腹巻猫です。3月23日に渋谷オーチャードホールで開催されたコンサート「シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽」に足を運びました。タイトルについた「対」は伊達ではない。両作品の音楽ががっちりとぶつかり、渾然となったすばらしいコンサートでした。4月30日にNHK BSプレミアムで放送されるそうなので、当日会場に行けなかった方もお楽しみに!
「シン・ゴジラ」と『エヴァンゲリオン』シリーズの音楽を手がけたのは鷺巣詩郎。コンサートで生の演奏を聴いて、あらためて音作りのセンスのよさと曲のクオリティに唸ってしまった。オーケストラを使ったシンフォニックな音も、エレキギター、エレキベース、ドラムス等のリズムセクションを入れたポップス的な音も、緻密で芳醇、自由でいて上品。サウンドトラックの演奏という枠組みを超えて、音を浴びる幸福感を存分に味わえたコンサートだった。
鷺巣詩郎を映像音楽の作曲家と言ってしまっては語弊があるだろう。アニメファンにとっては何をおいても『エヴァンゲリオン』の作曲家であるのはたしかだが、そのキャリアは日本のポップスシーンに燦然と輝く刻印を残している。『宇宙戦艦ヤマト』の宮川泰のように、手がけた映像作品が大ヒットしたためにそれが代表作のようになってしまったが、本来はジャンルを超えて上質のポピュラー音楽を作り出してきた作家なのである
鷺巣詩郎は1957年生まれ。父親はマンガ家のうしおそうじこと鷺巣富雄。鷺巣富雄は「マグマ大使」「快傑ライオン丸」等を制作した映像制作会社ピー・プロダクションを興した人物である。現在は鷺巣詩郎がピー・プロダクションの社長を務めている。
1976年頃から毎日のように都内の音楽スタジオを巡ってプロの音楽家として活動。1978年にThe SQUARE(現T-SQUARE)のデビューアルバム「Lucky Summer Lady Midnight Lover」に参加。1979年にアルバム「EYES」でソロアーティストとしてデビュー。80年代からは数々のアーティスト、アイドルの楽曲の作曲・編曲・プロデュースを手がけ、劇場作品やTV番組の音楽でも活躍。1982年から30年以上続いたフジテレビのバラエティ「笑っていいとも!」の音楽も担当していた。90年代には日本レコード大賞の音楽監督として作曲・編曲・指揮を担当するほか、海外にも活躍の場を広げた。現在は日本とロンドンとパリの3ヶ所を拠点にジャンルと国境を越えた最先端の音楽作りを続けている。
アニメファンが鷺巣詩郎の名を意識したのは、1982年に『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の主題歌「めぐりあい」の編曲を手がけたときだろう。以降、アニメ作品では『アタッカーYOU!』(1984)、『幻夢戦記レダ』(1985)、『メガゾーン23』(1985)、『きまぐれオレンジ☆ロード』(1987)、『ふしぎの海のナディア』(1990)、『超時空要塞マクロスII』(1992)、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)、『BLEACH』(2004)、『マギ』(2012)、『ベルセルク 黄金時代篇』(2012)などの音楽を担当している。
今回は、鷺巣詩郎が1998年に手がけたTVアニメ『彼氏彼女の事情』、通称「カレカノ」を取り上げよう。
『彼氏彼女の事情』は津田雅美の同名漫画をガイナックスがアニメ化した作品。1998年10月から1999年3月まで全26話が放送された。庵野秀明監督が『エヴァンゲリオン』以降初めて監督したTVアニメ作品として話題になった(監督は途中から佐藤裕紀と連名でクレジット)。高校生・宮沢雪野と有馬総一郎の2人を中心に描かれる学園アニメである。明るいコメディシーンと丹念な心理描写、実験的な手法も取り入れた意欲的な画作りが印象に残る。『エヴァンゲリオン』の呪縛から逃れたような解放感と若手スタッフのセンスがはじける作品だ。
映像とともに音も印象深い。原作のセリフを生かした膨大なセリフ。そのバックやセリフの間に流れる鷺巣詩郎の音楽。ラジオドラマとしても成立するくらい濃密な音が聴こえてくる。
