リスト制作委員会 原口正宏
今から約1年前、この連載の第1回で「日本初のTVアニメは何か」という話題に触れ、『もぐらの アバンチュール』という作品のことを紹介した。同作が1958年10月15日に日本テレビで放映されていた、と書いたのもこの時が初めてだった。これは、NHKの『新しい動画 3つのはなし』(1960年)を最初のTVアニメと位置づけてきた歴史的常識を塗り替える快挙だったが、当時はあまり話題にはならなかったようだ。その後、昨年7月の頭にはウィキペディアに「もぐらのアバンチュール」の項目が立ち上がり(私が書いたものではない)、この作品が日本初のTVアニメであることは公然の事実となったが、一般的な知名度はまだまだ低かったのではないかと想像する。
その『もぐらの アバンチュール』が、このたびアニマックスで放送されることが決まった。7月21日(土)の19時〜21時、特番「TVアニメ50年の金字塔」第3回のなかで、番組の終わり近くにフルバージョンでオン・エアされる。
なぜ、このような嬉しい結果に結びついたのか。そもそも、10月15日という日付はどうしてわかったのか、その後、フィルムはどんな経緯で見つかったのか。最初に『もぐらの アバンチュール』について書かせていただいたアニメスタイルへのお礼も兼ねて、ここに最も詳しい経緯を記しておこうと思う。
●幻の作品が発見されたわけではない
『もぐらの アバンチュール』という作品の存在は、36年前からわかっていた。
「日本アニメーション映画史」(山口且訓・渡辺泰、有文社、1977)の89頁と256頁に以下の記載がある。
三十三年のトピックス 七月、NTVは、村田映画出身で、NTVの“マンガ・ニュース”を担当の鷲角博に、カラーTVの実験放送用の動画「もぐらのアバンチュール」(アンスコ・カラー、10分)を試作させた。切紙動画でセリフと絵は中島そのみ。好評だったので、第二作「消えた人形」を引き続き製作。(89頁)
■モグラのアバンチュール 製作・日本テレビ放送網(NTV) 演出・鷲角博作 1巻 337m 10分 アンスコ・カラー 6月完成 〔解説〕カラー・テレビ用の動画の試作品。 〔略筋〕モグラのクロちゃんが夢の中で宇宙旅行に出かけ、火星のモグラとけんか。ショックで夢がさめ、やはり土の中が一番いいと思う。(256頁(256頁)
「日本アニメーション映画史」を書店で見かけたのは、中学3年生の時。定価の2400円は、当時の自分にはとても手の出ない金額だったので、親に頼んで買ってもらうことにした。この本との出会いがなければ今の自分はない。むさぼるように読み、その過程で「もぐらのアバンチュール」「鷲角博」「カラーTVの実験放送用の動画」というキーワードが、15歳の自分の脳裏に刻み込まれた。
1988年、「TVアニメ25年史」(徳間書店)を編集した際にも、『もぐらのアバンチュール』のことは気になっていた。だが、「日本アニメーション映画史」の巻末リストでは同作がTVアニメとしては扱われておらず、資料編のデータ部分にも特に放送日の記載がないことから、未放映作品と判断し、掲載しなかった。
2000年、「ポケットデータノート」(徳間書店)を編集した際には、「日本初のカラーTVアニメ」というコラムを掲載するにあたり、渡辺泰さんご本人にその執筆協力を依頼し、あらためて『もぐらの アバンチュール』について「未放映である」との再確認を行った。その結果、以下のような文章にまとめた。
日本初のカラーTVアニメ
1958年7月、村田映画出身の鷲角 博が日本テレビの依頼でカラーTV用のテスト作品「もぐらのアバンチュール」を試作するも、放映はされず。「シスコン王子」(1963年12月20日〜)、「鉄腕アトム」の56話(1964年1月25日)もカラー製作だが、放映はモノクロ。1965年4月4日から3週放映されたフジテレビのカラー実験作品「ドルフィン王子」がおそらく最初の実例。本格的なシリーズ作品は、1965年10月6日スタートの「ジャングル大帝」。
以来、昨年に至るまで、『もぐらの アバンチュール』に対する私の認識は、「放映されなかったTV用カラーアニメ」というものに落ち着いていた。6月、「TVアニメ50年史のための情報整理」の「1963年」「1965年」の項を書き上げた直後も、それは変わっていなかった。ところが……。
●偶然から発見されたTV放映の事実
北海道・札幌市在住で、以前はTV局に勤務されていた斉藤之夫さんという方がいる。実は、『もぐらの アバンチュール』がTV放映されていた事実を、新聞のTV欄で最初に発見したのはこの斉藤さんだった。しかもそれは、『名犬リンチンチン』という海外TV映画の放送内容を縮刷版で調べている最中に、偶然目にしたものだったという。
