COLUMN

第84回 見えなかったものもいつか見えてくる

●2014年6月8日(日曜日)

 前の週の日曜日は新宿でイベントだったが、今度は山口県防府市に来ている。『マイマイ新子と千年の魔法』の作曲家の1人、村井秀清さんが九州北部をライブコンサートのツアーで回る、という話が進んでいた頃、防府の方から「それなら当地でも」とリクエストがあった。それが実現してしまって、ひっかけて「『マイマイ新子と千年の魔法』公開5周年」ということにして、いわゆるところの「マイマイ新子探検隊」もやってしまうことになった。この催しは例年秋にやる習わしになっていたのだが、秋に入ると監督はもう『この世界の片隅に』で忙しくってそれどころではあるまい、という防府サイドの配慮があって、村井秀清ライブコンサートと同じ6月8日にやってしまおうということになった。なんと「マイマイ新子探検隊9」ということになるのだが、この回を終えたらしばらくお休みすることになる。
 防府国衙周辺で『マイマイ新子』に登場させた場所はこれまでにだいたい歩き倒したので、車を出してちょっと遠出することにした。『マイマイ新子』は、青麦の畑が限りなく広がる土地が舞台なのだが、その現地は今ではすっかり宅地に変わっていて、麦畑など見ることができない。それは自分たちがロケハンを始める前にすでにわかっていたので、2007年に来た時には、防府市に入る前に、まずレンタカーで市外の麦畑を探し回ったのだった。「探検隊9」ではそこに行く。
 その場所には本編に出てきたような麦畑が広大に広がっている。自分たちが最初に訪れたのは3月だったので、まだ幼子のような青麦だった。それが6月のこの季節には一面の金色に変わっていた。
 「7年かけてここへたどり着いたのだ」
 と、感じさせられるのに十分な風景だった。
 夜は満員の会場で、秀清さんのピアノソロで「貴伊子のテーマ」を聴く。

 新宿のイベント「ここまで調べた『この世界の片隅に』」の方は3回目まで終えて、4回目、5回目のプランまでもう立っている。
 これは元々は、広島のダマー映画祭inヒロシマで2012年秋、2013年秋とワークショップとして開かせてもらったものが原型で、そのほかのときにも呉や広島で小規模に何度かやってきたものだったが、東京でやらないのもなんだかなあ、と小黒さんに相談して、2013年12月から新宿で3ヶ月ごとの定例イベント化してもらったのだった。
 ところが、こんどは関西在住の方から「東京でばっかり」という声をいただくようになってきてしまった。現に、新宿のイベントを1、2回目は会場の都合で夜開催になっていたものを、ようやく3回目で昼に開いてみたら、「それなら日帰りできるから」と関西からお客さんが来てくださるようになってしまっている。
 そこで、同じロフトの大阪に新しくできた店に連絡してみたら、7月後半の日曜日のお昼で会場を取ることができた。ということで7月20日(日)は、ロフトプラスワンWESTで「ここまで調べた『この世界の片隅に』〜大阪出張版」。6月21日より前売り開始です。詳細はこちら

 そうこうするうちにも仕事は進む。
 呉の海軍第一門付近のレイアウトを続けている。
 呉線のガードをくぐると、左が今も建っている下士官兵集会所、右が今はない海友社、というところまでは前回触れた。海友社周りの写真が見つからなかったので、絵コンテではなるべくそれが見えないようなアングルにした、ということも書いた。
 写真などというものは、機会があったらそのときに、要る要らないと感じた気持ちは無視して、できるだけ手元に集めるようにしておくのがよい。それを何十回か眺めているうちに、「ここに写っているコレはアレだったのか!」と気づくときがきる。無数の標本を集めるうちに進化論にたどり着いた人だっているのだから。
 海友社の写真は「なんだかわからない建物」としてずっとファイルに入っていたのだが、海友社のうしろに倉庫を建てる件についての海軍の文書の中に略図があるのを見つけて、その海友社とやらが呉線の線路と引込線と一門通りに挟まれた三角の土地にある施設だと気づいた瞬間に色々なものがつながった。それまで、航空写真で見える車回しみたいなものを、衛兵詰所の何かだと考えてしまっていたのだが、いわれてみれば、准士官倶楽部の玄関前の車回しだった。
 ところがレイアウトを進める浦谷さんが、呉線のガードと海友社の間に掘っ建て小屋みたいなのを描いてきた。たしかに戦後に英連邦軍が撮った写真にはそういうものが映っている。けれど、植込みのある車回しまであってスクラッチタイル張りの倶楽部の玄関横にそれを置くのは何か違うような気がする。
 「じゃあ、どこに写真があるっていうのよ」
 と、怒られながら、これまで眺めまくっていた写真を片っ端から開き直してみる。
 あった。
 昭和10年11月三呉線全通記念の新造された呉線ガードの写真。
 今までは、この写真の中の「谷口洋服店」だとか「芸南電気軌道のバス」ばかりに注目してしまっていた。特にこの写真のバスは、これのおかげで芸南電軌のバスと、その後の戦時中に路線も車体も丸ごと呉市交通局に引き取られて呉市営になってからのバスの車体色が同じままだった、という決め手になった、自分としてはちょっと由緒のあるバスだったりする。
 バスからちょっと目を外すと、写真の左側ぎりぎりに、ガードと海友社の間の狭い敷地を囲う高い塀があるのが写っていた。この塀が戦後の写真にはないというのは、どこかの時点で壊されたからなのだが、今度はそれを調べなくてはならない。昭和20年前半の米軍航空偵察写真、戦後に進駐軍が写した空中写真なんかでその部分を拡大してみる。真上から見た塀なんてわかりにくい。なのだが、昭和20年11月にはまだ健在だったらしい、と心証を得た。昭和10年11月に存在していて、昭和20年11月にも存在していたものは、昭和19年9月の場面に描くことができる。

 別のシーンのレイアウトに移っていた浦谷さんが、こんどは、
 「小春橋の前の水道橋のこれ、杭の頭かと思ってたら、バルブだった」
 という。なるほど。ここも不鮮明ながらも写真をたくさん集めておいてよかった。さらに、川をまたぐ水道管の中央に設けられた弁について調べることになる。
 杭の頭でない証に、戦前は四角い鉄のカバーがかぶせられていて、これがほかの水道橋でも見られるものと同じだった。この覆いは戦後にはなくなっている。いつなくなったのかわからないが、戦時中の金属供出だったのだろうと思う。小春橋のひとつ下流側の堺橋(現存)などでも、石の欄干に嵌められていた鉄の部品が金属供出されている。

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