COLUMN

第768回 初盆で帰省と……

今さらですが8月12・13日と、
父親の初盆で名古屋に帰省していました!

この歳になると、実家に帰ることが人生を見直す(振り返る)切っ掛けになるものですね。子供時代を過ごしたアパートもとっくに取り壊され、父親も亡くなり、友達もあちこちに散って、

自分はここに18歳まで住んでたんだよなぁ~!

と感慨深いものです。今考えれば名古屋での18年なんて実に短い時間で、一瞬で駆け抜けたかのように思えるほど、自分なりに“一所懸命”でした。そこを起点に、自分に取って好きなモノ作り——“アニメ”を仕事にするために東京に出て来て、年に1回帰れるかどうか~くらいのペースでしか帰省できずに、今日まで30年間一心不乱に足掻いてきました。その間、鉛筆からペンタブに道具が変わっても、ほぼ毎日手を動かし何かを作り続けてこられたことは、それだけで幸運なことなのです。現状の幸せに導いてくださった両親・姉妹だけでなく、友達や先生他、自分に関わってくれた全ての方々を振り返り、深く深く感謝する機会——それが、帰省です。
そして、板垣はこのまま“アニメ中心のモノ作り”に足搔き続けて死んで行くのだと思いますし、その覚悟はできています。ま、大した作品は残せないかも知れませんが、願わくば

最終的に「アニメやって面白かった!」と思って死にたい!

カッコつけでも何でもなく、結構本気で思ってます、今のとこ。さて、自分が死ぬまでに後何回名古屋に帰れるのか?
 あ、でもかなり前、第何回か憶えていないくらい前に話題にしましたが、板垣は生まれた場所は“山形”であるらしく(山形県出身の両親談)、小学6年生までは、毎年夏か冬の長期休みに10〜20日、多い時は30日近くの間両親の実家に遊びに行くのが通例でした。そのため、山形は“もう一つの故郷”感があるんです。『Wake Up,Girls! 新章』の取材で仙台までは複数回足を運んだにも拘らず、山形に立ち寄る時間がどうしても取れず残念でした。
 ところが去年年末、父親の通夜~葬儀の際、山形から従兄と叔父がやって来て「今度、遊びさ来~」と言われ、また山形行きたい! 熱が高まっている自分がいます。

現在制作中のシリーズが終わったら、
今度は“山形に帰ろう”と思っています!