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原恵一監督インタビュー
前編 アニメの経験を現場に持ち込むつもりはなかった

 6月1日から全国公開される「はじまりのみち」は、日本映画界を代表する名匠・木下惠介監督へのトリビュート作品であり、『河童のクゥと夏休み』『カラフル』の原恵一監督が初めて実写作品に挑戦した話題作だ。
 舞台は戦時中の日本。若き映画監督・木下惠介(加瀬亮)は、自身の作品が軍部から厳しく批判されたことに憤り、やっとの思いで掴んだキャリアを捨てて帰郷。日に日に激しくなる戦火から逃れるため、兄の敏三とともに病気の母親をリヤカーに載せ、山奥の疎開地へと運ぶ。その小さく苛酷な旅のなかで、いちどは挫折した主人公が再び映画を創る意欲を取り戻していく姿を、原監督は淡々と、しかし腰の据わった力強い演出で描く。とてつもなくシンプルでありながら、豊かな感動をもたらすドラマの強度は『カラフル』などの諸作品にも通じる。ただストイックなだけでなく、惠介とお調子者の便利屋(濱田岳、好演!)のやりとりが醸し出すユーモアも魅力的。実写であっても「原恵一スタイル」がしっかりと貫かれていることに驚かされる一編だ。
 そして、原監督が敬愛する木下惠介監督への想いが一気に溢れ出す、クライマックスの名場面集も見どころ。読者には、「はじまりのみち」を観る前でも観たあとでもかまわないので、木下監督のデビュー作「花咲く港」から、劇中でも印象的に引用されている「陸軍」、戦後の「わが恋せし乙女」「破れ太鼓」「野菊の如き君なりき」などの作品を観ることをお薦めする。また一段と味わいが増すはずだ。
 初の実写作品の制作現場に、アニメ界の名匠はどう挑んだのか? プロモーション活動中の原監督に、お話をうかがってきた。

PROFILE

原恵一(Hara Keiichi)

1959年生まれ、群馬県出身。PR映画の制作会社を経て、1982年シンエイ動画に入社。『ドラえもん』で演出デビューし、1987年『エスパー魔美』でチーフディレクターに抜擢される。初の劇場作品は『エスパー魔美 星空のダンシングドール』。その後『クレヨンしんちゃん』に参加し、TVのシリーズ監督と、映画6本の監督を務める。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』と『同 アッパレ!戦国大合戦』は、大人も子供も泣かせる名作として多くの観客に支持された。その後も『河童のクゥと夏休み』『カラフル』と、自らの信念に忠実な作品づくりを貫き、国内外で高く評価されている。

取材日/2013年4月3日 | 場所/東京・松竹本社 | 取材/岡本敦史、小黒祐一郎 | 構成/岡本敦史 | 写真撮影/永塚眞也

── 実写作品は以前から撮りたいと思っていたんですか。

原 いや、思ってなかったですね。うまくできるとも思わなかったし、実際に今回やってみて、ちゃんとできた自信もないし。

── そうなんですか。

原 そんなふうに思っていたんだけど、全部終わって完成したものを観てみたら、自分で思っていた以上のものができたなと思ったんですよね。それはやっぱり、役者さんやスタッフの皆さんの力が凄く大きい。実写作品って、自分が想定しなかったよさがたくさん残るものなんだな、と思いましたね。アニメの場合は絵コンテに基づいて、どれだけ監督のイメージに近づけるかという作り方をするじゃないですか。今回は絵コンテもほとんど描きませんでしたから。

── 自信はなくともやってみようと思われたのは、やっぱり木下惠介トリビュート企画だったからですか。

原 そうですね。「この話を断ったら、俺、ウソつきになっちゃうな」と思って。それまでずっと「木下惠介監督は凄いんですよ」ってことを個人的に言い続けてきて、なんとかみんなに知ってもらおうと思っていたけれども、一向にそういう動きが世間で起こらない。そのもどかしさをずっと感じていたわけです。そうしたら、今回それを仕事としてやってくださいと言われて。

