COLUMN

第89回 西奔西走の日々

●2014年7月14日(月)

 作画打ち合わせ15カット。同じ日に、先に作画打ち合わせずみのレイアウト上りが14カット。
 最近のレイアウトはその後に作業する動きの部分までをかなり意識した作りになってきてしまっているのだが、上がってきたカットに「走るすずさん」のカットが含まれていたもので、ここへきて演出チェック側としてはその動きのイメージを真剣に考えざるを得なくなった。いったいすずさんはどんな感じで動くのか、めったに走らない彼女が走るときどんな走りっぷりになるのだろう、1歩何コマで?
 そうした動きのイメージをいったんラフ原画の形で具体化させつつ、さらにその背景に関しても原図を作り込んでいかなくてはならない。
 当面は、この夏に各地で連続するレイアウト展用に、特に呉市内のレイアウトが比較的手薄だったものを充実させる作業を急ぎ、その後に「走るすずさん」に直面することになる。

 この夏に行われるレイアウト展は結局4ヶ所で、ということになった。

○7月17日〜8月17日 広島・平和記念資料館『「この世界の片隅に」アニメーション版複製原画展』
○7月26日〜8月17日 呉・大和ミュージアム『調べて描く「「この世界の片隅に」の世界展 in 呉』
○8月6日 『ヒロシマの心を世界に2014』(平和記念式典にあわせて、平和公園内にある国際会議場の地下で広島市が開催)での展示
○8月8〜10日 アメリカ・ボルチモアOTAKONでのレイアウト展示とトーク

 制作が今の段階で行うレイアウト展の意義というかテーマとなる部分は、
 「今はもう姿を消してしまった広島や呉の街並みや風景をいかに再現しようとして臨んでいるか」
 というところを理解していただくことにある。なので、ふつうに家の中で会話している場面のようなのではなく、景観再現で考証的に苦労しているカットのレイアウトをそれなりに数並べ、さらにそれぞれに解説文を付さなくてはならない。もちろん、以前からそうしたレイアウトは積み重ねてきているのだが、ここへきてまたそれぞれの展示する素材を間に合わせるために小締切が設定されたことで、かえってはかどる部分もできるのじゃないかという意味合いもちょっとはあった。
 松原さんのキャラクターデザインもだいぶできあがってきているので、その中から子供時代のすずさんのものを何点か選び出して塗ってみることにする。これがまた闇雲には塗れない。原作でカラーページとなっていたものはできるだけそのイメージを壊さぬよう準拠する必要があるし、その上でどんな材質のどんな衣服なのかちゃんとイメージできていなくてはならない。
 そうしたためし塗りをやってみた結果として、ここへきて、当時の和服の基本的な色調を勉強しなくてはならないということがわかってしまった。
 基本的な和服の着こなし方だとか、帯の締め方などは、これまでにも何人かの方々から教えを受けることができてはいたのだが、色に関しても整理に手をつけなくては。
 ここでもまた当時の文献と写真を見比べるというところから手をつけてみることにする。手持ちの写真の中から戦前と戦後すぐの時期に撮られた日本人の衣服のカラー写真を集め直す作業に入る。さすがに戦前・戦中に関してはカラー写真も限られてくるので、もしくは当時リアルタイムで描かれた「絵」を。そうしたものと、文献の中で挙げられている色名を並べてみて、この色調はこの色名で呼ばれているものであるらしい、みたいな勘を徐々に養い始めてみる。なんだかざっくりした傾向はすぐにつかめてきたような気もするのだけど、それが合ってるのかどうなのか、先は長い感じ。

●2014年7月20日(日)

 これまでアニメスタイルイベントとして3回やった「ここまで調べた『この世界の片隅に』」なのだが、いつもいつも新宿でやっていたら、「関西でもやってほしい」という声をいただいてしまった。そうした提案をしてこられた方は、5年前に『マイマイ新子と千年の魔法』を大阪シネ・ヌーヴォで上映したときお客だったとのことで、そのときの舞台挨拶を覚えていてくださったとのこと。
 最初にこの催しを新宿ロフトプラスワンでやったときの店長・天野宇空さんが、「わたし、今度大阪にできる新店舗に転勤になることになりまして」といっておられたのを思い出し、その新店「ロフトプラスワン・ウエスト」に連絡をとってみたら、7月20日日曜日の日中が空いているとのことで、急遽開催することに決めてしまった。題して「ここまで調べた『この世界の片隅に』」の「大阪出張版」。
 6月1日に新宿でやったあとに降ってわいた話なので、7月20日までにはそれほど時間があるわけでもなく、宣伝告知はいきわたるのだろうか、という不安があった。
 7月20日午前2時発で、制作現場プロデューサーの松尾と2人、車で大阪へ向かう。「新幹線で行けばいいじゃないか」と周囲からやいやい言われてしまったのだが、車で行くのは荷物が多いからだ。
 この春、浦谷さんが『この世界の片隅に』の日本手ぬぐいを作ってきたので、ちゃんと原作者マルCも取得して「すずさんの食卓」だとか「この世界探検隊」に来てくださる方に販売してみたりしていたのだが、これが模様は浦谷・白飯で作った消しゴム版画、一見真っ白に見える布地は浦谷さんが紅茶染めして風合いを出していたというもので、浦谷さん自身は「この次作るならもう業者さんに発注したい」と言い出していた。
 なので、ほんとうに業者に発注しようとしたら、「だったらTシャツも作りたい」と、浦谷さんはどんどんデザインを進めてしまうのだった。
 「Tシャツの胸には、江波の鏝絵をモチーフにした波のうさぎでしょ、背中は段々畑で肩を並べて呉の港を眺めるすずさんと周作さんのシルエットでしょ……」
 ついでなので、前から要望をたくさんもらっていた「呉に帰投する青葉」のポスターも印刷してしまうことにした。
 そういうものを車の後ろ半分に積み込んで、一路大阪へ向かった。片道500キロ。
 ロフトプラスワン・ウエストには結構な数のお客さんに来ていただくことができ、その上、それなりに好評でもあったようで、まずはよかった。

