、駐車場と会場の間のホストさんたちが大勢おられる街中を担いで行き来する場違いを感じていたので。
 ということで、3度目はお昼に開催することにした。
 『マイマイ新子と千年の魔法』上映で舞台挨拶をしまくっていた当時から、イベントの最初に「今回で何度目ですか?」と質問してみることにしているのだが、今回は3分の1くらいの方が「今回初めて」で手を上げられた。お客さんの層が広がっているのはいい傾向だ。
 ロフトプラスワンのような会場でトークを行うのは、普通のアニメイベントだったら途中で挟まるような映像の上映もないまま、3時間もただ話すだけの催しなので、飲み食いしながらにしていただいた方が、こちらとしても気が楽だからだ。
 ところがちょっと意外なことに、前回3月の2回目を終えた後の反省点として、お客さんの飲食の注文が伸びてない、というのが出てきた。あまり飲んだり食べたりもせずに、ひたすらこちらの話に食らいついてきていただけてるのだったら、これはちょっとイケているのかもしれない、と、ここは思うことにしてしまう。

 物語の舞台が呉軍港に隣りあった土地であることを今回の話題の中心に据えることにして、それから休み時間を2回挟むことにして、トークをスタートさせてみた。
 新しく来られたお客さんもあることだし、毎回毎回、導入は同じに決めてある。ほとんど正方形だったり縦長だったりする原作漫画の最初の2コマを、1:1.85ビスタビジョンの横長の画面にそのまま移し替えようとしたら、何をもってきて画面の左右を埋めればよいのか、という話。もちろんきちんと考証を施したうえで描かれた原作なのだから、生半可な想像の産物などで埋めるわけにはいかない。そこで……と、実際に描いた1カット目2カット目のレイアウトをお見せしつつ、このあとの話へと展開させてゆく。
 毎回この同じ導入なので、何度もこのイベントに足を運んでいただいているお客さんから見れば「またいつものパターンが始まったよ」ということになるのだろうけれど、ここでも飽きさせはしない。
 2カット目のレイアウト画面内に描かれた家が3ヶ月前とは別のものになっていた。この5月に調べ直して、より「その時期」にふさわしいものに描き直してしまっていたのだった。
 その後のトークも、なんとなくこちらも要領がわかってきていて、13時開演から話して、とりあえずこの辺かな、と思って時計を見たら、ちょうど13時59分だった。休憩挟んで、第2部にあたるトークをして、この辺かな、と思って時計を見たら今度はちょうど14時59分だった。
 この14時59分のところは、「原作のあの場面ですずさんが目にしてたものの正体は実は……」と明かしたところだったので、盛り上がりもよかったのじゃないかと思う。トークのこの部分では、お客さん一同の溜息を聞くことができた。
 それはこちらの手柄ではない。こうの史代さん(今回もイベント会場にお花をいただいて、ありがとうございました)が、ほんとうのところどこまで調べて自覚的に描かれていたのかちょっとわからない底知れないところが、マンガ「この世界の片隅に」にあって、どの細部でもよい、そこに注目すれば、実際に起こっていた何かと直結させることができる。その上で、そこで「何かを見ているすずさん」を描きつつ「彼女は何を目にしていたのか」という部分は省略してかかられているのだった。
 このイベントの1回目でも同じく、お客さん一同の溜息を聞くことができた。「このとき、すずさんと周作さんの目の前にはこんなものがありつつ、マンガのコマは2人の顔を描くばかりで切り返しがない、その切り返した風景が実はこれ」というのをご紹介したときだった。