── それは確かに断れないですね。

原 断ったらおかしいですよね。とはいえ、やっぱり心配でしたけど。

── ストーリーについては、原さんからの提案だったんですか。

原 いや、「この題材でお願いします」という注文が先にありました。最初は脚本だけの依頼だったんです。

── じゃあ、ほかに監督候補がいらっしゃったんですか。

原 いや、それは多分決まっていなかったと思います。それで、脚本を書いているうちに、これはできたら自分が監督までやったほうがいいんじゃないかと思ったんですよ。実写を撮る自信はなかったけれども、もしこれを他の誰かが監督したら、自分はどういう気持ちになるんだろう……と思って。それなら、よくなるにしろ悪くなるにしろ、自分がやったほうがいいだろうなと。

── 病気のお母さんをリヤカーで山奥の疎開地まで運んだという話は、木下惠介監督の実体験をもとにされているそうですね。オリジナルの要素はどれくらい入っているんですか。

原 まず、木下監督が当時のことを書き記した文章がいくつかあって、長部日出雄さんの書かれた木下監督の評伝(「天才監督 木下惠介」)にも、その逸話をさらに取材して深く書かれたものがあった。それらの文献を参考にしました。ただ、便利屋に関してはどういう人物なのか、よく分からなくて。山越えの手伝いをお願いしたという事実はあったんだけど。

── 最後まで同行した人ではあるけど、詳しい記述がなかった?

原 そう。だから最初は全然イメージできなくて、「邪魔だなあ」とさえ思っていて(笑)。だけど、あるとき「そうか、全然分からないということは自由に膨らませられるんだ」と思ってね。それで、惠介とは対極にいるような人物にしてみようと。そうしたら俄然うまくいくようになった。僕も便利屋さんは気に入っているんです。

── いいキャラクターですよね。

原 で、ようやく脚本が書き上がったころ、実は便利屋さんは○○さんという人で、木下監督とも戦後に再会していたという事実が分かって。書いてるときにその事実が分からなくてよかったな、と思いました(笑)。

── 自由にアレンジできなかったかもしれないんですね。

原 ええ。

── 主人公と母親の関係を描くドラマになることも、企画をもらったときから念頭にあったんですか。

原 当然、そうなるだろうと思ってました。木下監督とご両親は、当時としては珍しいくらい親密な親子関係だったそうです。それは僕も長部さんの本などを読んで知っていましたから。だって、監督本人が「うちの両親より偉い人たちに会ったことがない」って書いてるんですよ。そんなことを言える息子っているかな、と思いますよね。そういうちょっと特殊な木下家の家族関係が、木下作品のカラーにも反映されていると思うんです。

── 原さんにとって、実写作品を撮るにあたっての最大の不安はなんでしたか。

原 やっぱり経験のなさですよね。きっと勝手が違うだろうとは思っていたけど、実際に始まってみたら、予想以上に違いました。

── 特に違いを痛感したところは?

原 実写の場合、「ちょっと考えさせてくれ」って言えないんですよね(笑)。アニメなら、監督あれどうします? と言われたとき「明日までに考えてくるよ」とか言えるじゃないですか。だけど、実写はその場でどんどん決めていかないといけない。予想はしていたけど、実際に自分がそういう立場になると、なかなかキツイものがありましたよ。

── 逆に、実写でよかったと思えたところは?

原 自分が書いた台詞ではあるんだけど、それを役者さんがいちど飲み込んで演技すると、自分が思ってもみなかったものになったりする。それはアニメでは味わえないものですよね。アニメは絵コンテを描いて納得して、それをもとに作っていくわけですから。そういうところが実写の面白さだとは思いました。

── 絵コンテは描かなかったとおっしゃっていましたが、画は全部、撮影現場で決めていったんですか。

原 必要に迫られてコンテを描いたシーンも、一部ありましたけどね。そんなに多くはないです。

── 基本的には、まず俳優さんに通しで芝居をしてもらってから、アングルを決めていく?

原 最初はその基本的な段取りすら、よく分かってなかったんです。クランクインが近づくにつれて、ずっと思ってたんですけどね。「そういえば、カット割りどうするんだろう?」って。

── (笑)。

原 そんな感じで撮影初日を迎えて、役者さんにセットに入ってもらって、段取りをやってから一旦ハケてもらって。そのときに初めて、スタッフから「カット割りどうしますか?」と訊かれて。え~、マジか!? と思いましたよ(笑)。

── その前のホン読みとかで、ある程度はイメージできてたりしなかったんですか。

原 いや、別に。

── じゃあ、撮影当日まで手ぶら状態で?