鷺巣詩郎の映像音楽作品といえば、どうしても『ふしぎの海のナディア』や『エヴァンゲリオン』を代表とするSF作品が思い浮かんでしまうが、本作ではそうした作品で聴かれるようなスリリングな曲や壮大な曲は登場しない。その代わり、聴いていると心がふわっと解放されるようなはじけた曲、明るい曲、しみじみと胸に沁みる曲がふんだんに作られている。鷺巣詩郎本人も「キャッチーで楽しいメロが多い」と語る充実した作品だ。庵野監督は本作の音楽がお気に入りで、のちに『エヴァンゲリヲン新劇場版』に流用しているくらいである。
本作の音楽は2回のセッションでバージョン違いも含め165曲がレコーディングされた。演奏には、キーボード=宮城純子、ギター=今剛、トランペット=エリック宮城ら、「シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽」にも参加した鷺巣作品おなじみのミュージシャンが参加。ほかにも、ドラムス=渡嘉敷祐一(ザ・プレイヤーズ)、ベース=富倉安生(トランザム)、ギター=芳野藤丸(SHOGUN)、ラテンパーカッション=斎藤ノヴら、1970年代から日本のポピュラーミュージック界を牽引してきたメンバーが参加している。ストリングスセクションは、弦一徹の名でも活躍する落合徹也のグループ。ずっと聴き続けていたい気分になるぜいたくな音楽だ。
サウンドトラック・アルバムは「彼氏彼女の事情 ACT1.0」〜「同 ACT3.0」の3枚が発売された。2005年にはこの3枚に未収録音源と劇中使用クラシック曲を収録した「ACT4.0」を加えた4枚組CD-BOXが発売されている。発売元はいずれもキングレコード。
今回は「ACT1.0」から紹介しよう。収録曲は以下のとおり。
- アバンタイトル
- 天使のゆびきり(歌:福田舞)
- 此迄ノ荒筋(正太郎マーチ)
- 宮沢雪野I(Concerto)
- 宮沢雪野II (March)
- 日々平和
- 平穏無事
- 切磋琢磨
- 天下泰平
- 会者定離
- 有馬総一郎II
- 有馬総一郎I
- 夢の中へII
- 宮沢一家
- 主客転倒
- 宮沢雪野III(Jazz rock)
- 共存共栄
- 宮沢雪野IV(Kanon)
- 宮沢雪野V(Nocturne)
- 不撓不屈
- 夢の中へIII
- 一期一会
- 夢の中へ(歌:榎本温子、鈴木千尋)
- 此来ノ荒筋
選曲と構成は庵野秀明監督。クレジットには「Songs Selected & Entitled: Hideaki Anno」と表記されている。漢字4文字でまとめられた曲名が本編のアイキャッチを思い出させてニヤッとしてしまう。
曲順は番組と同様にアバンタイトル曲とオープニング主題歌から始まり、エンディング主題歌と次回予告の曲で終わる流れ。
オープニング主題歌の後に本編の冒頭で毎回のように流れる「これまでのあらすじ」のBGM「此迄ノ荒筋(正太郎マーチ)」が入っているのがうれしい。これは1963年放送のTVアニメ『鉄人28号』のために書かれた曲(作曲=越部信義)。いわゆる流用曲である。それを本編の構成に倣って冒頭に持ってくるのが庵野監督らしいこだわりだ。本作のあらすじBGMでは他にも『宇宙戦艦ヤマト』(ACT19.0、ACT26.0)や『ウルトラマン』(ACT24.5)、『帰ってきたウルトラマン』(ACT25.0)等の楽曲が流用されている。
あらすじ音楽に続くトラック4とトラック5は主人公・宮沢雪野のテーマ。ベートーベンのピアノ協奏曲風にアレンジされた「宮沢雪野I(Concerto)」は本性を隠した「仮面優等生」雪野の自己陶酔を表す曲だ。「宮沢雪野II(March)」は明るく威勢のよいマーチ。こちらも仮面優等生として調子に乗っている雪野を描写する曲。メニューではそれぞれ「A-2 派手なコンチェルト」「A-1 派手なマーチ」と指定されている。その注文どおりの振りきれ具合が心地よい。優等生の仮面の陰で「ふふふふ」と笑う雪野の顔が目に浮かぶ。
トラック6「日々平和」は雪野たちの学園生活を描写する曲。音楽メニューは「B-15 喜び・ちょい地味め」。ヨーロッパのカフェの光景が浮かんでくるようなしゃれた雰囲気の曲だ。さりげない日常曲にも鷺巣詩郎の音作りのセンスとこだわりが表れている。