余談だが、TV黎明期の番組に造詣が深く、アニメ、実写、海外問わず幅広く研究されている斉藤さんとは、すでに7年以上のおつき合いがある。お互い、TVアニメの本放送時の姿にこだわるところがそっくりで、馬が合うのである。『ムーミン』や『ど根性ガエル』のオープニングのクレジット変更について、電話で話し込んでいるうちに何時間も経過していた、なんてこともしばしば。映像やクレジットの細かなバージョン違いに注目し、その変遷を追究することに共通の価値観を持っている斉藤さんは、私にとってかけがえのない理解者でもある。そんな斉藤さんなので、私はたまたま書き上げた「TVアニメ50年史のための情報整理」の「1963年」「1965年」のサブコラムを、念のためチェックしていただくことにしたのだ。それが幸いした。
電話を下さった斉藤さんの口から出たのは、意外なひと言だった。
「『もぐらのアバンチュール』は放映されていますよ。新聞のTV欄に載っているのを見ましたから」
「えーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
斉藤さんが『もぐらの アバンチュール』のタイトルを記憶していたのは、夕方の時間帯に放映された短編映画のタイトルのなかで、「際立ってヘンなタイトルだったため」だという。他の日には「春の花」「秋の山里」などというタイトルが並ぶなかで、いきなり『もぐらのアバンチュール』と来たものだから、印象に残っていたらしいのだ。ヘンなタイトルで助かった!
●フィルム発見まで
かくして『もぐらの アバンチュール』は、日本テレビが初めて試作した「カラーTVの実験放送用の動画」という位置づけをはるかに超える、アニメーション史全体のエポックメーキングな存在へと生まれ変わった。すなわち、日本で最初に放映されたTVアニメにして、最初に放映された“カラー”TVアニメでもある、という二重の価値である。
その後、私は日本テレビに勤めている知人を通じて、この『もぐらの アバンチュール』が現存していないか、社内のライブラリーに問い合わせてくれるように頼んだのだが、事態はなかなか前に進まなかった。数ヶ月が経過した後、返ってきた答えは「見つかりません」だった。ライブラリーの人も、いくら史料的価値が高いとはいえ、仕事に直接結びつかない話題でフィルムを探索するほどには時間の余裕はないのかもしれない。あるいは、本当に現存しないのかも……。私は諦めかけていた。
年が明け、2月になった。私は、アニマックスの佐藤功さんという旧知の編成担当の方から久しぶりにご連絡をいただき、「TVアニメ50年の金字塔」という特番企画に構成・監修として参加することになった。この特番は、『鉄腕アトム』放映開始からちょうど50年を数える今年、TVアニメの歴史を8つのテーマに沿って特集していこうというもので、当然、1963年以降が話題の中心である。だが、私は最初の打ち合わせの席で、心にわだかまり続けていた『もぐらの アバンチュール』へ思いを、佐藤さんに向かって吐き出してしまった。それが1958年の作品であるにもかかわらず、熱弁を奮ったのだ。「せっかく日本最初のTVアニメの常識が塗り変わったというのに!」「ああ、これが見つかりさえすれば……」「日テレさんが本気になって捜してくれないだろうか!!」
私の鬼気迫る思いに畏れをなしたのか、はたまた賛同してくれたのか、佐藤さんは翌日、日本テレビに連絡をとり、再度『もぐらの アバンチュール』の探索を依頼してくださった。今度は、しっかり“仕事”に結びつく話として、真正面からかけ合ってくれたのである。私は内心、そんなに迅速に行動に移してくれることは期待していなかったので、佐藤さんのバイタリティに驚いた。だが、もっと驚いたのは、フィルムがいとも簡単に見つかったことだ。
「『もぐらの アバンチュール』、あったそうです」
佐藤さんからその報告を受けた時、私はやや拍子抜けする思いだった。だから現在、マスコミが見出しに使っている「日本最古のTVアニメ発見」という論調は、ややニュアンスのズレを感じてしまう。フィルム自体は確かに埋もれていたものだが、発掘されたのは何年も前であり、単に作品の価値にスポットが当たっていなかっただけなのだ。
