COLUMN

第358回 誤解と指導

 まず前回の話を読んだ某知人より「じゃ、逆に作品が面白くなかったら監督の責任じゃないという事?」みたいなツッコミがありました。ハッキリ言います!

誰もそんな事言ってません!!
その作品が面白くなかったら責任逃れできない立場ですよ、監督は!

ただ、各話コンテ・演出でも監督より面白いモノを作ってる人はたくさんいるのに、監督を選ぶ立場の方々(主にプロデューサーさん)がその各話の手柄を見極める事ができないと、新人監督が生まれにくくなるでしょ? それを危惧してるだけです。俺だって自分が指導してる演出の新人に「各話コンテ・演出で面白いのを作ってたら、監督になれるよ!」って言いたいですよ。でも今のように「面白い!」「売れた!」をなんの疑いもなく「○○監督だから」と無条件で監督の手柄に還元ばかりしてると「いくら面白い話数作ったって監督になれるのとは無関係だからね!」としか言えないです(もちろん監督のおかげで面白い作品になってる場合もたくさんありますが)。だから前回は訴えたんです。権威とか円盤の売れ行きに惑わされる事なく「作品が面白くなった要因」を冷静に考えてみては? と。
 で、今度はその新人指導の話。今年もなんとか新人を数名採る事ができそうです。自分が新人の面倒を見るとき心掛けてる事がいくつかあります。まず第一に、

仕事の厳しさ・大変さを教えるだけでなく、仕事の面白さも教えるよう努力する!

ってとこです。「最初から甘やかしてはイカン!」とリテイク(やり直し)に次ぐリテイクで仕事の厳しさを教えるのは誰でもできるでしょう。しかし「君の選んだ仕事は、ある程度の日常生活を投げ打つ価値のある素晴らしい仕事なんだよ!」も同時に教えようよしないと長続きしないと思うんです(そりゃ長続きしなかったら自分の教え方が足りないんだという事で)。次に、

才能のある・なしよりも、向き・不向きを基準にする!

「才能」と「向き・不向き」は違うと思うんです。俺自身「才能はないかもしれないけど、比較的向いてる方の仕事だ」と思ってる人間で。昔とある監督に「板垣君は監督の才能はないと思うんだよォ(脳内モノマネ)」と言われました。でもその時思ったんです。

才能がなきゃやっちゃダメか!?

と。全員が天才で構成されてる業界なんてあるわけないし、「才能ない」とか言うと先天的なダメ出しな感じするけど、「向いてない」くらいだったら努力すれば3年くらいは続けられそうだし、3年続けられたらまだまだ続けられそうじゃないですか? 実際自分も動画マン時代、大塚康生さんに「板垣君は動画向いてないね〜(笑)」と言われましたが、今でも原画描いたり監督とかやってますから。