COLUMN

第550回 自分にとっての自由とは


 3歳の時、虫歯で入院した際、近所のオバさんからお見舞いでいただいた積み木、結構好きで、幼い自分が遊び倒したオモチャです。ただ今思うと、現在の自分の仕事に通ずるところがあり、それは

適度な自由

がかえって面白いということ。欲しい物をなんでも買い与えてくれる裕福な家庭ではなかったため、幼少期の頃は、欲しくても買えないものはなんでも絵に描いていました。白紙の上ではたいていのことが自由ですから。でも積み木は作れるものがかなり限られるかわりに、三角形が屋根にもなれば山にもなります。とにかく想像力を加味しまくらないと作ってる本人すら面白くもなんともありませんから。そんな「限定された自由」である積み木が好きだったんです。たぶん俺にとっての自由ってその程度。昔から先輩方から「板垣は自由だなー」と言われてました。会社の社員として拘束された原画マンだった自分が自由? まぁ、いま考えると少なくとも「不自由」は感じていなかったでしょう。
 よく巷で言われる「何からも束縛されない云々な自由」程度を板垣は必要としません。アニメの仕事でも何も縛られず好きに作れるオリジナルが素晴らしいというのは分かりますが。俺個人は大半が原作という「縛り」のある出崎統監督作品にこそ魅力を感じるのです! だって出崎アニメってどれも自由に見えるでしょ? つまり

「本当の自由」とはなんの束縛も受けず、何をやっても誰からも叱られない状態などではなく、どのような状況下でも「不自由を感じず前向きになれる精神状態」を言うのだ!

と。たぶん子供の頃からそう思ってました。
 そもそもアニメ作りって不自由は常につきまとうもんでしょう? アニメーターの人数も制作費もスケジュールも。さらに画作りも平面の看板(セルと背景)を引っ張って立体的に見せたりと、何から何まで制限(不自由)がいっぱい。

結局、自由を求めすぎるとアニメは作れない!

んですよ。