COLUMN

第159回 江戸の女流アーティスト 〜百日紅—Miss HOKUSAI—〜

 腹巻猫です。6月7日に公開された劇場アニメ『海獣の子供』を観ました。原作の描線の味を再現した映像が圧巻。久石譲のストイックな音楽もいい。劇場の大画面と音響で体験してほしい作品です。今年の劇場アニメは豊作の予感がします。


 今回取り上げるのは2015年5月に公開された劇場アニメ『百日紅—Miss HOKUSAI—』。杉浦日向子の原作マンガを『クレヨンしんちゃん』『河童のクゥと夏休み』などの原恵一監督が映像化した。江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の娘で、父を助けながら自身も絵師として活躍したお栄(葛飾応為)を主人公にした作品である。アニメーション制作はProduction I.Gが担当している。
 音楽を手がけたのは、近年活躍目覚ましい女性作曲家・富貴晴美(ふうきはるみ)。
 国立音楽大学作曲専攻を首席で卒業後、数々の劇場作品、ドラマで活躍。劇場作品「わが母の記」(2012)で日本アカデミー賞優秀音楽賞を最年少で受賞した。NHK大河ドラマ「西郷どん」(2018)を手がけた際にはテレビ番組やイベントにもたびたび出演して広く知られるようになった。代表作に朝の連続テレビ小説「マッサン」(2014)、TVドラマ「ハゲタカ」(2018)、劇場「日本のいちばん長い日」(2015)、「関ヶ原」(2017)などがある。
 TVなどで見せる素顔はおっとりとしているが、見かけによらない(失礼)情熱と気骨の持ち主で、テーマのくっきりした線の太い音楽を書く作曲家だ。映像に必要な音楽を的確にとらえ、大編成オーケストラの壮大な曲から繊細なピアノソロの曲まで自在に書き分ける技量が多くの監督から信頼されている。

 原恵一監督も富貴晴美ファンを自認する1人である。2人の出逢いは実写劇場作品「はじまりのみち」。富貴の提供した音楽に関心した原恵一がラブコールを送って実現した作品が『百日紅—Miss HOKUSAI〜』だった。原恵一監督の最新作『バースデー ワンダーランド』も富貴晴美が音楽を担当している。
 『百日紅—Miss HOKUSAI—』は富貴晴美が初めて手がけたアニメ作品である。
 しかし、音楽的にはいわくのある作品だ。富貴晴美はメインテーマといくつかの曲を書いたところで体調を崩してダウン。同じ事務所の作曲家・辻陽があとを引き取って音楽を仕上げた。クレジットでは2人の名が並ぶ共作作品となっている。TVドラマ「トリック」やアニメ『あずきちゃん』『ダンタリアンの書架』などの音楽を手がけた辻陽も個性豊かな楽曲を書くすばらしい作曲家だ。いずれ代表作を取り上げたいと思うが、今回は富貴晴美をメインに話を進めよう。
 サウンドトラック・アルバムは2015年6月に配信アルバムとCDで発売。配信版はユニバーサルミュージックから、CDはインスパイア・ホールディングスから発売されている。
 収録曲は以下のとおり。

  1. 百日紅 ~Miss HOKUSAI~
  2. 江戸の風
  3. 龍図1
  4. 善次郎萎む
  5. 龍図2
  6. 絵師の朝
  7. My Sister
  8. Ukiyoe artist & Daughter
  9. 吉原行脚
  10. 両腕の幻影
  11. 結界
  12. 見返り柳ブルース
  13. 火事は江戸の華
  14. Camellia Japonica
  15. お猶と童子
  16. 雪に甦る記憶
  17. 姉の背中で
  18. 地獄絵の祟り
  19. 悪霊祓い
  20. 礼拝の絵筆
  21. Fell in love with you in Edo
  22. 信じる者も救われない
  23. 後光の阿弥陀如来
  24. 大江戸漫遊記
  25. 黄昏の橋
  26. 再会への小径
  27. Last Smile
  28. 切ない定め
  29. 予感は激情へ変わる
  30. 別離の空
  31. お猶に捧ぐ
  32. 百日紅 〜Miss HOKUSAI〜 Reprise