●2014年7月26日(土)

 今度は車で広島に向かう。
 ヒロシマフィールドワークの中川幹朗先生から、7月27日に中島本町旧住人の方々に集まっていただいて話を聞く会をやろうと思うので監督来てください、とお誘いいただいていたのだが、自分たちとしても中島本町シークエンスのレイアウトには決着をつけてその先に進みたくもあったので、レイアウト担当の浦谷さんにも同行してもらうことにした。松原さんも、一度行っただけの呉では様子をつかむので精いっぱいだったので、もう一度行ってその環境のなかでぼけーっと時間を過ごしてみたい、といわれていた。『ブラックラグーン』や「マイマイ新子』で相方だったプロデューサーの松尾も最近この作品に参加してくれるようになったので、彼を広島や呉で応援して下さる方々に引き合わせておきたい。新人制作進行の山本も熱心に「僕も呉を見ておきたいです」といっている。記録のためのビデオを回させるので、日芸映画学科の大学院生もひとり連れてゆくことにして、これで6人。一台の車で広島に向かう。
 またまた物販の荷物も運ばなくちゃならないし、行った先の呉で移動の足も必要になるので、車で行くのがやっぱり便利なのだった。ついでに8月6日レイアウト展用のパネルも運んで、先方に手渡しもする。今度は820キロを13時間の行程。

 

●2014年7月27日(日)

 午前中、呉。
 段々畑のあいだの道で、松葉さんが走り、ビデオに撮る。ふだん歩き慣れた階段をすずさんが駆けくだるとき、どれくらい足元を見る必要があるのか、その上アップダウンのある道を駆けるとき、どれくらいのタイミングになるのか。木口バック下げた方の手はどれくらい振るのか。
 すずさんと周作さんが段々畑に並んで腰掛けるとき、背中側から2人をなめて港まで見えるレイアウトは作れたのだが、切り返して顔の正面側から見たとき、背景はどうなるのか。実は想定している段々畑の地形が複雑で、何度もその現地を訪れた自分ではその立体を把握しているつもりでも、絵を描く浦谷さんに伝えづらい。なので、現地で直接みてもらうことにしたのだった。2人の背後を空で抜こうとするとアオリになりすぎる。あおらずアングルを作るとき何が後ろにくるのか。地形は同じでも生えている木の量が違うので、当時を思い浮かべつつ、ということにもなる。
 昼前に広島に移動。
 平和記念公園レストハウス2階の広島フィルムコミッションへ8月6日展示用のパネルを運び込む。
 すぐ裏手に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館があって、その研修室を借りて、ヒロシマフィールドワーク。丸二屋さん、鍇井理髪館、高橋写真館の息子さんたちのお話をうかがう。始まりにあたって主宰者の中川先生が、
 「映画『この世界の片隅に』の中で主人公が中島本町の中を歩くルートの順に、それぞれのお店のお話を聞かせていただこうと思います」
 と、いわれた。3人のお話のあいだ、背後のスクリーンに画像を映し出す係を仰せつかる。それぞれの店の当時の写真、ご家族の日常など、すでにこちらのパソコンに入っている。直接映画で描かれることはないにしても、何気ない画面の背後に本来広がる広大な世界のかけらを今われわれは手に入れている。
 その後、「この世界探検隊」に切り替わる。映画用に想定したすずさんが歩いた道のりをそのまま現地でたどってみようという催し。原作の絵ではっきり中島本町とわかるのは、本川橋東詰が描かれているからなのだが、そこにすずさんが立つためには、元柳町の雁木から上陸したのだと思う。だとするとそれはここ、というところにまず立ってみる。この周囲にはこんな風景がありましたと語って、それから原作どおりの本川橋東詰に移動してみる。原作に、そしてその作画の元となった当時の写真に描かれた賑わいはなく、きれいな公園の道が静かにそこにあるだけ。
 丸二屋さんはここ。中島本通りをずっと行って、道がクランクになっていたのはここ。今は道は車が通りやすいようになだらかなカーブに変わっている。この角にはローヤル薬局があって、ヒコーキ堂があって、吉岡ネル店があって、コロムビア・レコードの看板があって、フクマ洋品店があって、タツノ玩具店があって、そこを曲がると慈仙寺鼻への道。上田さんのつるや履物店、恵南海産物店、カフェブラジル、玉突き屋。少し行くと鍇井理髪館、歯医者さん。それから高橋写真館とその向かいの民衆別館、キャバレー・コンパル。吉川旅館。東相生橋。
 ここにそれらの家並みがあったのだ、道があったのだ、多くの営みがあった場所なのだ、とアタマで認識していても、目の前の風景とうまくつながらない。目の前にはやっぱり芝生や木立があるだけなのだ。
 それにしても、4年前には広島を舞台にしてものづくりなんかできるのだろうか、と思っていたはずの自分が、拙いながらも解説者役をここで勤めているという現実には目がくらむようだ。
 浦谷さんは、午前中に呉で撮影した写真のSDカードを持って先に帰京する。月曜日、忘れないうちに絵にするために。
 われわれはもう1日呉に残って、なすべきことをする。

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