しばらく前から松原秀典さんにスタッフとして加わってもらっている。『花は咲く』で、絵コンテではほとんど何の指示もしてなかった本屋の前の親子の様子を、小さな女の子に愛情たっぷり注いでいる感じの原画に仕上げてくれたのが松原さんだった。
昨年呼んでいただいた「ダマー映画祭inヒロシマ」で、今年もワークショップとして『この世界の片隅に』のことを話す時間をいただけたので、自分1人で広島に行く予定が前からできあがっていたのだが、松原さんにも呉や広島の現地はやはり見ておいてもらいたい気持ちが、こちらにも松原さん自身にもともにあって、この際、一緒に呉まで行くことにした。新幹線で行ってもよいのだけれど、どうせ現地で車がつかえないと不便でもあるし、うちの車で走ることにした。メイキングビデオの河崎孝史さんにも来てもらうことにして、3人で交代で運転するのだから、なんとかなるだろう。
●2013年11月20日(水曜日)
午前6時にMAPPA第2スタジオに集合、車で出発。夕方17時より少し前には広島に着く。
最初に広島フィルムコミッションの西崎智子さんのところ(つまり平和記念公園のレストハウス、要するに長い間周囲の考証に時間をかけている大正屋呉服店だった建物そのもの)に立ち寄って、ダマー映画祭の展示コーナーに貼ってもらうレイアウトや、その横に置いてもらう配布用のチラシを西崎さんに託す。レイアウトは広島や呉の光景を考証しつつ再現したものを、たくさん持ってきた。展示は、映画祭前日の21日に西崎さんがご自身でやってくださることになっている。そのほかに、すずさんの横顔と巡洋艦青葉のポスター2点を広島で大判にプリントアウトしてもらうことにもなっていた。2枚のポスターは、並べて貼れるようにデザインしておいたものだ。
暗くなった国道を呉に向かう。
両城の石段の家が今夜の宿。
●2013年11月21日(木曜日)
石段の家はかなりの高台にあって、呉の街を一望に見おろすことができる。呉の街並みの空間は、地図で見る実際のサイズよりもずっとコンパクトに、こぢんまりして見える。正面の休山の左手に朝日が昇り始めると、山や町が次第に光を浴びて染まってゆく。その光景を眺めつつ、毎日の中にある時間の経過してゆく様子が大事なのだ。松原さんは、実際の光景を前に瞬時にそのことを飲み込んで、太陽が顔を出す位置の季節による変化だとか、逆光の山がシルエットになってぺったりした1枚の書き割りみたいに見えるだとか、盛んに眺めている。
動き始めた呉のあちこちで立ち上り始めた音が聞こえてくる。高台にいると、山に囲まれた谷間のような呉では、町中のすべての音が響き渡ってくるかのようだ。ラジオ体操の音楽、汽笛、自動車、拡声器。
「音、重要ですね」
「重要です」
せっかくの石段の家なのだが、ここで過ごす時間もあまりなく、車に乗り込む。まず、灰ヶ峰に登ってみよう。
標高737メートルの灰ヶ峰の頂上は、快晴だった。この場所こそ晴れていないと意味がない。ただ、晴れているときでもいつものことなのだが、広島湾の一番奥のポケットになっている呉湾には濛気が溜まりやすいみたいで、うっすらと霞んでしまっている。
ここでも下界から聞こえてくるたくさんの音に耳を傾けてみる。下界といっても手が届くような近さだ。音がたくさん聞こえてくるので、なおさらにそう思える。
飛ぶ鳥の姿を眺める。あれはトンビだ。松原さんはトンビの飛び方を観察している。
山を下りて、朝日町の遊郭跡地を車で回ってみる。ここは車から降りずにあっさり回るだけ。とりあえず、いろいろな場所の配置とかを把握してもらえればいい。ディテールはその先のことだ。
