COLUMN

第86回 消えゆく風景を追いかけて

 前に作った『マイマイ新子と千年の魔法』で舞台に据えた防府国衙もそうだったのだけれど、今回の呉や広島は自分自身にとってはまるで見知らぬ土地だった。『マイマイ新子』の上映のために一度だけ広島を訪れたことがあるくらいで、右も左もわからないところから始めるしかなかった。
 一方で広島で生まれ育ち、呉にルーツを持つ原作者による原作「この世界の片隅に」は底知れないディテールを内蔵していながら、それをいちいち説明しないという態度を貫いている。あらゆる細部には現実世界の何かが反映されている。
 こうしたギャップを埋めるためには、自分自身がその土地のひとになりきるくらいに浸りこまなくちゃならないのかもしれない、そう思ってしまってからもう4年近くになる。
 明らかにこうのさんが写真をもとに描いているコマがあったなら少なくともその同じ写真を見つめてみたかったし、全部の場面に描かれている全てのその現地に立ってみるところから始めたかった。けれど、それだけでは発想が平面的になってしまうのかもしれない、とも思ってしまった。今現在のその場に立ったところで、たいていの場合「その当時」とは違った風景があってしまうことになるのがオチだ。その場所のその当時を思い浮かべられるようにして、さらにその場所で振り向いたら何が見えるのか、そのくらいのところまで行きつければ。
 そういうものが、「ここまで調べた云々」というイベントを何度も繰り返すにまで至ってしまう最初の原動力だった。
 作中に呉の海軍軍法会議の建物が出てくる。これは現存しないのはわかっていたが、その隣にあった海軍の官舎は残っていた、はずだった。インターネットで調べものをしてる中では官舎群の一区画が確かに現存していたはずだったが、最初のロケハンで行ってみたら、すでに取り壊されて消えてなくなっていた。
 ほかにも、何度も呉にロケハンを繰り返すうちに風景が姿を変えてしまったものがいくつもある。
 映画を作り終えたあとにも何度も出かけている『マイマイ新子』の山口県防府市も同じようにどんどん姿を変えていってしまっていて、寂しさを感じてしまう。『この世界の片隅に』の方は、うかうかしているとわれわれがたどり着いてこの目で見ることができる前に消えてしまう風景もあってしまうのだった。
 着手した当初、あきらかにこうのさんが写真を参考に描かれたに違いないコマで、その同じものを発見できなかった写真が2枚あって、その2枚にはいまだにお目にかかれずにいる。こうのさん手持ちの資料もすでに片づけられてしまって出てこなくなってしまっている。
 その1枚はマンガの冒頭の1コマ目で、江波の港の岸の道に海苔が干してある光景なのだが、写真にはお目にかかれないまでも、その実際の場所に行き着くことはできた。マンガの冒頭の1コマ目には右の方に松の木が生えているのだが、これも実物を見ることができた。「できた」というのは、その後にその木が枯れてしまって、もう見ようにも見られなくなってしまったからなのだが。
 もう1枚は「19年9月」の回の1コマ目。「辰川醫院」と表札が出たモダンな造りの瀟洒な個人医院だ。この建物はほんとうに唐突に登場する。ほかにもいかにも意味ありげな建物が唐突に作中世界に現れて、何の由来も説明されないまま通り過ぎてゆくものがいくつもあるのだが、それらについては大方自分自身の中で解き明かされているので、「世界」の全体像を構成する一部分として咀嚼できている。ただ、この「辰川醫院」に関してだけはどういう意味がある建物なのかまるでわからなかった。そこだけ晴れ晴れしないままなのだ。
 単純に参考にできるレトロなデザインの建物が、呉以外のどこかの土地にあったからとて、それをうかうかと描いてしまうようなマンガではないのだった。歴史がかった舞台を扱うとき、ふつうはどんどんそうして「参考資料」を多用してしまうものなのだが、こと「この世界の片隅に」に限ってそんなはずはない。こうのさんの中に明瞭に存在している世界の一部として位置を占めているものが描かれているのに違いない。が、それがなんだかよくわからなかった。
