COLUMN

第582回 やはり神聖な仕事

『ユリシーズ ジャンヌ・ダルクと錬金の騎士』
いよいよ放映開始しました!

 モンモランシやジャンヌがどんな感じで動くのか、これから楽しみです。監督って作監修正まで入った原画、つまり動画仕上げ出し前の素材を全部確認できるわけではないので、上がったラッシュで初めて見る画が以外に多いんです。もちろんレイアウト・ラフ原はチェックしますが、そこで監督ができるのは各話演出さんや作監さんに「ここは○○に目線を送ってください」とか「カゲつけ逆光でお願いします」などの指示書きをするくらいです。自分みたいなアニメーター監督は、原図を直したりアクションを全修したりしますが、できてもそこまで。ちなみに制作サイドから見ると、板垣の修正は他よりやや多めらしいです。ま、なんにせよ作監修正済み原画まで確認することはスケジュール的に無理。となるとラッシュ初見で「この画、凄ぇ!」と作監さんに感謝したり、「え!? この画大丈夫(汗)?」と困ったり一喜一憂することになります。そりゃすべてが気に入った画で上がった作品なんてこれまで一度もありません。ただ自分も作監をやったことがあるので、その仕事の大変さは分ってしまい、「……ま、このカットは目をつむりましょう」となることも多かったり。でも20数年アニメの仕事をしてて未だに変わらない感覚があります。それは

アニメーションは神聖だ!

ということ。初動画の『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』や『耳をすませば』(当時、テレコムでは2作交互にやってました)の時から変わりません。制作スタッフの試写会で観た動くルパンや雫。自分の描いた動画に色がついて動いてしゃべって。架空のキャラクターが今そこに生まれた(創造された)瞬間を「神聖なこと」だと感じ、監督をやらせてもらえるようになった今でも、それが続いています。もちろん「映画は監督のモノ」という考え方はあるでしょうし、それを否定する気はさらさらありません。ただ俺はやっぱりアニメーションという表現そのものが好きでやってて、

幾人ものスタッフによって人物が作られ、時間が生まれ、世界が作られるアニメーションという神聖な表現をこれからも続けていきたい!

と思ってるのです。
 だから、今回の『ユリシーズ』もラッシュを観る度に一喜一憂。年内ドキドキが続くことでしょう。

 で、とりあえずは第1話に話を少々。残念なことに第1話はどうしてもジャンヌが登場しない話数になってしまいました。金月龍之介さんや委員会の皆さんとも話し合った結果、現行のかたちに。最初からジャンヌを出して子ども編を回想にする構成なども考えたのですが、そうすると子ども編にジャンヌは絡めないので、ジャンヌが不在の話が結局できる。それと子どもの頃の仲良し同士の「誓い」が原作者・春日みかげ先生のやりたかった件だと聞いてましたから。だとすると、やはりその誓いはジャンヌと出逢う前のモンモランシ、ジャンヌが知らないモンモランシから始めなければならん! と。「じゃあ」と自分が提案したのは「第1話はオープニングを最後に流せば? そうすりゃジャンヌ出せますよ」でした。
 あ、またOPコンテムービーをUPする許可を得たので、近々お観せできるかと。てとこで。