 全32曲。その中で富貴晴美が書いた曲は7曲。トラック番号でいえば、1、7、8、14、21、27、32。英語のタイトルまたは副題がついている曲が富貴晴美の曲だ。曲数は少ないが、重要な曲ばかりである。
 冒頭に流れるメインテーマ「百日紅 〜Miss HOKUSAI〜」は主人公・お栄のテーマでもある。エレキギターが唸るバンド編成のロックで書かれていることに意表を突かれる。
 しかし、原作者・杉浦日向子が好きだった音楽の中にはキング・クリムゾンもあったと聞けば意外ではない。江戸時代に女性絵師として活躍したお栄。その自立した女性像をロック・サウンドで表現したのだ。このテーマ曲を決めるまでに1ヶ月近くデモテープのやり取りがあったという。ギター演奏は、ZARD、大黒摩季らのレコーディングに参加しているギタリスト・葉山たけしが担当している。
 トラック7「My Sister」はお栄と目の不自由な妹・お猶(なお)との姉妹愛を描く曲。お栄がお猶を連れて日本橋に出かける場面に流れている。ピアノと弦が奏でる美しいメロディから、一見ぶっきらぼうなお栄が妹に注ぐ温かい想いが伝わってくる。このメロディはのちに登場する曲でも反復される。
 トラック8「Ukiyoe artist & Daughter」は橋の上でお栄と絵師・初五郎が語らう場面に流れる曲。ストリングスとフルート、コールアングレなどが奏でるほのかに甘い旋律が、お栄の初五郎への秘めた想いを表現する。いわば本作の愛のテーマである。曲はお栄とお猶が船に乗って川を行く場面まで途切れることなく流れ続ける。演奏時間3分余り。聴きごたえのある1曲だ。
 トラック14「Camellia Japonica」は「My Sister」の変奏。お栄とお猶が雪景色の江戸を歩く場面に使用された。曲の構成は同じだが、情景に合わせて、より繊細な演奏になっている。
 トラック21「Fell in love with you in Edo」はお栄の恋心を描写する曲。「Ukiyoe artist & Daughter」の変奏である。たゆたうようなストリングスの上で奏でられる木管のメロディが胸にしみる。雨の降る中、お栄と初五郎がひとつの傘に入って通りを歩く場面に付けられる予定だったようだが、実際にはその場面に音楽は流れない。演出上の判断で音楽は付けないことになったのだろう。幻となった曲である。
 トラック27「Last Smile」も「My Sister」の変奏曲のひとつ。お栄が北斎が描いた魔除けの絵の詳細をお猶に説明する場面に使われた。情感のこもった演奏で、お猶を気遣うお栄の気持ちが表現される。曲は感情のほとばしりを抑えて静かに盛り上がる。それゆえ、かえってお栄の切ない心情が際立つ。
 そして、アルバムを締めくくるのはメインテーマ「百日紅 〜Miss HOKUSAI〜」のReprise。お栄のモノローグが登場人物のその後を語るラストシーン(エンドクレジットの直前)に流れる曲だ。トラック1の同名曲よりも長いバージョンで収録されている。
 ピンチヒッターとなった辻陽の楽曲はオーケストラ楽器にギター、パーカッション、尺八などを加えた編成。こちらは江戸の情景を描写する音楽やドラマの進行に沿った音楽、サスペンス描写音楽などに技が光る。尺八をフィーチャーしたメインタイトルの曲「江戸の風」、花魁・小夜衣の身に起こる怪異を描く「決壊」、ギターが奏でる「見返り柳ブルース」「お猶と童子」、鬼気迫る「地獄絵の祟り」などが聴きものだ。比率としては辻陽楽曲のほうが多いので、本作の空気を作り上げているのは辻陽の音楽と言って差し支えないだろう。
 しかしながら、作品の核となるお栄のキャラクターを表現する楽曲は富貴晴美が担当している。原監督としても、そこは富貴晴美の音楽で行きたかったところなのだろう。作品のテーマを担っているのは富貴晴美の音楽なのだ。特にメインテーマには、江戸時代をたくましくたおやかに生きた女性絵師・お栄への、同じ女流アーティストとしての共感が込められているのではないかと感じる。辻陽の音楽もすばらしいが、もし、富貴晴美が全曲を担当していたら、どんな音楽になっていたか——。そんな想像をしてみたくなる作品である。

 本作のあと、富貴晴美はTVアニメ『ピアノの森』『ツルネ —風舞高校弓道部—』の音楽を担当。瑞々しい音楽で映像を彩った。
 そして、今春公開された原恵一監督の劇場アニメ『バースデー ワンダーランド』では、『百日紅—Miss HOKUSAI—』で果たせなかったことが実現した。富貴晴美が全編の音楽を担当したのだ。ファンタジー作品らしいスケール豊かな音楽が聴ける力作である。
 実はけっこうアニメ好きだという富貴晴美。もっともっとアニメ音楽を書いてほしいと筆者は願っている。

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