車は堺川通の駐車場に停めて、石段の家を管理しているNPO法人くれ街復活ビジョンのもうひとつの拠点であるヤマトギャラリー零まで、鍵を返しに行く。石段の家は予約が立て込んでいて、1泊しか取れなかったのだ。理事長さんが時間を合わせて来てくださって、早めのお昼をご馳走になってしまう。
車は駐車場に置き去りにしたまま、長ノ木まで歩く。すずさんが嫁入りのときに歩いた行程の感じを自分の足で捉えたい、というのが松原さんの希望だった。辰川終点バス停まで歩き、さらに段々畑まで歩く。この先画面作りをしてゆくために必要な広さや距離の感覚は、写真に写しても意外と消え失われてしまう。人の目の見た目の大きさや広さのイメージを焼きつけるのが大事なのだ。
夕方、大和ミュージアムまでたどり着いて、実物大に再現された大和前甲板の舳先まで行く。そこで、こんどは日暮れゆく呉の変化を眺めてしばし過ごす。
この日からは呉海員会館に泊まる。
宿の部屋は和室で、すでに布団が敷き述べられていたが、その上に持参した大きな大きな呉の航空写真を広げてみる。戦時中のこの町の姿を2メートル半くらいの1枚にしてみたもの。家の1軒1軒までわかるようになっている。家だけでなく、当時の段々畑の様子も写されている。合わせて、朝日町の遊郭の店舗の並びの資料だとか、当時の店構えの写真なんかも松原さんに見てもらう。今日1日かけて見て回ったものがこうしたディテールと合わさるとき、何かが結実する。
「あの段々畑。当時はこんなに木がなかったのか。今と全然違うじゃないですか」
「そうそう」
「昼間見た段々畑から木をなくしてイメージしないといけないのかあ」
●2013年11月22日(金曜日)
呉の旧海軍区画のあちこちを見て回る。眼鏡橋の第一門、入船山の鎮守府長官官舎、海軍病院や軍法会議所だった跡地、海軍工廠造船部を見おろせる宮原の高台。
さらに、車で鍋の方に向かってみる。刈谷さんとすずさんがリヤカーを押して往復することになる道のり。実はいくつもの小さな山を乗り越えるルートだ。
「これ、無理でしょ。水満載のバケツなんかリヤカーに積んでたらなおさら」
「超人的だよね」
「刈谷さんがすごすぎるというのか。そのシーン、呉の人が観て、あれはないだろう、とか笑いませんかね」
「昔の人はすごかった、って感心するんじゃない」
青葉が着底していた場所の付近にたどり着いて、家や道の位置を当時の航空写真と現在の地図を照らし合わせて、着底位置をちょっと精密に割り出してみる。
「この辺が艦尾で」
「あの辺が艦首の先で」
その上で、水原哲が立っていたであろう場所に立ってみる。
鍋からさらに道を進んで、元は高烏砲台だった公園まで登ってみる。ここは自分も初めての場所。呉湾側の海と伊予灘側の海が一望できて心地よい。その海が青い。大和の副砲塔と同じものを据えてあった観音崎の岬が見えるのだが、あんな崖の上にどうやって大きな砲塔を上げたのか、実際の風景を見てもあいかわらず首を傾げてしまう。
さて、時間はまだある。もう一度、遊郭と長ノ木の段々畑を眺めに行く。
遊郭のあった朝日町では、
「ここが神奈川楼、隣が東京楼本店、その向こうに川」
と、昨日よりぐっと具体的なイメージを二重映しにして景色を眺められるようになっている。
「ということは、この辺がりんさんの双葉館」
と、実在しない店の位置も指させる。
●2013年11月23日(土曜日)
朝一番。海員会館の最上階の食堂で朝食を取りながら、はるかに遠望する長ノ木のすずさんの家があると想定しているあたりを眺める。まだ遅い夜明けの直後。日が昇るにつれて、だんだん山裾が光を浴びてくる。その時間経過を眺める絶好のビューポイントであり、最後まで日陰で残るのがすずさんの家のあたりだ。世界の片隅のさらに片隅にたたずんでいたすずさん。
