COLUMN

第751回 やっぱり、藤子先生!

 まだ、藤子不二雄(A)先生の話、というかまた“藤子不二雄”先生の話。
 今さらですが、えびはら武司先生の著書「藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道」(竹書房刊)が面白いです! えびはら先生は元・藤子スタジオのアシスタント(独立後、代表作は『まいっちんぐマチコ先生』)で、主に藤子・F・不二雄(藤本弘)先生のアシスタントを務めていたとのこと。でも、たまに藤子(A)先生のお手伝いもしていて、魔太郎(『魔太郎がくる!!』)のシャツの“バラ模様”と『ドラえもん』のめんくいカメラの模様が一緒の描き方であるとか、(A)先生自らがアシスタント達に向けて「マンガ教室を開く」と豪語(?)しておきながら時間になっても現れず、結局無口なF先生が代打で必死にマンガ教室をやった話、さらに両先生と行く藤子スタジオの社員旅行等々——“2人で1人の藤子不二雄”だった頃の貴重なエピソード満載で、我々が憧れたコンビの藤子不二雄像がそこにあります。そこで、えびはら先生が“両先生の作品が区別されず一緒くたに藤子不二雄である”ことをF先生に尋ねたところ、F先生は「いいんだよ、藤子不二雄は“2人のチーム名”なんだから」と。これもまた良い話!
 藤子不二雄(A)、藤子・F・不二雄共著「二人で少年漫画ばかり描いてきた」という本も非常に良い本です。1977年版は“藤子不二雄”名義で毎日新聞社刊、2010年版は(A)、F共著名義で日本図書センター刊。(A)先生がメインで全体を執筆し、各章の冒頭に“藤本弘からひと言”としてF先生の中書きが挿入されているスタイルの本です。その第一章冒頭にF先生は「僕は寡黙で、安孫子((A)先生)はサービス精神旺盛な社交的性格」「中書きと本文の字数比は、普段の口数の比に等しい」と書いています。役割分担がしっかりできている、正に“名コンビ”。おそらく、自分らと同年代の藤子ファンの男子って、それぞれの作品の面白さも然ることながら、小学生の頃から一緒に作品を描き続けておられた、その将来を共にできる永遠の友人関係自体にも憧れていたのではないでしょうか? 少なくとも板垣はそうです。だって、小学5年生になったら一緒にマンガを描いて東京に行く“相方”が転校してくるハズだと本気で信じてましたから! ま、来なかったけど。
 F先生は生涯ほぼフィクションの世界(一部短編などでは実話的な作品も描いてはいますが)で勝負してきた天才だと思うのですが、(A)先生は『まんが道』のような半自伝的作品も多く、その他の著書にも『トキワ荘青春日記』や『PARマンの情熱的な日々』等の日記・コミックエッセイ的なノンフィクション(?)作品が多く、100%フィクションの作品も“ド現実”が舞台になってる作風で、そこも対照的な御二人でした。(A)先生は「ブラック・ユーモア短編」で、F先生は「異色SF短編」!

板垣は今でも両方大好きです!

 藤子不二雄(A)(安孫子素雄)先生、天国でまた藤子・F・不二雄(藤本弘)先生とコンビを組んでまた“藤子不二雄”再結成してください。ご冥福を心よりお祈りします。