COLUMN

第79回 広島と呉でいろいろと得る

●2014年5月2日(金)

 早起きして広島に赴く。
 広島では、被爆建物である旧・日本銀行広島支店で「調べて描く『この世界の片隅に』の世界展」を開いてもらっている。この展示は、作業中の本編レイアウトにどれくらいリサーチ情報を取り入れているか、あるいはリサーチの結果を受けて次々描き直していくさまをそのまま展示しようというものだ。
 肝心なのは、「何をやっているのか」を記したキャプションなのだが、どうもその部分を強調しきれない展示になってしまっていたみたいな気がする。画だけ見れば、被爆以前の広島の町の写真を見慣れた人には、すでにおなじみの構図のものも混ざっているのだが、もちろんそれだけではすまさず、細部の補強をかなり行っている。そこのところを読み取っていただけなくては、展示の意味が薄れてしまう。
 そこで、思い切ってキャプションの文字を大きくして、目立つ黄色のパネルに仕立てたものを東京で作って持参した。会期途中の、しかも開場時間内なのだが、展示物の貼り直しの作業をお願いしてしまった。もちろん自分もやるのだが、スタッフの皆さんが快く引き受けてくださったのはほんとうにありがたかった。
 この日は、呉まで行って、すっかりおなじみになった両城の「石段の家」に泊まる。

●2014年5月3日(土)

 広島はこの日からフラワーフェスティバルで、1日あたり何十万人かの人出が出て混雑するので、といわれていたので、なるべく早い時間に移動してしまう。
 まず、広島平和記念公園の中にある平和記念資料館に行って、啓発担当の菊楽忍さんのお話を聞く。菊楽さんは、残された昔の写真のことに、その出所や、細部に何が写っているのかということに詳しく、以前からメールで相談したりもしていたのだが、実際にお目にかかってみてこんなチャーミングな方だったか、と思ってしまった。
 「こうの史代さんともずっとFAXでやりとりしてて、3年くらい経ったところではじめてお目にかかったんです」
 といいつつ菊楽さんは、会話の中に「おーー」とか感嘆詞を挟まれたりするのだが、そういうところはこうのさんとよく似ていて、2人揃うときっとよいワンセットになりそうな気がする。
 前からよく見知っていた、相生橋のたもとの商工会議所(昭和11年[1936年]竣工)から撮った、中島本町から産業奨励館あたりのパノラマ写真を大きく引き伸ばしたものを前に、引き伸ばしてはじめてクローズアップされる細部についてのお話をうかがって、こちらもいろいろいって、こういう話が通じる人は得難いなあ、と思った。
 14時から旧日銀の展示会場で1時間半ばかりのトークをやらなければならないのだが、その前の13時に、被爆前の中島本町周辺のことを記憶されている高橋さん、鍇井さん、奥本さん、緒方さんといった皆さんに来ていただいて、お話をうかがうことができた。こうした方々と引きわせてもらえたのも、菊楽さんにお目にかかれたのも、全部ヒロシマ・フィールドワークの中川幹朗先生のおかげだ。
 Cut26の背景に見える割烹旅館「民衆別館」の左奥の建物がよくわからず、手前側に「コーヒーを飲むところ」がある、とだけ聞かされていたのだが、その写真があったという。さらにそのもうひとつ奥は「空き地」ということだったのだが、そこにあった建物(キャバレー金春)が火事で焼失したのは、どうも昭和9年から15年の範囲の出来事らしい。ということは、昭和8年12月を舞台に取っている手前それも描かなければならないのだが、そこまで話を聞くと、今まで散々見てきた写真に写っていた片鱗の意味がわかるようになってきている。画面の端に映る範囲くらいはわかったつもりになる。
 Cut24の「鍇井理髪館」の方も、そこに住んでおられたご当人である鍇井さんからいろいろ指摘していただいて、色々あった悩みを払拭することができた。
 14時からのトークには、なんと客席にこうの史代さんがおられた。話し終わって、質問タイムに入ったところで、はじめは誰も質問してくれるお客さんがいなかったのだが、そういうとき、こうのさんが率先して手を挙げてくださるのだった。
 そのあと、どうも夕方17時くらいまで会場にいたみたいなのだが、記憶がおぼろになっている。
 呉に帰って、呉駅の下のスーパーで食べ物を買い込んだときには、すでに21時を回っていた。
 石段の家で食べて寝る。