原 うん。今回はなるべく、そういうつもりでいきました。アニメの経験とか方法論みたいなものを、無理に持ち込むつもりはなかったし。だって、今回ほぼ全員が初対面でしたからね。そこへ行って「いや、アニメはこうだから」なんてことは言いたくなかったし、現場の人たちの中に溶け込もうと思っていたので。

── 現場のプロに任せるところは任せようと。

原 画作りに関しては、本当にカメラマンの池内(義浩)さんのおかげですよ。ぼくが「ええ~、カット割りなんて急に言われても」となっていたら、池内さんが「じゃあ、こうやって撮りますか」と提案してくれて。役者さんが段取りをするとき、池内さんはよく動くんですよね。1回見ただけで、瞬時にアングルやカット割りが思い浮かぶんだと思います。あれはやっぱり、ずっと現場でやっていないとできないことですよね。それで、いつも僕に「これでどうですか?」と確認してくれるんだけど、その場で言われても、なかなか頭に画が浮かばなくて。

── 構図とか、つながりとかの予想図が。

原 そうそう。だけど、その場で「ちょっと待ってください、今考えますから!」なんてことは言えませんから。はい、分かりました、そうしましょう、と。そんな調子でずっとやっていたわけです。ところが、それを編集室でつないでみたら、ちゃんと映画になってるんだよね。すげーな! と思ったんですよ。だから今、アニメでチマチマ絵コンテを描く作業がバカバカしく思えてきちゃってね(笑)。

── いえいえ。原さんのほうから、アングルなどについて池内さんに注文することは?

原 いくつかありましたけど、本当にちょっとだけです。例えば、宮﨑あおいさんが登場する「二十四の瞳」を連想させるような場面は、もう最初から望遠レンズで撮りたいとは言っていました。脚本上でも「惠介が離れたところから見ている」という位置関係だったので、望遠のイメージはあったと思うんですけど。

── あそこの望遠使いはキマッてましたね。

原 ただ、あの役が宮﨑さんに決まったのは、だいぶ後なんです。せっかく宮﨑さんが出てくれるのに、望遠だけでいいのかな? と思いましたよ(笑)。

── でも、最後まで寄りませんでしたよね。素晴らしいショットだったと思います。

原 うん、贅沢だなあと思いました。あそこは場所もよかったんですよね。土手の奥に山並みがあって、奥行き感があって。いい具合に背景がボケるじゃないですか。そこに、鳶が滑空している姿が映ったりしてる。あんなのも狙いじゃなくて偶然ですから。実写ならではですよね。

── 今回、スタッフに課題として木下惠介作品を観てもらったりはしたんですか。

原 いや、それは別にしませんでした。でも、皆さん自主的に観てくれてたんじゃないですかね。木下作品は印象的な横移動が多いので、そこは意識してもらいたい、という話は池内さんにしましたけど。

── 画のチェックは現場で丹念にされたんですか。

原 いや、今回はモニターもあんまり見てなかったんですよ。それは前もって池内さんにも言われていて。「現場でモニターばっかり見ている監督もいるけど、できたらキャメラの傍にいて、役者の近くにいたほうがいいですよ」と。

── なるほど。

原 カメラにも小さなモニターがついていたので、それをチラチラ見てはいたんだけど、昼日中の屋外でモニターを見たところで、できあがりの画なんて全然分からないんですよね(笑)。だけど撮影の途中で、それまで撮り終えたぶんのラッシュを観る機会があって。それが凄くいい感じだった。そこからはもう、なおさらスタッフに任せようと思いました。

── クライマックスの惠介と母親の対話シーンの長回しなんかも、原さんがきっちりプランニングしたわけじゃないんですか。

原 違います。ただ、池内さんから「割りますか?」と訊かれて、僕としては割るイメージがなかったので「ここは回しっぱなしですかねえ」と答えたら、そうしましょうということになって。完成品では途中に回想シーンが入りますけど、現場では本当に1カットで撮ってますから。

── あそこも忘れがたい場面でした。

原 いやあ、現場は凄い緊張感でしたよ。あれもアニメじゃ味わえないですね。

●『はじまりのみち』公式サイト
http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/hajimarinomichi/