COLUMN

第107回 絵の世界であること、馴染みある感じを手に入れたいこと

 何カットかをとりあえず撮影に持ち込めそうになってきた。
 撮影に回す素材(セルや背景)がちゃんと上がっているかどうかを確かめるために、仮に組んでみてチェックする作業を撮出しという。最近は本物のセルは使わないので、デジタルデータをフォトショップ上で組み立てることになる。
 自分が仕事を始めてすぐの演出助手だった頃に、『名探偵ホームズ』の撮出しをすることになったのが最初だったのだが、以来30数年、これだけは自分でやるようにしている。
 手塚治虫さんがこの撮出しの作業がたいへん好きだった、という話を聞いたことがある。手塚プロが毎年夏の24時間テレビで2時間スペシャルをやっていた頃のことだと思うのだが、手塚さんは自ら撮出しに手を染めては、
 「この背景じゃなくて、あっちのを使おう。ほら、あの『○○○』のがあったでしょう」
 と、何作品か前の背景を引っ張り出して使ったりしていた。
 そういえば、「死の翼アルバトロス」のときは宮崎駿さんが自分で撮出しをやって、「この方がいい」と背景を上下逆に使ったりしていたと、美術監督の山本二三さんにこぼされたことがある。
 そんな感じで、撮出しというのは、ある種、非常大権的なところがあって、完成画面を磨き上げるために色々な手段を繰り出すことも行われてしまうような作業なのだった。
 自分の場合は、この作業を通じて画調を確認したい、というか作り出したい。その昔、本物のセルをフィルムに撮影していた頃よりも、デジタル化してこうした自由度が増した。
 『BLACKLAGOON』などでは、強い光と濃い陰りを画面の上に持ち込んでいたし、『マイマイ新子と千年の魔法』でも程度はずっと軽めだが、光や影を忍び込ませていた。
 実は今、並行して別のちょっとした短編の作業もやっているのだが(だいぶ前から手をつけていたのが、ようやく撮影に持ち込む段階になってきている)、そちらの作品では画調を柔らかくするために、淡い光をかぶせたりしている。
 ところが、『この世界の片隅に』の場合、どうも光も陰りもほとんど使いようがない感じなのだ。『マイマイ新子』以上に「絵」であることを主張したがる映画なのかもしれない。

 前の連載でもちょっと触れたのだが、『名探偵ホームズ』の「海底の財宝」の撮出しのとき、沈没船のお宝に光や影をつけまくったこともある。このときは、黒、赤、青のマジック、白の修正液、グレーのマーカーなんかを使いまくった、こちらは画面全体の画調ではなく、質感表現なのだが、これも作業がデジタル化してから、撮出し時にもっといろんな手立てを講じることができるようになっている。
 『この世界の片隅に』でも、質感表現の方はそれなりにある。料理のアップのカットがあったなら、料理そのものももちろんなのだけれど、その入っている器の質感に凝ってみたくなる。そういうところで「生活感」を表してみたいのだ。作画の方では、食器の形も、整然とさもリアルな感じではなく、ちょっと楕円を歪ませて描いたりしている。何せ「絵」でありたいので。それに見合うような質感表現だから、当然、フォトリアルな感じではない。「実物を写真に撮ってきました」然とした質感ではない感じを狙わなくてはならない。それでいて、「ああ、これはどこかで見たことがある、触れたことがある」という馴染んだ感じを作り出したい。
 原画チェックの段階では、できる限り芝居を煮詰めきるようにしているのだが、作画監督の松原さんから、
 「ご飯のときお箸を持つ手つき、茶碗を手にとる手つき、これだけは納得いくようにやり直したい」
 という申告があった。松原さんは、自宅の食卓でご家族を前にこれを納得いくまで試してきたのだという。
 こういう提案は大歓迎。わずかばかりカット尺が伸びてしまおうとも、ぜひ取り入れたい。
 描き直した原画を、クィックチェッカーで動かしてみたら、なんとも懐かしい空気が醸し出されていた。そう、田舎のおばあさんはこんなふうに箸をとり、茶碗を持っていた。
 そうしたことと同列な質感の表現を作り上げたい。
 さて、戦艦の質感表現はどうすればいいのだろうか?
 ぴしっと製図したような戦艦大和が出てきても、同じフィルムの中のいろいろとはそぐわないだろうし、「そうしたものですら、日々の食卓の上のものと同じ世界に存在しているのだ」という感じを出していきたい。
 たぶん、光の当て方なのかもしれない、と思っている。ちょっと懐かしいような傾いた西日がおだやかに差し込む午後遅い時刻。そんな空気感の中に呉軍港の軍艦もいる、というふうに。

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