COLUMN

第85回 小春橋、屑鉄の山、潜乙、呉駅集札口

 先週は小春橋付近のレイアウトを始めたあたりまで。今週はその続きから。
 呉の街中には、二河(にこう)川と堺川という2本の川が流れている。このうち二河川にはあまり出番がなくて、けれど堺川のほうは意外と頻繁に登場することになる。主にはその川に架かる橋なのだが。
 堺川の橋は、街の1丁目、2丁目というその筋ごとにあって、下流から、

  1丁目筋=亀山橋  2丁目筋=昭和橋  3丁目筋=堺橋
  4丁目筋=小春橋  5丁目筋=五月橋  6丁目筋=花見橋
  7丁目筋=楓橋   8丁目筋=弥生橋  9丁目筋=二重橋

 となって、二重橋のところで川はふたつに分かれて、1本は遊郭のある朝日町へ、もう1本は北條家に一番近いバス停があった辰川のほうへさかのぼってゆく。ということは、さらにたくさんの橋がこの上流側に並ぶことになる。
 現在の「中央何丁目」みたいな、どかっと一帯の面積で地番表示してしまうのでなく、「何々通」の「何丁目筋」という京都みたいな地番だった『この世界の片隅に』の頃を思い浮かべようとするなら、こうした何丁目と橋との関係から辿ってゆくのが便利だ。このあいだの新宿ロフトプラスワンでのイベントで、
 「呉に行ったことある方?」
 と、手を挙げてもらったら、意外にもかなりの人が一度は呉に足を運んだことのあるかただったのでちょっとおどろいたのだけれど、というふうに橋からたどるのが簡単なタイムスリップの方法なのだけど、と述べておく。
 画面に登場するのは、1丁目の亀山橋から5丁目の五月橋あたりだ。このうち当時のものが現存しているのは3丁目の堺橋しかない。
 堺橋は、堺川の橋では唯一市街電車が通っていた橋で、そのせいか頑丈にできていて、ほかの橋のたっぷり2倍くらいは幅員もあった。それが逆に働いて、戦後ほかの橋たちが何車線分も車を通せるような幅のある橋に架け替えられて行った中で、堺川だけが取り残されてしまって、今では「なんだかこぢんまりした橋」に見える。
 堺橋の欄干は石組みみたいになっているのだが、欄干の窓になって開いた鉄の金物が嵌ったアーチ状の部分の石だけ新しいのにも注目するとよいかもしれない。金属供出で金物が持っていかれてしまって、戦時中はアーチの中が素抜けになっていたのだが、それを戦後になって復旧した痕跡がこのそこだけあたらしい石なのだ。同じ理由で、橋の上の街灯も戦時中はなくなっていた。
 ほかの橋は、架け替えられる前の姿を移した写真を集めなくてはならない。これは意外となんとかなるもので、昭和橋と小春橋以外は資料を集め始めた早い時期になんとかなった。
 昭和橋は戦後に写された、欄干が木でできた貧相な姿の写真なら何枚もあるのだが、昭和19年にはどうだったのかがちょっとわからないでいる。まあ、この橋は遠景に見えるだけなので、とりあえずはそれで我慢する。
 小春橋は、すずさんと周作さんがデートする橋なのだが、しばらくは全然見当つかなかった。こうのさんもここはなんともならなかったようで、原作では今ある小春橋に近い形で描かれている。
 ところがあるとき、堺橋のたもとの消防署の写真を眺めていて、画面の端ぎりぎりに橋そのものではなくうねった形の欄干の一部が写っているのに気づいた。この位置は堺橋からひとつ上流側だから小春橋なのに違いない。小春橋の欄干って、こんなふうにうねうねしてたのか。いや、まてよ、うねうねした欄干の橋の写真ならまだほかにもあったはず。と、手持ちから何枚かを引っ張り出すことができるようになって、さらにその何枚かで小春橋に隣り合って水道管の橋が架かっているのもわかった。となると、この英連邦軍写真の中にある堺川に渡された水道管橋も小春橋のところだ、と芋づるになった。そのおかげで、前回書いたバルブの話になっている。
 当時の様子を地図と照らし合わせることで、蔵本通の4丁目筋には梅田医院というのがあったこともわかり、当時としてはモダンなスクラッチタイル張りの梅田医院は戦前の写真集に載っていたのを思い出せたので、橋を横に見たたもと側も描けるようになった。梅田医院より堺川に近い家並は強制疎開で取り壊されているので、描く必要がない。