8時20分発のフェリーに乗り、広島の宇品港へ向かう。
宇品から江波に向かってみたのだが、江波は高速道路工事のために景観がぐちゃぐちゃになり、道がふさがれて行きたい場所まで通る自由もない。この間までは海の方の景色を眺めることができた丸子山も、目の前を高速道路に塞がれてしまっている。すずさんが絵を描いた海の方向を見ることができた最後の場所だったのに。
せめても、江波山の旧気象台に登り、さらに建物てっぺんの展望台に上がり周囲を見回してみる。海の方向はマンションで何も見えない。ただ逆方向、爆心地の方だけはリアルな距離感で眺めることができてしまう。その日、3.7kmの距離を押し寄せた衝撃波は江波山山頂上のこの気象台を直撃した。
ダマー映画祭の会場に向かうのだが、広電江波線の線路に沿って横川手前まで走ってみる。嫁入りの日のすずさん一家のコースをたどってみるのだ。丸いトラスの鉄橋だった横川橋が、奇妙にモダン過ぎるデザインの新しい橋に架け代わっていて、ちょっとがっかりする。背後のお寺とそぐわないんじゃないかなあ。
ダマー映画祭会場に到着。
ポスターは想像以上に巨大に仕上がって飾られている。西崎さんの手になるレイアウトの展示も工夫が凝らされている。展示コーナーの面積自体がかなり広くって、見ただけで感激してしまう。
おじいさんが大正屋呉服店で働いていた、という方が来られ、挨拶をする。レイアウトの中で大正屋呉服店の前で、法被を着てお客に頭を下げている店の人の絵を指さすと、
「背中の曲り具合が、なんだか祖父に似ているような気がします」
といってくださる。これにもまた心揺さぶられてしまう。
ワークショップを行い、それを終えた後、また展示コーナー前に戻ってきて、色々な方々と話をする。
来年夏に中島本町を歩くツアーをしよう、などという企画がもうできている。
ダマー映画祭代表の部谷京子さんからは、
「映画ができあがるまでに何年かかるかわかりませんけど、それまで毎年ワークショップお願いしますね。そして、映画ができあがったらレッドカーペットです」
というありがたい言葉。
16時前には広島を離れる。翌日には福島県いわき市で、日本アニメーション協会「イントゥアニメーションin福島」があり、『花は咲く』を上映してもらえるのだ。なので、福島まで車で駈けつけたいのだった。
車中、松原さんと突っ込んだ話になる。
そもそもこうの史代という作家にとっての『この世界の片隅に』とは何だったのか、なぜ時期的に近接している前作『さんさん録』と正反対の作風になったのか、そうしたことから自分たちは何をくみとるべきなのか。これはドラマなのか、それとも一種の精神的私小説なのか。この物語の中で描かれる男女の間の情の正体は何なのか。ナレーションは標準語なのか広島弁なのか。ナレーションはどの時点の誰が語っているのか。すずさんを演じることになる声優には何を求めるべきなのか。どんな音楽なら意味を持って場面の上に重なり得るのか。
運転は河崎さんに任せて、話し始めは岡山県から兵庫県に入ったばかりだったはずが、気がつけば名古屋を走っていた。大阪は? 京都は?
松原さんと2人、すっかり話に集中してしまっていたのだった。おかげで、こちらとしても照準は定まり、求めるべきものの内からぼんやりしていた部分が消え失せた。そうだ、帰ったら絵コンテもちょっと描き直さなくては。この車中で、「われわれの『この世界の片隅に』」が姿を現したのだといってもよい。
しかし、メイキングビデオのカメラマンが車のハンドルを握ってしまっていたので、この肝心の時間は撮影されずに終わってしまっている。
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