COLUMN

第406回 『2772』とブレ

 前回話題にした『幻魔大戦』と同基軸の作品はまだまだあります。例えば、

『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980年/総監督・手塚治虫)

とか。これは自分にとって凄く愛すべき作品です。当時この作品の制作を手伝った先輩に聞いたまま説明すると「人間・生物・自然物、すべてピタッと止まってる事など本来あり得ない!」との思想から「純粋な止めはなしにして、すべて同トレスブレにする!」と手塚先生。「同トレスブレ」とは同じ動画を2枚トレスしてタイムシートでリピートを打つ事で、よく「瞳ウルウル」や「恐怖で震える」などの表現で使うのが普通です。ブルブル〜と。ところが『2772』は「普通に立ってるキャラ」だろうが「ボーッと座ってるだけ」だろうが

カットいっぱいブルブルと無駄にブレてる!!

んです。なかなか笑わせてくれます。でも、ブレてるカットもあればちゃんと止まってるカットもあるのです。「は?」と思ってさらに先輩に訊いてみると「上がったラッシュ(撮影されたフィルム)を観た手塚治虫先生が『やっぱオカシイ』と思って、制作途中でブレをやめて普通に止めちゃった」のだそうで、「本当なら無駄ブレしてるカットを撮り直して繋ぐんだろうけど、時間がなくてそのまま」とも。これだけでも歴史的価値があろうってもんです。何しろ、

そんな珍妙な事を考えて実行に移した天才がかっていたんだ!

と。手塚先生ご自身が「僕はメタモルフォーゼ(変身)を描くのが大好きでアニメをやってる」とインタビューで仰ってるとおり、この映画でもふんだんに繰り返される「メタモルフォーゼ」も魅力のひとつで、ヒロイン(?)のロボも掃除機みたいな宇宙生物(?)も次々といろんなモノに変身します。「もういいよ〜」と画面のこちら側からツッコんでもマイペースに続くメタモルサービス! その先生の旺盛なサービス精神とは裏腹にワクワクしない俺。これが「画が動くだけ」の限界だと。画が動いて変身するだけの一発芸で2時間の映画はもちません先生! だ・け・ど、俺はこの映画が好きで何回も観てます。だって、

偉大な天才の偉大なる勘違い!

ですから。自分はクリエイターとして手塚治虫先生を尊敬してますが、それは完全無欠の大天才だからではなく、月産何百ページのマンガを描きつつも「アニメを作りたい!」と自身のスタジオに投資し続け、自分でコンテも原画も描き、そして失敗を繰り返したというトコにグッときてるんです。大塚康生さんも「手塚さんのアニメ観には賛成できない」的な事を仰ってたし、インタビューなど公でも発言されてましたが、俺に言わせると「そこが好き!」なんです。いいじゃないですか! 「マンガの神様」と呼ばれた天才がいちばんやりたかったアニメ。そのアニメこそが逆に最大の欠点だなんて素敵な話で、『2772』を観るかぎり手塚先生はアニメを愛してるんですが、アニメの方は手塚先生を愛してない——つまり「片想い」。一方的に「画が動く面白さ」を信じて作り続けてた先生には「画が動くとか変身とかなんてさほど面白がらないよお客さんは!」や「もっと映画の構成自体をしっかり組まなきゃ!」といったアニメの声がまったく届いてなかった。それが刻み込まれてる作品として好きなんです『2772』。そして、

フィルモグラフィー全体が自身と「アニメ」との
壮大なラブストーリー(もちろんBAD END)である!

のが手塚アニメで、そんな手塚アニメをこれからも愛し続ける事でしょう。