COLUMN

第613回 アニメ監督の仕事、令和元年(3)

 前回と第609回で「監督は本来、画を描かないで描かせるもの云々」という、何十年もの間アニメ業界で先達らが伝え(広め?)てきた言葉がなんの根拠もなく、もしかするとアニメーター出身監督の出現を1人でも多く潰したいとお考えの、画が描けない監督(演出家)らによる詭弁に過ぎない(かもしれない)、ということがご理解いただけたかと思います。そして、

アニメ監督が「監督としてやらなければ(できなければ)ならない仕事」は時代の空気にあわせて年々変わる!

ことも。念のために言っておきますが「画を描かない(描けない)かたが監督をやってはいけない」とは思ってはいません、自分は。ただ「僕、監督! 君アニメーターなんだから、僕の思ったとおりに描くべきだよね! だって僕が監督なんだからさ! これ当たり前のルールだよね!」で守られる監督の立ち場はもうないと言いたいだけ。なぜなら週何十本しかアニメがなかった時代なら、制作現場もその数しかなく、さらにカメラと撮影台すら数に限りがあるわけで、その頃アニメーターになった人なら、自分じゃ画が描けない監督の言うことでも聞いたでしょう。他にパラパラマンガを作品にする手立てがなかったのですから。ところが今は、アニメの本数も制作現場も何倍もあり、そればかりか極端な話、PCがあればアニメーターなら誰でもアニメが作れます! アニメーター側からすると、何が悲しくて自分より画が下手な人の言うことを聞かなきゃならないのでしょうか? と言いたいだけ。この際だからハッキリ言います。

アニメーターは自分より巧い人の言うことしか聞きません!

 だからこそ、ウチの制作上がりの演出に

作画以外で取り柄を見つけなさい! その上で、できたら少しでも画を描こうとしなさい! いつまでも画を描くのを人任せにできると思わないこと! システムやルールなど5〜10年サイクルで必ず変わる! その空気も読めない人は演出だ監督だと肩書きをもらっても、結局淘汰される! そこで努力をしない人に、仕事も人間関係も会社も永遠などあり得ない!

と言ってるんです。