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佐藤順一の昔から今まで(12)『ユンカース・カム・ヒア』と『ワ~ォ!メルヘン王国』

小黒 佐藤さんは『セーラームーン』を24話で離れて『ユンカース・カム・ヒア』に参加するわけですね。

佐藤 はい、そうですね。

小黒 『ユンカース』の準備はかなり前からやってるんですね。

佐藤 正確には覚えてないですが、『きんぎょ注意報!』の頃から打ち合わせを始めてんじゃないかな。

小黒 『ユンカース』も佐藤さんの代表作ですね。原作の小説があり、それを映像化してほしいという話だったわけですね。

佐藤 そうですね。これも高梨(実)さんとの仕事です。

小黒 現場が東映じゃないのはどうしてなんですか。

佐藤 高梨さん的には、トライアングルスタッフでやりたいということを決めていたと思うんですね。

小黒 プロデューサーで『悪魔くん』の横山和夫さんの名前が入ってますが。

佐藤 横山さん、既に東映から角川に移られてたんですよ。

小黒 ああ、なるほど。クレジットだけだと「『悪魔くん』の横山プロデューサーと佐藤さんが再度組んだ」というふうにも見えますよね。

佐藤 確かにね(笑)。でも、全然そんな感じじゃない。スタジオに差し入れを持ってきてくれたことはあるけれど、頻繁に会っていたわけではないですしね。

小黒 佐藤さんは『ユンカース』のパイロットフィルムの演出もしてるんですか。

佐藤 してます。コンテもやっています。元々、大平(晋也)さんにキャラデから作監まで全部やってもらうつもりで、そのプロトタイプを作ろうとしたパイロットですね。

小黒 『きんぎょ注意報!』か『セーラームーン』の制作中に、パイロットを作られていたんですか。

佐藤 その可能性はありますね。確かにパイロットの頃、自分はスタジオにベッタリと入り浸ってはいなかったですよね。いつ行っても大平さんは何か作業してましたね。トライアングルスタッフが荻窪に『ユンカース』のための部屋を借りていて、そこで大平さんと沢山話をした記憶があります。だから、スタジオ内で普通の演出と作画監督として作業をやっていたと思いますね。

小黒 『ユンカース』のパイロットフィルムは日本の作画史のターニングポイントのひとつと言われています。あそこまでキャラクターの生々しさや臨場感のある映像になったのは、佐藤さんの意図でもあるんですか。

佐藤 自分の意図もありましたけど、やっぱ大平さんの目指すものがそっちでしたよね。僕や小松原(一男)さんは、例えば、大平さんから上がってきたひろみのデザインに面食らったんです。アニメは正面、横、斜め、下のどこから見ても同じに見えないといけない、と我々は思ってるんですけど、大平さんが描いてきたものって「(角度によって)違って見えてもいい」っていうデザインなんですよね。「だってそうだもん」っていう世界なので、これはどうすればいいのかなと困ったということはありましたよね(笑)。パイロットに関しては、そのキャラクターでダーッと行きましたけど、「これについて来れるアニメーターがどれぐらいいるのか」ということと、制作スピード的にも「大平さんのこの画で100分やるのはきついんじゃないかなあ」という話になって、小松原さん登場となるような感じでしたね。

小黒 大平さんを選んだのは、トライアングルスタッフの浅利(義美)さんですか。

佐藤 あそこのスタッフは、プロデューサーも含めて顔が広くて、巧い人を沢山知ってますからね(笑)。浅利さんか大橋(浩一郎)君のどっちかだったかな。

小黒 『ユンカース』の作画監督は小松原さんになったけれども、当初目論んでいた、尖った方々もある程度残った布陣になったと認識してよろしいでしょうか。

佐藤 そうですね。初めて会うような凄い人達がぞろぞろいて、勉強になるやら緊張するやらで。

小黒 緊張したんですか(笑)。

佐藤 いや、よほどのことがないと緊張はしないか(笑)。「みんな、巧いなあ」と思ってました。業界には色々な人がいて、「ロボットを描きたい」「アクションをやりたい」といった人もいるけど、「手間の掛かる日常を描きたい」という人達が集まった印象でしたね。

小黒 佐藤さん自身は、どういうスタンスだったんですか。

佐藤 どの作品かは忘れましたが、当時、現実のリアルなお芝居をアニメの中で再現することを目指す人をよく見かけるなと思っていたんです。「画的なもののリアルと、お芝居のリアルって違うよね」と思う一方で、「ロトスコープをやればリアルに近づけるんじゃないか」という意見も聞くことがあったんだけど、ロトスコープみたいなことをやってもアニメにならないだろうと。本当にリアルかどうかじゃなくて、アニメの中の本当らしさが大事で、そこの着地を目指さないと日常感というものは出てこないんじゃないかな、と思っていた。それを『ユンカース』の中でやっていこうかな、ぐらいのアプローチだったんですかね(笑)。日常的な芝居が展開されてるんだけど、じゃあ、それがリアルを引き写したものかというとそうではない。「どこかマンガっぽいんだけど、ちゃんとリアルを感じるね」というところを目標にして作るアプローチかな。

小黒 佐藤さんがそれまで作ってきたものを含め、その後に作っていったものの中でも、芝居とかレイアウトに関して逃げないというか、一番手間の掛かる方法を採っている作品ですよね。

佐藤 そうですね。

小黒 それは「一回やれるとこまでやろう」という思いが佐藤さんの中にあったのか、それとも企画の要請によるものなんでしょうか。

佐藤 いや、これは折角の機会なので、自分でもやれることはやってこうっていう気持ちがありましたよね。だから、原画チェックの時も、ポーズとかをちょい直ししたりすることが凄く多かった気がします。

小黒 なるほど。

佐藤 コップの持ち方も、普通に持たれちゃってる画が来ると「人によってこう持ったり、ああ持ったりと、色々違うよね」と思いながら修正して(笑)、そんなことを日々やってた気がします。

小黒 制作期間はどのぐらいだったんですか。

佐藤 やっぱり結構掛かっていて、画だけでも予定から4、5ヶ月オーバーしてたんですね。そしてアフレコからダビングまで、ちょっと時間が空いちゃってたりもして、トータルで凄く時間の掛かった作品でしたよね。

小黒 佐藤さんは『セーラームーンS』で東映に戻ってくるわけですけど、その時点ではまだ『ユンカース』は完成してない?

