COLUMN

90 『映画 聲の形』を二度観た

 劇場で『映画 聲の形』を二度観た。最初の鑑賞では作品を受け止めきれなかったのだ。受け止めきれなかったのは、自分勝手に「こういった作品だろう」と思い込んで観たせいだったかもしれない。聴覚障害者やいじめをモチーフにした作品だと知ってから劇場に足を運んだのだが、決してそれだけの映画ではなかった。

 物語を通してひとつのメッセージを伝える作品だと思った。ラストシーンで、カタルシスと共にそれを観客に伝えている。メッセージは普遍的なもので、『映画 聲の形』を観て救われた気持ちになった観客もいた事だろう。
 タイトルロゴに「映画」という単語が入っているが、確かにこの作品は「映画」だった。

 最初の鑑賞で物語の流れは掴めていた。だから、二度目は演出、話の運び方、画作り等に注意して観た。そうやって観て、バランスに気をつけて作られた作品である事が分かった。過剰にドラマチックにしない。必要以上に泣かせる事もしない。繊細な手つきで丁寧にドラマを積み重ねている。だからこそ、ラストが活きているし「映画」としてきれいにまとまっている。

 バランスをとっているのは物語の構成、話の運び方だけではない。音響演出、カット割り、画作りに関してもそうだ。様々なパートが同じ方向を向いて、ひとつのテイストを形作っている。個々のカットの構図に関しては、世界の切り取り方で登場人物と登場人物の距離感を出している。そのあたりも面白い。

 作画に関しても見どころが多いが、「手話の部分だけが過剰に動く」ようなかたちになっていないところが凄い。通常の芝居の一部として、なおかつしっかりと、登場人物が手話をやっている。この作品は芝居が基本的に丁寧であり、動きをきっちりと設計しているから、手話の部分が浮いていないという事なのだろう。

 他にも映像面で感心する点がいくつもあった。山田尚子監督の手腕だけでなく、京都アニメーションの総合力も素晴らしい。

 演出家・山田尚子のファンとして、もう少し言わせてもらえば、僕は彼女に色んなタイプの作品を作ってもらいたいと思っていた。その願いが『映画 聲の形』である程度叶った。次回作ではさらに違ったタイプの作品に挑んで欲しい。

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映画『聲の形』公式サイト
http://koenokatachi-movie.com

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