 だが、呉の昔のお医者さんの建物を調べようにも、大きな病院ならともかく個人経営の小医院ときてしまったら、たまたま写っている写真にでも出会わない限り、たどり着くことができない。最初に呉にロケハンに出かけた頃にすでにそう思い、以来ずうっとそう思い続けてしまって、たまに写真の載っている本を手に入れられれば真っ先に探し、でも出会えないままいつの間にか心の中で蓋をしてしまっていたのかもしれない。
 商工会の人名録などというのは便利だ。それから職業別電話帳とかも。戦前の呉のそういうものが手に入ったのは少し前のことなのだが、市内の中心部ももちろんなのだが、すずさんが住んでいる高地部の住所があるものばかり抜き書きして、へえっ、高台のあたりにもこんな商売があったりもしたのか、などと眺めていた。
 最近になって、自分が抜き書きしたものを眺め直して、あっ、となった。想定するすずさんの日常生活エリア内にお医者さんが1軒あった。苗字がわかれば道は何とかひらけてくる。で、どうもこれが「19年9月」の1コマ目の絵のそのお医者さん(もちろんマンガでは名前は変えてある)らしい感じが高まってきたところで、ツイッターで呉ご出身の方が「あの医院も解体されてしまった」とつぶやいておられるのを見つけてしまった。
 こういうとき何が便利かといって、インターネットで航空写真やストリートビューが使えることだ。
 このあいだも作画打ち合わせのとき、打ち合わせ中の原画マンから、北條家の家と周囲の段々畑の立体としての噛み合わさり方がよくわからない、といわれてしまい、それはまさにそのとおり美術設定などでは表しきれない複雑すぎる地形なのだから仕方ないのだが、レイアウトを描いてもらわなくてもならないわけで、そうした地形のモデルになる場所をグーグルアースの地形3D表示で見てもらうことにした。そういうものでかなりわかりやすくなる。
 で、「辰川醫院」の場合も、おおよそのありかがわかったと思ったので、インターネットの地図上から航空写真やストリートビューに切り替えて「捜索」した。ところが、ストリートビューで見るとたしかにその場所にその建物は存在しないのだった。
 しかしこのあたりは、解体工事の時期より前に何度もやったロケハンで何度か前を通り過ぎているはずだ。写真、写真。何人かでそれぞれ撮りまくった写真の数々を調べてみる。
 あった。3枚ほどの写真の片隅に、片鱗程度にその建物が写っていた。
 すでに存在しなくなってしまった建物にようやく出会うことができた。
 こうしたとき、自分が舞台となる土地の地生えでない弱点を痛感してしまう。その土地に長く住む人ならもっととっくに気づくことができていただろうものを。
 浦谷さんはあいかわらず、呉市内のあちこち、美術設定の存在しない場面のレイアウトを進めている。いっしょにロケハンに行って、ここを使おう、といって絵コンテにも描いた宮原の一角を描こうとして、参考のためにまたまたインターネットを開いてみて、ああっとなった。昭和20年頃の米軍撮影空中写真と今のネット地図の航空写真を照らし合わせて、今の道と当時の同じ道で何がどう違っているのか確かめておこうと思ったからなのだが、絵コンテには描いた建物が最近のストリートビューでは消えていた。
 ここでもまたですか。

 こうしたことを、画像を添えたりしてもっと詳しく話してみようというイベントのお知らせです。

●7月20日(日)大阪・ロフトプラスワンウエスト
「ここまで調べた『この世界の片隅に』〜大阪出張版」
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/west/24720

●7月27日(日)広島
「この世界(セカ)探検隊3〜中島本町編〜」
http://kokucheese.com/event/index/186710/

●9月28日(日)東京・阿佐ヶ谷ロフト
「ここまで調べた『この世界の片隅に』4」

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