COLUMN

第58回 ワレ青葉

 まず、美術設定を起こせない、起こすのが困難そうな、考証の裏打ちがたっぷり必要そうな場面のレイアウトをできるだけこなしておこう、という作業は、広島中島本町、江波、呉駅前などをやっつけてきたのだったが、担当者である浦谷さんから、
 「いちばん面倒なのをこなしてしまいたい」
 という意見がここへきて出てきた。
 最も面倒なロケーション。それは、呉の海軍工廠のことだ。
 工廠は、呉の海軍敷地の大部分を占めて広がっている。なので、ちょっとでも港の方を描こうとすると、必ず画面に映り込んでしまう。しかも、とにかくゴチャゴチャしていて、複雑にいろんなものが組み合わさっている。そこに何があるのかひとつひとつ確かめながら描くしかない。

 呉海軍工廠の中で、一番市街地に近いところにあるのは、第四船渠。それから第三船渠、造船船渠と並んでいる。船渠(ドック)というのは、要するに、地面に開いた穴で、その中で船の船体を組み立て、船体が完成したら進水式をやって中に水を入れて浮かばせ、海に出す。実はこのあたりのものは、当時とは多少形が変わっている部分があるとはいえ、現存していて、今も造船所として使われている。第四船渠のハンマーヘッド・クレーンなんか当時のものが今もちゃんと立っている。それから、最も目立つ、昭和12年に超秘密兵器・戦艦大和の建造を始めるにあたって、その姿を覆い隠すため造船船渠の上に被せられた大屋根も現存している。
 一番はじめは、この造船施設付近を捉えたカットからレイアウトに取り組んでもらう。
 いま現存しているハンマーヘッド・クレーンだけでなく当時はもっとクレーンが立ち並んでいたので、そのいちいちを調べなくてはならないし、大きく立ちはだかってその向こうの有象無象を隠してくれているはずの造船船渠のシルエットの上にはみ出して見える船台のガントリークレーンも位置とか高さとか割り出してみなくてはならない。それから、工廠そのものの背後にそびえる休山の山稜の形もちゃんとしなくてはならない。このレイアウトのカットは、休山山系の一部である八咫烏山の高烏砲台が試射をしている場面なので、実は山のほうが大事だったりする。この辺のあたりのことは、だいぶ前に、物語の中の出来事の日付を割り出したら、たまたまその日が砲台の教練射撃の実施日だったことがわかって、こうの史代さんに話したら、
 「大砲の音が鳴り響いてるの、いいですね」
 と、いっていただけたものだ。そのプランどおりに絵コンテになっている。
 ちょっと問題があって、そんなふうに日付がはっきり設定できてしまっていると、その日に第四、第三船渠に大物の軍艦が入っていて映り込んでしまうのではないか、という心配をしなければならなくなってくる。小さい艦ならば、船渠の穴の中にはまっているはずだから描くまでもないのだが、この頃に入渠してたかもしれないものとして戦艦大和か空母隼鷹の可能性がありそうだった。いきなり大和を描いてしまわなければならなくなってしまうのだろうか。ゴチャゴチャと調べ物をやり直してみたら、大和はその20日前まで第四船渠にいたのだが、当日には船渠内にはいなくなっていて、また当該日の2日後に再入渠していたらしかった。かろうじてセーフ。隼鷹の方はもうひとつよくわからないのだけれど、大和が第四船渠に出入りしている間の期間中もどこかに入渠中だったかもしれなくて、第三船渠だったのかもしれない。わかったら空母を描き足すことにして、とりあえずこのレイアウトは完成。

 つづいて、呉港に巡洋艦青葉が帰港する場面をやってしまうことにした。むしろ青葉の方をきちんと描かなくてはならない。
 軍艦なんて模型とかイラストとか参考にできるものがたくさんありそうなものだが、実は当該時期の青葉の写真がない。手持ちの青葉の写真は、戦前のを別にすると、昭和16年、17年、それも17年10月までのものがいくらかあって、17年10月のサボ島沖海戦でメチャメチャになった姿のロングで細部がよく見えないのが1枚あって、あとは19年10月のものが1枚ある。それ以外では、呉港外に係留中の20年7月に空襲にあって擱坐して以降のもの、つまり壊れてしまってからんものばかりだ。
 20年7月の青葉は、民家が立ち並ぶ集落からわずか数十メートルのところに擱坐している。民家の背後の低い山を超えて攻撃してくる米軍機に向けられたまま動きを停めてしまった主砲は、ほとんど家の屋根越しに撃とうとしていたように見える。ふつうの民家と猛々しい軍艦が隣り合っている光景はなんだかすごく象徴的な感じがして、こうのさんがこの艦をモチーフに使ったのはよくわかる。
 さて、われわれが使える一番時期的に近い写真は19年10月のものなのだが、これがまた超ロングでほとんどシルエットに潰れてしまって細部がよくわからない、ときてしまう。同じ写真がいろいろな出版物に載っている中で一番状態がよいのを見つけて拡大してみると、レーダーアンテナがあちこちに増設されて、マストの形なんかもサボ島沖海戦以前とはかなり変わっているのがそれなりに見えるようになった。どうも、たいていの模型は間違った形に再現してしまっているみたいで残念でもある。
 レイアウトのベースには昭和16年の写真を使って、その写真のアングルに近く描くことにしていたので、そこから青葉が呉に帰投する19年12月までのあいだに、何がなくなって、何が足され、何が形を変えていたのか割り出してゆくことにしたい。いや、実はその前に、そもそもベースにする昭和16年の写真に何が写っているのか明らかにしなければならないのだった。この写真だってかなりロングで細部がほとんど潰れていたものを、図面と照らし合わせて解読していかなければならないのだった。
 何をどうやったのか、いちいち書き記すのが今となっては面倒くさい。とにかく描いてもらっては崩し、描いてもらっては崩し、を繰り返して、自分も浦谷さんもだいぶ細部のあれこれが捉えられるようになってきた。
 それからさらに、19年10月から12月の間に青葉の上に訪れた出来事をかぶせてゆく。青葉は呉に帰投後、修理を断念され放置される。大戦末期の状況下では修理不可能なくらいヨタヨタになって、ようやく帰ってきたのだった。錨は流してしまっているし、高角砲は回らなくなっている。エンジンも右舷のふたつが全滅している。
 ひととおりできあがったら、立体を把握し直してチェックするために自分で色を塗ってみた。色を塗る中でまたちょっと直したほうがよいところなど見つかり、浦谷さんとやりとりを繰り返す。
 色まで塗ったら、それなりな感じになってきたので、ちょっと描き足してポスターにしてみた。

親と子の「花は咲く」 (SINGLE+DVD)

価格/1500円(税込)
レーベル/avex trax
Amazon

この世界の片隅に 上

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 中

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon

この世界の片隅に 下

価格/680円(税込)
出版社/双葉社
Amazon