日本テレビのご担当者は当初、「なぜこの作品がそんなに貴重なんですか?」という反応だったという。それはそうだ。今まで、仮にこの『もぐらの アバンチュール』が見つかったとしても、「カラーTVの実験放送用の動画」として作られた未放映作品に過ぎなかったのだから。だが、今は違う。「放映された」一番早いTVアニメの栄誉に浴す存在になったのだ。
●「マンガ・ニュース」の謎
佐藤さんが日本テレビに『もぐらの アバンチュール』の探索を依頼した時、先方からは逆に以下のような問いかけがあったという。
「当社には『マンガ・ニュース』という作品もありますが、こちらは必要ないですか?」
「マンガ・ニュース」──冒頭に引用した「日本アニメーション映画史」にも書かれている番組のことである。1958年10月15日のTV欄には、夜9時11分〜9時15分の枠で「漫画ニュース」との記載があり、おそらくこれのことと思われた。日曜から土曜日まで、毎日同時刻に放送。本番組の実態については、以前から気になるところではあった。というのは、同じ鷲角博が手がけていることから、これがアニメなのではないか、という疑惑があったのだ。前述の「日本アニメーション映画史」ではそれらしい言及はなく、後年、渡辺泰さんに直接確認した際にも、「アニメではない」とのお答えだった。「マンガ」というのは要するにフリップや静止画で描かれたマンガのことで、それらを交えながら時事ネタを紹介するニュース番組ということらしかった。一方、「TVアニメ25年史」当時、アニメ研究家のおかだえみこさんにもこの番組についてお聞きしたことがあり、その時のおかださんのお答えは「部分的に絵が動いていたと思う」というものだった。果たしてそれはコマ撮り技法を用いた「アニメーション番組」に含まれるものなのか否か。そもそも絵が「動いていた」のは、毎回のことなのか。番組をまったく観たことのない私にはこれ以上は判断のしようがなく、とりあえず「日本アニメーション映画史」の立場に合わせて、本番組をアニメの範疇から外し、気持ちの上では保留扱いにした。
そんな謎に満ちた「マンガ・ニュース」が、日本テレビに現存しているのだろうか。そうだとすれば、私の答えは決まっていた。
「ぜひ、そちらも捜してもらってください! 歴史がさらに書き換わる可能性があります」
私は興奮して、佐藤さんにお願いした。わざわざ日本テレビさんのほうから話題にしてくださるからには、フィルムが現存しているに違いない……そう期待したからだ。だが数日後、日本テレビからは残念なお知らせが戻ってきた。「リストに記載はあるものの、現物は見つかりませんでした」というのである。
謎は残されたままになった。だが、ここで間違いないことはひとつある。それは、「マンガ・ニュース」はモノクロ放送だということである。つまり、仮に「マンガ・ニュース」問題が今後、どんな展開を見せるにしろ、『もぐらの アバンチュール』が「日本最初のカラーTVアニメ」であるという事実は揺るがないはずなのだ。
●「わしかど」か「わしずみ」か「わすみ」か
5月になり、ようやく待ちに待った『もぐらの アバンチュール』のニュープリント&テレシネ素材が上がってきた。だが、佐藤さんが観たのみで、私はなかなか現物を確認できずにいた。その間に、番組の構成台本は決定稿となり、番組収録の当日となった。
番組は船越英一郎さん演じる船越教授が、助手の平山あやさんとともに専用の研究室からTVアニメ史の貴重な映像をお届けする、という趣向で進行。毎回のテーマの紹介と、番組解説を船越さんが話すのだが、『もぐらの アバンチュール』に関する簡単な説明も入ることになった。
ここでひとつ問題が持ち上がった。「鷲角博」の読みである。「日本アニメーション映画史」には特にフリガナはなく、渡辺さんに直接お電話で確認したが、読み方はわからないということだった。普通に考えると「わしかどひろし」か「わしずみひろし」だと思うが、『YAWARA! それゆけ腰ぬけキッズ!!』(1992年)で外村真由美を演じた声優・鷲角ゆか里の「鷲角」は「わすみ」と読むらしいことが所属事務所グループこまどりのサイトから分かり、「わすみひろし」である可能性も加わった。いずれにしても、正解が判明しないまま不用意な読みをするわけにはいかず、「鷲角博」の名前ごと解説文を削ることになった。
『もぐらの アバンチュール』の映像を、私が直接確認することができたのはその翌日のこと。冒頭、タイトル部分を観た私は、椅子からずり落ちそうになり、同時に「素晴らしい!」と叫んでしまった。「制作 NTV」の後、第2画面に堂々と「作 わしずみ・ひろし」の表示があったのだ。そう、作者名が平仮名で表示されたお陰で、読みの問題は瞬時にして氷解したのである。1日早く、この画面を観ていれば、と悔む私であった。
