COLUMN

第73回 ここまで調べた『この世界の片隅に』の2回目

 2014年の3月20日から22日にかけては、今年から独立した映画祭になった東京アニメアワードで、コンペティションの審査員をやっていた。ちょっとおもしろかったのは、自分が短編部門の審査員で、山村浩二くんが長編部門の審査員になっていたりするシャッフルがあることで、
「逆じゃん!」
 などといったら、山村くんは
「このへんが妙ですよ」
 と、にやにやしていた。
 映画祭がよいのは、いろいろな人たちが集まるので、ふだんだったらあまり話をする機会がないだろう人との出会いや再会があることだ。ボンズの南雅彦さんが長編の審査員で、I.Gの石川光久さんが短編の審査員だ。
 石川さんは、アートアニメーション系の短編作品群を前に、プロデューサーとしての自分ならこのどの作品もそのままでは企画として通さない、といってのけられた。休み時間の雑談で、これからは業界のアニメーターたちはもっとデジタルを取り入れて仕事できるようにならなくちゃいけないんだ、といわれたかと思えば、審査の場では、日本の学生が1人で3000枚の作画をその手だけで描ききった短編作品に対して、今だからこそこうした手の力に栄誉を与えなくちゃならないんだ、と主張された。こうした人となりの隣で何日間か過ごせたのは、得がたかった。
 授賞式後のレセプションは出会いや再会の機会の極みみたいな感じで、アニメーション作家の古川タクさんが急に、元スタジオNo.1の野田卓雄さんと握手をはじめて、実はお2人はTVアニメの黎明期にTCJで『鉄人28号』の作画で仕事仲間だったのだという。マッドハウスの頃にご一緒させていただいていた野田さんの東映動画以前のことはよく知らなかったし、飄々と個人作家でおられるタクさんが野田さんとそんな仕事場での間柄だったというのもはじめて知った。人の世は広いようで狭いようで、やっぱり奥底が深いんだな、などと思ったりした。

またしても会場にいただいてしまった、こうのさんからのお花  元々、この映画祭の仕事の依頼をもらったとき、
 「23日は用事がありますから、そこを外せるのなら」
 といって、
 「22日までにだいたい終わりますから大丈夫ですよ」
 ということで、引き受けさせてもらっていたのだが、その23日は第81回アニメスタイルイベント「1300日の記録特別編 ここまで調べた『この世界の片隅に』2」の開催日なのだった。
 このイベントは第1回目が昨年の12月23日で、それなりに面白がってもらえたような感触もあったので、
 「このあと、3か月おきでやりましょう!」
 といったら、
 「やりましょう!」
 と、同調してもらっていたのだった。
 正確に数えたわけではないのだけれど、この2014年3月23日の第2回目も、初回と同じくらいお客さんが入っていた。たずねてみたら、3分の2くらいが前回にも来ていた人、残りがご新規さんということのようだった。
 ならば、これがどういうイベントであるのか、というスタンスみたいなところからもう一度話さなくてはならない。
 12月の時とまったく同じに、原作のマンガの冒頭の第1コマ目を見てもらって、でもそれはほとんど正方形のコマなので、ビスタビジョンの画面にするときには、左右を描き足さなくちゃならない。原作者のこうの史代さんはもちろんきちんとした資料写真を見て、現地にも足を運んでこのコマを描いておられる。その同じ場所を探し当てて、そこに立って風景を得ればよいのだけれど、実際にその場所に立つと、物語の時代とは大きく様変わりしてしまっているのがわかるだけだ。実在するその場所の70数年前の景色を調べなくてはならなくなる。
 さらにもう1ヶ所、広島の中島本町の大正屋呉服店前のレイアウトを見てもらった。考証で苦労しているロケーションなのだけれど、このコラムの前回にも書いたように、実際にこの場所に住んでいた方々から聴き取った新しい情報が繰り返し得られている。得られるたびに絵の修正を繰り返している。というか、浦谷さんが描き直す羽目に陥っている。どうせなので、同じカットのレイアウトの各バージョンを全部残すことにしている。この大正屋のカットでいえば、「2013年3月13日」「8月23日」「11月19日」「2014年3月14日」「3月15日」「3月17日」と修正・改訂を加えてきている。商店街の店舗のたたずまいの隅っこの方のほんとうにちょっとした直しなのだけれど、実際に見たその風景を覚えておられる方の声がある限りは手を入れることにしてみたい。ついには、鉄筋コンクリート3階建ての大正屋の外壁の色まで聴き取ることになってしまっていて、色のイメージもだいぶ定まってきている。
 と、このへんはまだ前回のおさらいと、前回話したことへのアップデートだったのだが、その先、広島駅の考証の話、そこから列車に乗ってたどり着く呉駅とその駅前の話をした。
 それから話題が飛んで、戦時中の町中がどんな感じだったか、という話に移った。
 まずは、家屋の窓ガラスには紙テープがバツ印や米印に貼られていたのだろうか、いうことについて。これはTVドラマでも映画でも、戦時中の町の美術セットにはまず間違いなく貼ってあるものなのだが、実際は違ってたのじゃないか、と指摘したいところだったりする。論より証拠、写真やら文書資料(といっても、当時の雑誌記事なのだけど)をスクリーンに映してご覧いただく。ね、違うでしょ?
 あの窓ガラスの紙テープには、公的な根拠文書が存在していないのだ。そして何より、当時の実際の街並みを映した数々の写真に、そんなの一般的ではなかったと物語らせてみる。
 きちんと「そうしなさい」という指令が出て、根拠がはっきりしているのは、原作の中にも描かれている「民家の壁への迷彩塗装」「天井板を外す」ということだったりする。前者については、迷彩の使用色についてカラー写真など披露してみた。
 一方、後者の方は市街地空襲で多用されるだろう焼夷弾へのかなり根拠のはっきりした対抗策なのである。焼夷弾はどういう構造で、どういうふうに落ちてきて、どんな効果を与えるようにできているのか。今回のイベントでは、焼夷弾の実物をお見せしながら説明することができた。実はつい数日前に、考証資料協力者である前野秀俊さんが、AN-M69焼夷弾の実物を骨董品として手に入れてきてくれたのだった。『火垂るの墓』の空襲シーンで印象的なあの代物だ。
 ところがこの会場に持って来られたM69なのだが、
 「信管がはまってるんですよね」
 と、前野さんがいう。中のナパームは完全に抜いてあるし、炸薬も抜いてあるのは見ればわかるのだけれど、信管の中の火薬が生きてるのだとしたら危なっかしい。いや、もちろん、一度解体して、中身を空っぽにして、もう一度はめ込んであるだけに違いなのだが。

 そうこうしていると、司会の小黒さんが、
 「このイベントも終了まであと10分になってしまいました」
 というのだった。あとは、松原さんもまじえたフリートークということで。
 しかし、もう2時間20分経ってしまったのか。今回だけでも用意してきたネタの半分くらいしか消化しきれなかったし、全体量としてはもっともっと大量に話せることがある。
 「それでは3回目は6月1日、日曜日ということで」
 もうちゃんと次回の会場のおさえが済んでいるのだった。

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