次のトラック7「平穏無事」はとぼけた雰囲気の日常曲。「カレカノ」ファンには印象深い使用頻度の高い曲である。音楽メニューは「B-9 シラケ(軽めに)」。コミカルな曲はとかくやりすぎになったり、下品になったりしがちだが、この曲は品よくユーモラス。絶妙のバランスが気持ちいい。この手の楽曲が得意だった宮川泰の音楽をほうふつさせる。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』でアスカの登場シーンに流用されている。
トラック9「天下泰平」は行動のテーマ。音楽メニューは「C-1 明るい朝」。ブラスとパーカッションのアンサンブルによるラテンジャズ風の曲だ。この曲も『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』に流用され、アスカのテーマのような扱いでくり返し使用されていた。
ピアノソロから始まるトラック10「会者定離」は孤独のテーマ。本作ではピアノを使った曲がとても印象深い。気持ちのすれ違い、寂しさ、自己嫌悪、いらだち。鷺巣サウンドになくてはならないピアニスト・宮城純子のピアノが繊細な思春期の心の揺れを表現する。登場人物のモノローグのバックなどに流れて、絶大な効果を上げていた。
続くトラック11「有馬総一郎II」は「C-7 夕日の二人」というメニューで書かれた曲だが、ここでは有馬の恋心とやさしさを描写するイメージで収録されている。ピアノをバックにストリングスによる旋律が前半ではしみじみと、後半では明るく奏される。幸福感が伝わってくるよい曲だ。
次の「有馬総一郎I」は有馬の内面を描写するピアノとストリングスの曲。有馬のモノローグのバックなどで使用されている。
トラック13「夢の中へII」はエンディングテーマ「夢の中へ」のアレンジ曲。「夢の中へ」は井上陽水の1973年のヒット曲だが、本作では光宗信吉がアレンジし、主役2人が歌ったバージョンがエンディングテーマに採用されている。そのメロディをモチーフにしたBGMは劇中の「ここぞ」という場面に流れて鮮烈な印象を残す。この曲もそのひとつで、ACT3.0(第3話)のラスト、雪野と有馬の関係が変化する重要な場面に流れている。
「カレカノ」でピアノ曲と並んで印象深いのが「パッパヤッパ」という女声スキャットが入った曲である。
トラック14「宮沢一家」、トラック15「主客転倒」はその代表。コーラスは伊集加代子グループ。「プレイガール」(1969)や『ルパン三世(第1作)』(1971)などの山下毅雄作品でおなじみの、『アルプスの少女ハイジ』(1974)の主題歌や『銀河鉄道999』(1978)のスキャットも担当したあの伊集加代子さんですよ。さすが鷺巣さんわかってる! とうならされる人選。それにみごとに応えた伊集さんもすばらしい。昭和のTVドラマ音楽を現代の技術でリニューアルしたような楽しい楽曲に仕上がった。女声スキャットはトラック20「不撓不屈」にもフィーチャーされている。
トラック18「宮沢雪野IV(Kanon)」とトラック19「宮沢雪野V(Nocturne)」は雪野のテーマのストリングスとピアノによる静かな変奏曲。雪野の長いモノローグの場面などに流れた、全編を通して印象に残る曲だ。
アルバムは明るくはしゃいだ「不撓不屈」(メニューは「喜び」)を挟んで、「夢の中へ」の寂しげなアレンジ「夢の中へIII」(メニューは「別離」)、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』にも流用された内省的なピアノ曲「一期一会」(メニューなし)で締めくくられる。楽しかったひとときが終り、名残惜しいけれど友人たちと別れて帰らなければいけないときのような、ちょっと切ない印象が心に残る幕切れである。
鷺巣詩郎はアルバムのブックレットにこんな言葉を記している。
“「ワケもなく楽しく、ハンで押したようにサビシー」っつーのが基本。
これって「回想の十代」の典型なんですよネ、みんなが持ってる。”
ああ、そうだ。ふり返ると10代ってたしかにそんな印象なのだ。バカをしたり、図に乗ったり、落ち込んだり、悩んだり、ほろっとしたり。そのただ中にいると実感できないけれど、時間を置いてふり返ると「楽しくて寂しい」。自分の10代はこんな上質な音楽が流れるような洗練されたものじゃなかったけれど、だからこそ、鷺巣詩郎の音楽に彩られた彼氏彼女たちの青春が愛おしくまぶしい。