●百聞は一見にしかず
『もぐらの アバンチュール』の映像は、私自身の貧しい想像力を軽く凌駕する驚きと発見に満ちていた。前述の「わしずみ・ひろし」の表示も然り。ちなみにクレジットは同じ画面に「音 山本直純 声 中 島 そのみ」と続き、スタッフ名の表示はこの1枚だけだった。文字は手書きで、厳密には「純」の字は「屯」の上が突き抜けず、手前で止まっている。「声」の文字も「士」の部分が「土」になっていた。フィルムに焼き込まれたクレジットを観たことで、現物と出会えた喜びが倍加された。
時間は8分53秒。「カラーTVの実験放送用」というだけあって、目の覚めるような美しい色彩や、波ガラスを使った撮影処理の煌びやかさに驚かされた。しかも、切り紙のコマ撮りで撮影されたクロちゃんや、奇想天外なキャラクターたち(火星もぐら、長首犬、火星人)の動きがコミカルで愛らしい。ロケットという題材も、米ソが宇宙の覇権をめぐってロケット開発競争を繰り広げつつあった当時を思わせるものがあった。
同じもぐらということでは、チェコのズデネック・ミレル監督による『もぐらくん(クルテク)』シリーズも連想した。実際、『クルテク』第1作「もぐらくんとズボン」が公開されたのは1957年で、同年のベネチア映画祭では子供映画部門最優秀賞、翌1958年のモンテビデオ映画祭でも賞を獲得している。高評価を受けた作品であり、鷲角か日本テレビの関係者がこの作品を参考にした可能性もゼロではない。
1958年10月22日には最初のカラー長編『白蛇伝』が公開され、以後、日本のアニメーションは集団作業による企業的なセルアニメが次第に主流になっていく。『もぐらの アバンチュール』はむしろ、それとは正反対な、個人的な手作り感の強い短編アニメである。重厚な塗りによる切り紙がパーツごとに自由奔放に置き換えられ、回転するさまはシュールなビジュアルに結実し、不思議な快感を生み出している。アメリカよりはヨーロッパの同時代の作家を想起させるダイナミズムに溢れているのだ。久里洋二がアニメーション三人の会を結成し、インディペンデントアニメーションの流れを本格的に生み出すのが1960年であり、そのムーブメントとは別個に本作は生まれたことになる。鷲角は村田映画出身ということだから、むしろ切り抜き動画の大家と言われた村田安司から何らかの薫陶を受け、切り紙アニメに対してそれなりの技術と誇りをを持っていたのかもしれない。このあたりは、鷲角の消息も含めて、もう少し追跡したいテーマでもある。
●もっと宣伝をしよう!
番組収録の日、詰めかけた取材陣に対して行われた「TVアニメ50年の金字塔」の宣伝は、各回のメインテーマである「スタジオゼロ」「ゲゲゲの鬼太郎」「ルパン三世」などに重きを置いたもので、『もぐらの アバンチュール』については、今ひとつ強調されずに終わってしまった。
その後、作品の現物を観た私は、この魅力をもっと広く、本当に望んでいる人のもとへと届けたいと考えた。広島のアニメーションフェスティバルに足を運ぶような、個人作家のアニメーションに興味を持っている人に、本作の存在を知らせる必要があると感じたのだ。そこで、私は自分の所属する日本アニメーション協会、日本アニメーション学会のメーリングリストで、『もぐらの アバンチュール』の歴史的意義とフィルムの発見、放送実現までのいきさつを簡単に報告した。また、佐藤さんには大手新聞をはじめ、マスコミ各社にこの作品を記事として取り扱ってもらえるよう、動いてもらうことにした。
その甲斐あって、読売新聞、朝日新聞の2紙がこの作品のことを採り上げて下さり、今度はその掲載が引き金となって、他の新聞社やTV局からも取材を依頼されるまでになった。まさにここ数日で、『もぐらの アバンチュール』のタイトルはいっきにメジャーになった感がある。
一方、前段でも触れたとおり、新聞、TVの論調がいずれも「現存」「発見」という言葉に力を置いている点は気になった。2007年、幸内純一の『なまくら刀』(1917年)が見つかった時は、「現存」「発見」の言葉の意味が正しく使われていたのだが、今回は「現存」よりも「放映されていた」という事実のほうがより重要な意味を持っている。私も何件かの取材を受けたが、いくら言葉を尽くしても、実際に掲載される記事や、放送されるニュースは「最古のTVアニメ発見」としてまとめられてしまう傾向があった。どうやら、埃をかぶった倉庫の奥から、思いもよらぬものが掘り出された! という臨場感のほうが、ドラマチックで必要とされるらしい。