●2014年5月4日(日)

 午前9時に広島の舟入公民館に集合。『マイマイ新子と千年の魔法』のとき、ロケーションの現地を自分が解説しながら歩く「マイマイ新子探検隊」というのを舞台となった防府のみなさんが始めてくださったのだが、その広島・呉版の「この世界探検隊 江波編」をするのだ。すずさんが生まれた江波を巡るのだが、実行委員の中には呉の方も入って下さっている。
 歩く前にまずは、原作のマンガの中ですずさんが作っていた、雑草を使った戦時代用食的なものを作って食べることから。これも何度もやっているのだが、なんだか回を重ねるごとに美味しくできあがるようになってきてしまっている。実は、すずさんの雑草料理は、戦時中のレシピに従ったものではなく、こうのさんが独自に考えた料理だったりする。そうした状況下でも、できるだけ美味しく、見た目もよい料理を作りたいと思うすずさんを表現したい、という意図なのだろうと思う。なので、戦時代用食っぽくありつつある程度美味しくできても、それはそれで正解なのだ。
 食べ終えたところで、江波を伝える会の中川巧さんに来ていただいて、江波を歩くツアーが始まる。
 舟入から少し南に下ると江波だ。自分ではこれまで何度か来た江波だが、ストーリーの本筋に絡まないところまであまり目が届いていなかったので、地元を熟知しておられる中川さんの解説つきで回れるのはありがたい。世界が広がる。
 ストーリーにまともに絡んでいる場所でありつつこれまで足を運んでいなかった江波小学校の移転前の跡地にも初めて行ってみた。かつて小学校があったその一角だけ道の作りがちょっと違っていて、よくわかる。
 本川の土手を登り、映画の中で江波のランドマークとして使おうと思っていた、バス停横の建物のところに出る。
 昭和14年(1939年)に撮られた航空写真にもここに建物が写っていて、昭和30年とキャプションされた地上から写した写真にも今あるのと同じ建物が、しかも少し古びた姿で写っていたので、今現在建っているものをそのままレイアウトに描いていた。
 この建物の川の側に回ってみる。今は堤防が築かれていて、当時より川側の土地が広がっている。というあたりまではこれまでに何度か同じ場所に立っていたのだが、ふと、川側からならば問題の建物の床下をのぞけることに気づいた。元々、半分は土手の外、川の上に張り出して建っていたものなので、高床になっている。のぞいてみて「あっ」と思ったのは、床下の構造がまるで新しかったことだ。これはどうも戦後に建て替えられてるのじゃないか。
 あとで宿に帰って「昭和30年」とキャプションされた写真を見返してみたのだが、同時に移された一連の写真にワンマンバスが写っていたり、昭和50年の出版物に掲載された写真にもなかった自動販売機が写っていたり、自転車の形が新しかったりして、これらはどうやら昭和50年代以降の撮影だとわかってしまった。昭和30年にすでに古びていたのだから、昭和20年には存在していただろう、という思い込みが崩れた。
 ところで、正解は中川さんが解説のために持ち歩いておられた写真アルバムの中にあった。説明のために中川さんがアルバムを振りかざしておられたあいだにその中の1枚を注視してしまったのだが、見るからに昭和40年代らしい車が写った写真には、問題の川辺の建物があるべき場所になかった。その1代前らしいもっと古びた造りの小屋が建っていた。通りの向かい側の家並みも、これまで見ていた写真よりずっと古かった。
 そこまでわかれば、レイアウトは描き直せる。「昭和30年」というキャプションの呪縛を解くことができた。
 このあと、「探検隊」は江波の家々を見て回り、一番見晴らしのよい江波山気象館(旧・広島地方気象台)の屋上に立ち、舟入公民館まで戻ってお開きとなった。
 その夜は広島駅付近で懇親会。
 さらに翌日は個人的に呉・警固屋の巡洋艦「青葉」着底地点を訪れて、その周辺の家々のうち当時建っていたものを見分けられるようになる。

 いろいろなイベントと絡めた広島・呉行きだったのだが、多方面でリサーチを深めることができて、得られたものは多かった。これでまた完成画面の趣きが少し変わるだろう。各イベントを企画・運営してくださったみなさん、わざわざ足を運んで参加してくださったみなさんからの賜物であると思う。

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