佐藤 完成してないですね。多分、お父さんの声だけが決まってない状態でアフレコが終了していたんじゃないかな。最終的に(原作者の)木根(尚登)さんがやることになるんですけどね。その時点では、公開規模やどこでやるかも決まってなかったんですよね。言うたらおケツが見えない状態だった。「そんなに慌てて作らなくてもいいから、ちゃんと画を完成しましょうよ」ということで画を完成させて、次に「音楽はどうしますか」とか、ゆるゆると進んでいって。流石にちょっとここで完成しなきゃまずいという時に、やっとダビングが進行したと思います。そんな状況だから他の仕事が被っていて、最終ダビングの日、行けなかったんですよね。音響監督は斯波(重治)さんがやってくれてるのでお願いして。仕上がったものは全然問題ないんですけど。

小黒 音響監督が別に立ってるということは、普段の東映の作品と違って、役者さんのお芝居を斯波さんにディレクションしてもらって、佐藤さんが「いいです」「こうしてください」と言うようなかたちなんですね。

佐藤 そうですね。斯波さんのディレクションの仕方を勉強させてもらうつもりで見てましたけど。外の音響さんの仕事を見る機会もなかったので、興味深く見させてもらいました。しかも、(ひろみ役の)押谷芽衣ちゃんは当時12歳ぐらいだったから「子供さんのディレクションを学ばせてもらおう」と思いながら見ていました。

小黒 思い出深いシーンはありますか。

佐藤 画的なことで言うと、やっぱり大橋さんにやってもらったクライマックスの背景動画。一歩でも『スノーマン』(劇場・1982年)に近づきたい、みたいな画作りですけど(笑)、大変なのが分かっていたので、そこだけ特別枠で制作を動かしましたね。大橋さんも凄く頑張って応えてくれたので、思い出に残ってますねえ。カット単位だと、田辺(修)さんの原画とかが、見た目はそんな細かそうじゃないんだけど、動くと凄く細かい印象があって、勉強になりつつも面白かったですね。

小黒 これもBlu-rayになってもらいたい作品ですね。

佐藤 そうですね。本当にたまに観たくなるんですけど、せめてどっかで配信してくんないかなあ。

小黒 この頃に『(世界名作童話シリーズ)ワ~ォ!メルヘン王国』(TV・1995年)という合作作品がTV放送されてるんですけど、いつ頃作ったものなんですか。

佐藤 覚えていないんですが、『セーラームーン』をやってる間かもしれないですね。これもプロデューサーが旗野(義文)さんなんですよね。

小黒 何分ぐらいのものなんですか。

佐藤 TVなので、20数分ですね。イタリアの放送局の枠なんですよ。イタリアの放送局でやるものを日本で作っていて。放送の基準が日本じゃなくってイタリアなんですね。海外なので、日本のロジックで作れないこともあって、それも勉強になりましたね。「おやゆび姫」をやって、確か最初に伊藤郁子さんにデザインしてもらったんです。我々の認識で言うと、おやゆび姫って3頭身ぐらいの可愛らしいちょこちょこしたキャラになるんですけど、そういうデザインを出したところ、イタリアからは「これは幼児である」とNGだったんです。

小黒 なるほど。

佐藤 最後に結婚する話だから「幼児が結婚することがコード的にありえないので、頭身を上げてくれ」と、おやゆび姫の頭身をちょっと上げるんですよね。本当に大人にしてしまうと、日本の基準では可愛さが欠けるので(笑)、ちょっと塩梅したぐらいになってますけど、「イタリアではそういう基準なのか」と、思ったりね。これもうちの奥さんが選曲やってます。育児休業中の頃だったかな。

小黒 『ユンカース』に話を戻しますけど、佐藤さんは『ユンカース』が初めての劇場長編ですよね。「今後も長編で行こう」とは思わなかったんでしょうか。

佐藤 はい。「やっぱりテレビが合ってるな」と思いましたからね(笑)。

小黒 「一度はちゃんとした長編を作りたい」っていう欲は達成されたんですか。

佐藤 元々、どうしても劇場やりたいという気持ちはそれほどなかったんですけど、いい機会をもらえて。劇場でやろうと思っていたことを、大体そこでやってみて「やっぱり大変だったなあ」って思いましたからね(苦笑)。

小黒 この当時の出来事で、覚えてることがあります。佐藤さんは『ユンカース』で巧いアニメーター達の仕事に触れて、「ああ、俺はまだまだ画力が足りなかった」と感じた。それで、作画の勉強をしたいと思って、幾原さんに「(演出話数で)原画を描かせてくれ。そして、自分の原画にリテイクを出してくれ」と頼んで断られるんですよ(笑)。

佐藤 ああ、確かにあったかも(笑)。実際の画面を見て「あんなに手を入れたけども、あんまりいいとも言えないな」ということを実感したんです。

小黒 もっと画力があれば、もっと手を入れられたのに、と思われたんですね。

佐藤 そうなんですよ。


●佐藤順一の昔から今まで(13)『セーラームーンS』と『マクロス7』 に続く


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