COLUMN

第726回 職人魂と参加する理由

アニメーターだからといって、監督(演出)自身が何でも描いてちゃだめだよ!

 世が平成の頃、先輩の監督から頂いた非常に有難“かった”助言であり説法です。あと、新人に混じって「原画に参加したりはやめるべき~云々」とかも。色々先輩や同業種の方らのアドバイスは感謝して聞き入れるつもりはあるのですが、未だにそう仰る方々が存在するとしたら、それはアニメ業界の現状が見えていないと思うし、業界に限らず常日頃今の二十歳前後の若者とお喋りをする機会が非常に乏しい方々なのだと思います。
 自分は毎年何人も新人の面接をさせてもらえてて、且つその新入社員らの技術指導もしています。そんな事を10年続けているだけでも、10年前と今とで若い人たちの感性の変化が分かるもので、単純に言うとどんどん「優しく」なってきている気がします。その優しさというのは、その人の為を思って厳しく叱咤する昭和的優しさではなく、あくまでその人の“個”を尊重する優しさになってきている、と。例えば同期で一緒に入社した仲間で、その内一人が早期退職を決意したとしても、「もう少し頑張ろうよ!」などと説得を試みたり一緒に連鎖退社するような同期は周りにいません。むしろ「人それぞれですから」と送り出した上、彼らは仕事を続けつつ、退社した人ともLINEやらで連絡は取り続ける「優しさ」ですよね。
 子供時代を昭和で教育された我々からすると「脱落しそうな人を止めてあげるお節介こそが本当の優しさ!」と思いがちですが、早い話——

今は昔と違い、仕事以外に楽しみや生き甲斐がたくさんある!

んです。その中で「どうせ毎日8時間働かなきゃならないなら、なんとなく好きなアニメで~」という消去法的で打算的な考え方で業界の門を叩くのが当たり前。そして、それが「自分に向いていない」と判断した人を誰が非難できるのでしょうか?
 ある日の面談で新人とそれらの優しさについての話を聞いたところ、やはり小・中学生の頃の学校教育が「人それぞれの“個”を否定しないのが優しさ」だったのだそうです。
 つまり、二言目には「根性が足りん」だ「やる気がない」だと

一流の職人になりたかったらあらゆる叱咤や説教に耐え、黙って俺に付いてこい!

──的な昭和根性論指導は令和のアニメ業界では通用しないんです。だから、自分としては演出・コンテ・作画と率先してお手本を見せなきゃならないと思ってます。
 決して、現代の若者に臍曲げて辞めていかれないようにと、ご機嫌を伺って媚びへつらっているのではありません。時には必要だと思うのです——昭和の頃より様々に多様化したそれぞれの“個”に合った楽しみが数多くあり、「早く帰ってオンライン・ゲームで遊びたいなぁ~」と思ってる若手の目の前で、

ゲームも面白いかもしれないけど、俺が惚れ込んで20数年続けてるアニメもこんなに遊べるし、こんなに面白いんだよ!
と戯れて見せることが! それが出来るのがやはり職人だと思うし、特に何処かのインタビューで押井守監督が仰っていたとおり「アニメーターは自分より巧い奴の言うことしか聞かない」訳で、はっきり言って
誰かに何かを指導する上で、「論破」なんて今時全く意味がない!!

んですよ。演出指示も同様。ネットで調べりゃなんでも出てくるご時世、博識や学を武器に職人を説得して使いこなそうなんてのも、今時虫が良過ぎます。これ、アニメーターでない演出家・監督は覚悟しておいた方が良いと思います。あ、別に制作上がりの演出さんを否定しているのではありません。ただ、これから大変だろうな~と思っているだけです。
 でも23~4年前の友永和秀師匠は板垣の眼前で大盤振る舞いで、かりかりかりかりと原画を描く手本を見せて下さってましたけど、ただ、それ真似てるだけでした。