COLUMN

アニメ様の『タイトル未定』
208 アニメ様日記 2019年5月19日(日)

2019年5月19日(日)
早朝に新文芸坐に。オールナイト「新文芸坐×アニメスタイル セレクションvol.115 スクリーンで観る『ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』」の最後を見届ける。前回もそうだったけど、ロボが大怪球に迫るあたりから観た。昼間は事務所の片づけ、事務作業、取材の予習の準備、今後の仕事のプランづくり等。作業をしながら録画で「出没!アド街ック天国」の噂の飯能の回(5月4日放映)を観る。蔵カフェの店主として、元動画工房社長の石黒育さんが登場。知っていても、ちょっと驚く。番組中で『一休さん』のイラストを描き下ろしていた。15時からポケGOでアチャモをとり続ける。夕方から近所の居酒屋でワイフと晩飯。早めに就寝。

2019年5月20日(月)
事務所で片づけと取材の予習など、そして、打ち合わせ。昼はランチ難民になった。確認することがあって『鉄コン筋クリート』DVD BOXの映像特典を観て、メイキングムービーの映像縦横比率が4:3でちょっと驚く。

2019年5月21日(火)
雨天で散歩はお休み。事務所にこもっていたけど、散歩をしない分だけ仕事が進むかというと、そんなことはなかった。夕方から打ち合わせで、あるプロダクションに。今年の春まで学生としてアニメスタイルでバイトをしていて、今はそのプロダクションで働いている女子が、これから打ち合わせをするアニメーターさんと一緒に(正確には、先に着いていたアニメスタイルのスタッフと一緒に)ニコニコしながら僕を出迎えてくれた。元気に仕事をしているようでなにより。

2019年5月22日(水)
ATOKが更新されて「きょう」で「令和元年5月22日(水)」が変換できるようになった。よかったよかった。午前3時くらいからウォーキング(この後も暗いうちからのウォーキングを続ける)。デスクワークをはさんで、午前中はある用事で有楽町に。そのついでに日比谷公園でポケGO。午後は取材の予習と打ち合わせ。夕方から「この人に話を聞きたい」の取材。

2019年5月23日(木)
吉野家のライザップ牛サラダを食べてみた。美味しかった。問題は腹持ちだ。ゴールデンウィーク前に終わらせるつもりだった事務作業がようやく終わった。事務所の片づけはこれからだ。シド・ミード展に行く。新鮮な驚きのあるよい展示だった。その後、吉松さんと合流して打ち合わせ。

2019年5月24日(金)
10時40分から、新宿バルト9でワイフと『プロメア』を観る。試写でも観ているので二度目の鑑賞だ。昼飯を食べた後、事務所に戻ってデスクワーク。夜は『ヴィナス戦記』のイベント上映に行くつもりだったが、片づけなくてはいけない用事がいくつも発生して諦める。

2019年5月25日(土)
この土日はのんびりモードの予定。暗いうちから散歩。その後は池袋マルイの「画業50周年記念 弓月光原画展」をチラリとのぞいた以外はのんびりとデスクワーク。
「宝島 COMPLETE DVD BOOK」vol.1のディスクを全部観た。最初の数話でビリー・ボーンズに感情移入してしまった。これは自分でもびっくり。5話ラストのジムの旅立ちも、以前は旅立つジムに気持ちを重ねていたけど、今は見送るお母さんや、リリーのおじいさんに感情移入してしまう。6話「敵か味方かジョン・シルバー」で、シルバーが初対面のジムを未成年者だと思わずに酒を呑ませてしまう展開がある。脚本で確認はしていないけど、これは脚本通りなのではないか。脚本はジムをもっとスラリとした若者としてイメージしていたのではないかと。
7話「肉焼きおやじはニクい奴」。カジキマグロを捕ろうするシルバーとジム。その最中にシルバーはハバナの居酒屋で黒人の大男と腕相撲をした話をはじめる。「馬鹿言っちゃいけない。男の勝負に引き分けなんかあってたまるかい」。突然、昔話を始めるのも、セリフも猛烈に巧い。『宝島』8話「幽霊船がオレを呼ぶ!」。シルバーの「主人公感」が素晴らしい。ラストでジムが「シルバー、俺、俺、ちょっとだけだけど、疑って悪かったと思っている。うん」と言うのだが、後の展開とシルバーの心中を思うと、かなり複雑。
『宝島』9話「奴隷みなとの人さらい」。シルバーは(港で撃たれて傷ついた身体で)火薬とバターを使った奇策を発案・実行し、味方に負傷者を一人も出さずに海賊を撃退。視聴者の目にもシルバーが只者ではないことが明らかに。それが10話「リンゴ樽の中で聞いた!」に繋がることになるのだが、「宝島 COMPLETE DVD BOOK」vol.1の収録はここまで。『宝島』と劇場版『銀河鉄道999』に共通するのは「旅」と「ロマン」。そして「理想的な大人(そのメインとなるのはどちらも海賊)と少年の関係」。さらに言えば「少年」に対する大人と、物語の語り手の「優しい目線」なのだろう。