COLUMN

第429回 次のホン読み

 ある日、まだタイトルを発表できないシリーズ(現在監督中)のシナリオ(脚本)を読んでいると、結構身近な方から

やっぱりシナリオを読みながら、すでに映像が浮かんでいるんですか?

と訊かれました。たぶん監督にもよると思うし、各話演出の立場でコンテにかかる前とかでもまた違うと思うのですが、自分の場合キャラの立ち位置や方角などの、後の画作りに影響する最低限の確認事項を頭に思い浮かべる事はしますが、「このシーンはこう描きたい!」などと「映像」を思い浮かべるとかをシナリオを読みながらプランニングしたりはしません(というより、そんな器用な監督って本当にいらっしゃるのでしょうか?)シナリオを読む際は、もっとザックリと大きく一掴みに「面白いか面白くないか?」を感じ、面白かった時はホン読み(シナリオ打ち)でライター(脚本家)さんに「面白いと思います。次の話数もこの調子でよろしくお願いします!」とお伝えし、もしつまらなかった時は「どこが面白くないか?」をライターさんに説明します。つまり、コンテの画を考えるのは監督(演出家)側の仕事であり、それは自分がコンテ用紙に向かって考える事で、ライターさんの上げた脚本を議題に改稿をお願いするには、かえって邪魔になってしまうんです。アニメファンの方々は普段疑問に思われませんか?

なんでマンガ原作どおりの話の流れでシナリオ(脚本)がいるの?

と。これ、実は昔のTV局と作家の関係云々や原作者先生との信頼関係でどうしたこうした、と諸説聞いた事がありますが、自分は

「そこで描かれてる物語の骨格が本当に面白いかどうか?」を確認するのに一度”画”という情報量を外してみる必要がある!

のだと勝手な解釈を加えてます。で、来週もシナリオ関連の話。