 小春橋の一連を終えたら、次は軍港の中を描いてみようということにする。
 今は「アレイからすこじま」という公園になっている、元の海軍の潜水艦桟橋(今でも海上自衛隊の潜水艦桟橋なのだが)付近から造兵部の砲塔組立工場の向こうに浮いている戦艦榛名を画面にしたい。
 砲塔組立工場には、戦艦の砲塔を吊り出せる250トンのガントリークレーンが今もあるのだが、これの写真を集めるのにしばし苦労した。
 絵コンテのときには砲塔組立工場と250トンガントリークレーン、150トンと100トンの岸壁クレーンだけ描けばよい感じにしてあったのだが、レイアウトにあたってちょっと構図に凝りたくなって、カメラを少し引くことにした。すると手前の潜水艦桟橋が入って来てしまう。うっかりするとこのあたりには潜水空母の伊400などがいたはずで、しかし正直いってそこまでは描きたくはない。そのシーンの当日の潜水艦の繋留状況なんかを見て、潜水艦は描かずに潜水艦錨地の桟橋だけ描けばよいことをまず確かめた。
 「この砲塔組立工場の前に、クレーンとは別にあるこの黒い影は何かな?」
 と浦谷さんが航空写真を指差している。
 「建屋かな?」
 う、うーん。不規則な形をしてて、建物に見えないんですが。
 これは1時間くらいでわかった。小屋があって、その周りに工場で出た廃棄になる鉄屑が山積みされていたのだった。レイアウトになったらほとんど見えない。
 問題は、潜水艦桟橋にはクレーンが立っていたことで、今度はクレーンについて資料を見繕わなくてはならない。どのクレーンでもよいのではなくて、まさにそこに実際にあったクレーンの。
 週頭にあきらめ気味の頃には、クレーンは画面から外しちゃえばいいから、ということにしてしまっていた。描く当人である浦谷さんは、
 「けど、ここにクレーン描けると構図的には締まるんだけどなあ」
 といっている。
 やがて、これかも、という写真を見つけた。というか、それらの写真も元から持っていたものだったが、まさに描くべきそこにあったはずのクレーンだという判断ができるようになってきたのだった。終戦直後の資料を見ると、そこには3トン門型起重機があったことになっている。けれど、写真にあるのは、レールを敷いて持ち上げた門型ではなくて、地ベタ据え置きのクレーンだった。
 「きっと、どこかの時期で改造して持ち上げたのだろう」
 と、適当なことをいって、足元はあまり見せないですむのだし、これ描いて、と浦谷さんに渡してみた。よその土地の門型クレーンの足元の写真なども添えて。
 そこからまた、資料をにらみ合わせる。同じような場所にいくつか形の違うクレーンがあって、でもそれは時期の順に並べ直すと、同じものが改造を重ねられていた形跡だと読み取ることができてきた。
 昭和15年12月呉鎮守府副官よりの通牒「呉工廠岸壁潜水艦錨地名称ヲ別図の通変更セラレ候條御了知相成度」というのも(これもまたまた手元から)出てきた。
 あっ、潜水艦錨地丙の3トンクレーンは15年にはまだなかったのか。
 ということは、写真があったのは、「潜水艦錨地乙(略称潜乙)」の1.5トンクレーンだったのか。
 浦谷さん、浦谷さん、クレーンの足元に脚をでっち上げるのやめて、この写真のとおりの桟橋を描いて。ただし、桟橋はこの写真よりもここまで延びてる。ああ、戦前と今とで姿がまるで変らないし、桟橋は同じものを海上自衛隊がそのまま使ってるのか。ならば、ロケハン写真も役に立つ。
 同じようなことが、すでにレイアウトをだいぶ前に仕上げたはずの呉駅でもあり、改札口と集札口の関係を誤解してたことがわかった。戦前に軍艦の進水式の日に、呉を訪れたエラい人を道案内する経路、という略図みたいなものが出てきて、呉駅の中の配置がそれなりにわかってしまったのだった。これも描き直しとなってしまった。
 これに関しては、既存のレイアウトを左右反転してカメラポジションを逆に入れればまだなんとかなるとわかったので、そのようにしてしまった。

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