COLUMN

第111回 時の流れに抗いたいこの感じ

 小黒さんたちからは「片渕さんは東映系」といわれてしまうのだが、自分自身今となっては全然実感がない。大泉のスタジオがなくなろうとも、そもそも1回だけチラッといったことがあるきりの場所なので、実感につながった感慨が湧いてくるわけでもない。1回だけ行ったのは大学生の頃、まだ東映動画の研究開発室にいた池田宏先生に卒論だか単位だかの相談にいったときのことだった。
 そうだ、昔からそうだったわけではなくて、映画学科に東映動画演出の池田宏という方が講師にいる、というのは入試を受けるときの選択基準にはたしかになっていた。入学してみたら、その年から月岡貞夫さんも講師に加わられていて、得をした、と思った。
 自分も学校で教えるようなことになった最初は、『アリーテ姫』が終わった頃に、4℃のプロデューサー田中栄子さんから、「監督は人前で喋り慣れてる方が何かといいと思うし、そのためには教壇に立つのもいいんじゃないかと思って」と専門学校の先生の仕事を与えられてしまったときからだった。
 そうこうしているうちに「池田ゼミ」というのに呼ばれた。同じ映画学科の先輩でもある池田さんが、大学卒業後も牛原虚彦教授の周りに集まって「牛原ゼミ」と称していたことの延長であるようで、現役の学生ととっくに卒業したOBとをごちゃ混ぜにした飲み会だった。そうした場で、
 「あなた、こっち来て大学で教えなさい」
 と、命じられてしまい、じゃあ、年に1回特別講義でもといって行ったら、その翌年から非常勤講師になって通年週1で大学に通うことになってしまった。それが、これを書いている2015年の時点からするともう丸9年も前のことになる。
 大学の先生もやっている、というと、クソ忙しいはずのアニメーションの現場の仕事の手を抜いてかまけている、みたいに思われてしまうのかもしれないが、講師を始めた最初の年は、TVシリーズの『BLACK LAGOON』をやっていた頃で、最大級に忙しかったはずなのだが、それでもなんとか掛け持ちできていた。この仕事が制作終了になったときには、学生から「先生の顔が急にほわっとした」といわれてしまったところをみると、いかにもくたびれきった顔で大学に出向いていたのだろう。
 『BLACK LAGOON』では学生1名をアルバイトで現場に入れ、あと1、2名くらい増員するつもりで志願者を募るところまでやっていたのだが、何かの帳尻が合ってしまって最初の1人だけで人手が足りてしまった。
 その次の『マイマイ新子と千年の魔法』では学生2人に、ふつうの工程ではちょっと処理するのが難しそうなクレヨン画とか墨絵を動かすアニメーションをやってもらった。
 今現在も学生には色々手伝ってもらっていて、ミュージックビデオ(ちょっと前から手がけていたのだが、まだお披露目には至っていない作品)の中に実写とアニメーションが絡む撮影があって、そういう現場では、何せ本来きっちりしたアニメーション専攻があるわけではなくアニメーションも実写もやらせる学科なので、学生たちの仕事っぷりがそれなりにテキパキこなれて見えたようで、またあの学生さんたち使いたい、といってもらえるくらいにはなっている。
 9年前、自分が講師を始めた時点では、池田さんは学部を離れて大学院のコマを持つだけになっていた。喧嘩っ早い人なので、学部の教授とちょっとした一戦を交えてそういうことになっていたらしい。池田さんの学部のコマの後任には、池田さんとは東映動画で同期だった高畑勲さんが入っていた。月岡さんは相変わらず講師を続けておられた。実のところ、アニメーションの講座はそんなふうに充実していたので、僕は1年生の初期教育の受け持ちになって、「三脚の立て方」みたいなあたりからをやっていた。
 学部講師には定年があって75歳まで、ということになっている。その定年まであと1年あったのに、高畑さんが「『かぐや姫の物語』に専念したいから」と、退任されてしまった。そういうときのためにリザーブされていたのが自分の立場だったので、仕方なくその後釜に入った。
 それが、ちょっと前の回にも書いたのだが、月岡貞夫さんまで学部の定年、大学院の池田さんも80歳で定年という年を迎えてしまった。
 2015年1月31日は、この両講師の「最終講義」だったのだが、月岡さんにはまだ仕事が残り、一週間後2月6日、7日はこの年度の卒業審査に出て来てもらった。
 アニメーションだけでなく、実写系、ドキュメンタリーといった色々なジャンルの卒業制作映像作品、さらに論文のみのものも合わせて計26本が丸2日間で発表され、それらに対して教授・講師人陣10名ほどが質問、講評をし、審査する。「全員合格」ということになってこれが終わると、打ち上げの飲み会になる。そこまで終わると、月岡さんはほんとうに学部からいなくなってしまう。
 2月8日(日)はぐったぐたにくたびれて、一日ほとんど布団から出ずに終わってしまった。自分自身が大学に入学したときから常に上に誰かがいてくれたアニメーション担当の先生が誰もいなくなって、来年からは自分の裁量で運営していかなくちゃならない、ということもあったのだが、それよりも、何かひとつの時代に通り過ぎていかれた感じが大きかった。池田宏、高畑勲、月岡貞夫という東映動画初期以来のベテラン勢を、学部の教室という場だけのことではあるが、そこから見送り切ってしまった、という感。
 もうひとついうと、1月いっぱいを目処に作っていた『この世界の片隅に』の第1期試作カットがとりあえず画面になったくたびれ。
 一学年送り出したところなのに、2月11日(水)は新年度のための入試に行かなくてはならない。面接で、いろんな抱負や自負や不安を携えた受験生たちと話をする。
 その同じ11日の夜は、没後4周年追悼「片山雅博の日本迷名作記録映像大全集」(アニドウ)に行く。片山雅博さんとは大学時代からの縁だったが、その片山さん自身を映したビデオをただただ上映する、という催し。日本漫画家協会事務局や日本アニメーション協会にいた片山さんを撮った映像には、手塚治虫、川本喜八郎、岡本忠成、石森章太郎、藤子・F・不二雄といった人々も写っていて、この人たちがみんないなくなってしまったのか、とあらためて愕然とさせられてしまう。
 振り向けば、客席の方も白髪が目立つ景色になっている。
 週末に月岡さんから、
 「じゃあ、僕は36年ここで先生やっていなくなるけど、あと30年は君に頼むよ」
 といわれ、
 「いや、それが定年まであと20年しかないんですよ」
 「え、そんなだっけ? 入学したばっかりだと思ってた。早いなあ」
 というやり取りがあったことを思い出してしまった。

 2月13日(金)『この世界の片隅に』試作映像の編集をやり直す。盛りだくさんにするのはやめて、けっこう多くのものを省いてしまった。実は思いっきり省き切った仮編集のものを2月4日のアニメーション協会パーティで映してもらっていたのだが、丸山さんたちから「自分はあそこに感じ入ったのだから」といわれたところを戻して、いくらかカットを戻した、という方が実態に近い。
 とはいえ、ここには「中島本町」のカットをほとんど含めることができていない。考証のために話をうかがった戦前の中島本町出身の方々に見せるため2014年夏にこのあたりのシーンを広島にもってきてもらえないだろうか、とヒロシマフィールドワークの中川幹朗先生からお声掛けいただいて応えられず、その年秋の広島行きでも持参できず、ここに至っている。その中川先生から、広島でお話をうかがった中島本通のお店の息子さんが亡くなられていたと報せを受けてしまった。
 くたびれてる時ではないな。「中島本町」でもひとつの時代が終わってしまう前に、やるべきことをやってしまわなければならない。

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