 ゴールデンウィークに、広島の旧日銀広島支店を会場に行ったレイアウト展は、その後、被爆者擁護施設である神田山荘に展示物を移して、ちょうどこのイベントと同じ6月1日まで展示を続けていただいていたのだが、神田山荘さんからは、
 「5000名の方の目に触れました」
 というご報告をいただくことができた。
 このあと、同様なレイアウトの展示をしたい、という提案をすでに3件いただいている。会場によって、その場所に合うように展示物も変えたいので、いっそ展示用のパネル全体を作り直す仕事にかかることにする。もちろん本編作業の合間をみて。
 それだけでなく、新しくレイアウトを描き足す必要も出てきて、本編のレイアウト作業も促進されている。具体的にいうなら、呉の海軍敷地内の中で、美術設定をいちいち起こすこともできないまま、まだ描かれていないレイアウトがいくつかあって、こういうところはなるべく早い時期に浦谷さんの手で絵にしていってもらう必要がある。そこを進めてもらうことにする。

 呉海軍軍法会議所。
 ここは昭和20年秋に最初に進駐して来たアメリカ陸軍第X軍団の司令部が置かれたので、戦後の写真はそれなりにある。
 戦前の日本海軍使用時代の写真もいくつかあるのだが、明治にこの建物が立てられてからそれほど時期を経ない、取り巻く塀が木製だった頃のものがもっぱらだ。
 両方から情報をもらいながら、昭和19年頃の状態を作り出さなくてはならない。こうのさんが描かれた中では、軍法会議所の門の前に衛兵のための「番兵塔」が立てられておらず、これには妥当性がある。呉鎮守府の門規を見ても、ここに衛兵の配置はない。同じく衛兵の配置がないはずの呉海兵団の門前には番兵塔があって、衛兵が立っているのだが、これは呉警備隊の軍港衛兵ではなく、海兵団自身が兵員を出しているのだろう。一方で軍法会議所や海軍病院は海兵団の管理ではなく施設部の管理地なので、海兵団衛兵も派出されていないはずだ。
 というところまで大原則をつかんで、敷地の図や航空写真を見直す。ああ、海軍病院と軍法会議所では、門の前ではなく、門の内側に門衛詰所があって、門番してたのか、とわかってくる。ここへきて入手できる航空写真の精度が上がったのもありがたい。街灯1本まで見分けがつく。これで、門を出るときの周作さんの芝居も変わる。門の内側の門衛に敬礼して挨拶することになるのだ。

 呉海軍第一門。
 ここもレイアウトが手つかずだった。
 呉線のゲートをくぐって、暗渠になって橋の姿を失ってしまった眼鏡橋のあたりから見ると、左側には今も現存する「下士官兵集会所」がある。これは今はレンガ色のペンキ塗りだが、昭和11年に建てられた時(ちょうど『マイマイ新子』の貴伊子の社宅が立てられたのと同じ頃)にはモダンなスクラッチタイル張りだった。これは戦時中にも剥がされてはいない。
 歩道の広さを確かめ、下士官兵集会所の前にある軍港衛兵の番兵塔の位置を確認し、道の対岸にあった先任衛兵伍長詰所との位置のずれ具合を確認してゆく。絵コンテを切っていた頃には、この下士官兵集会所とは道の反対側、眼鏡橋から見て右側の建築物がまるでわかっていなかったのだが、その後、手持ちの写真をじっと眺める中で、海友社(准士官用の水交社みたいな施設)だとか先任衛兵伍長詰所の映っているものを見つけて、それとわかるようになってきていたので、あきらめていた「切替し」のカットも描けるようになってきている。
 この第一門のシーンはまずは19年9月の夏季なので、下士官兵集会所の窓は開け放たなければならない。浦谷さんは写真を食い入るようににらんだ末に、下士官兵集会所1階の販売部の南西向きの窓にはテントがあったのを見つけた。それも開いた絵にする。これはおそらくあとひと月後には空襲対策で取り払われてしまう。
 右側奥に見える海兵団の煙突から煙を出したい、と浦谷さんはいうのだが、煙突は連合軍進駐後に立てたものらしく、ここではNG。海兵団には鉄製の主檣(マスト)が立っていたので、軍艦旗でもはためかせれば、と思ってしまうのだが、海兵団の軍艦旗はいつもはここに掲揚されていないので、これも避ける。
 あとは、呉駅から入って来る軍港鉄道の引き込み線を描くばかりだ。海軍工廠総務部の機関車の写真はかなり集めてあるので、選び放題。

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