歴史的発見は、多くの場合、もっと静かに、地道な作業の過程で浮かび上がってくるものなのではないか。
実はこの1週間の間にも、『もぐらの アバンチュール』研究はさらに新事実を手に入れたのだが、新聞やTVは一切そのことを採り上げてくれなかった。そこで、現状最新のトピックスを以下に記すことにする。
●追加調査〜7月14日の発見
斉藤さんが毎日新聞の縮刷版で『もぐらの アバンチュール』の放映事実を知ったのは偶然の賜物だった、とはじめに書いた。そのことで、私自身はずっと気になっていることがあった。10月15日以前にも、この番組は放映されている可能性はないか、ということである。もともと「カラーTVの実験放送用の動画」として制作されたのであれば、放映が複数回あったとしても不思議ではない。そこで、マスコミから本格的な取材が来る前に、もう一度、正しい初回放映日を確認する必要があると思い立ったのだ。
アニメーション学会の発表を控え、その準備で身動きができなかった私の代わりに、リスト制作委員会の磯部正義君に図書館通いをしてもらうことにした。当面の調査範囲は、1958年6月1日以降、10月14日以前の毎日新聞TV欄。そこに「もぐらのアバンチュール」という記載があるかどうか調べてもらった。
予感は的中した。7月14日(月)の午後2時30分〜3時の欄に
「もぐら」他(カラー)
と書かれていたのだ。ちなみに、もともと見つかっていた10月15日(水)・4時40分〜5時50分の欄の記載は
短編1モグラのアバンチュール②江の島水族館
というものだった。どちらも一長一短がある。前者は「もぐら」とだけあり、これが「もぐらのアバンチュール」の略称であるとは必ずしも断定できない。ただし、後に「(カラー)」と付記されていることから、確率はかなり高いといえる。一方、後者についてはフルネームで「モグラのアバンチュール」とあるので間違いないが、厳密には「モグラ」ではなく「もぐら」が正しく、ここにはスペースの都合からか「(カラー)」の表記がない。
ここで、初心に還ってもう一度、「日本アニメーション映画史」の記述を参考にしてみる。
まず、本文と資料編とで、作品の完成月にくい違いがある点が気になる。本文では「七月〜試作させた」とあるのに対し、資料編のデータでは「6月完成」と書かれている。これはどういう意味だろうか。7月14日の放映事実がある程度確認できた今となっては、この「七月」というのは「放映月」を指していたのではないか、との類推も成り立つ。フィルムは6月に完成し、7月に放映されたと考えれば筋が通るのだ。渡辺泰さんには、当時、この文章を書くに際して参考にしたという史料の探索をお願いしてみた。原典が見つかれば、このあたりのくい違いの謎も明らかになるかもしれない。
元TV局にお勤めだった斉藤さんによれば、TV局には「編成確定表」なるものが存在するそうで、要するに、結果的に放映した事実内容を記録しておく資料のことである。NHKやTBS(当時はKRテレビ)には古い時代のものも保管されているらしいので、日本テレビにも同様のものがあれば、7月14日や10月15日の放映内容も、より正確な「事実」として確認できることになるはずだ。
「日本アニメーション映画史」には、もうひとつ重要な情報が書かれている。「第二作『消えた人形』を引き続き製作」というくだりだ。今回は6月1日から10月15日までのTV欄を調査したが、その期間には『消えた人形』の記載は見当たらなかった。今後は、10月16日以降に調査の範囲を伸ばし、その初回放映日を突き止められればと考えている。その放映時期によっては、おそらくこれが日本で2番目のカラーTVアニメになるはずだから。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
『もぐらの アバンチュール』のさまざまな新事実発見は、複数の皆さんの協力と理解が連携したことで、はじめて達成できたことです。私は代表的な立場で取材にも答えましたが、やったことといえば、必要なタイミングでこの作品の歴史的意義を力説し、次につなげるお手伝いをしたくらいでした。
渡辺泰さん、斉藤之夫さん、佐藤功さん、日本テレビのご担当の方、磯部正義君、各新聞社・TV局の記者の方々、この作品の存在をアピールする機会をくださった小黒様、小川様、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
そして、この作品の解明作業は途上にあります。
まずは7月21日、無事に『もぐらの アバンチュール』の放映が行われますこと、願っています。